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ネット上での多様性議論についての雑感

ネットでの議論・対話は非常に難しい。ちょっとしたボタンの掛け違いですぐに対立構造をつくってしまいがち。

少なくともSNSでは自分の考えを好きなように述べればいい。コメント欄に反論や質問が書き込まれたとしても必ずしもそれに答える義理はない。いちいち自分の思想がどうやってできあがったのかイチから説明するほどお人好しになる必要はない。みんなそんなに暇じゃない。

SNSで自分と違う考えをたまたま見つけてモヤっとしたのなら、そこにコメントとして反論するのではなく、自分の考えを自分のSNSで発信すればいい。本当に発信者本人のことを思って助言したいのなら、コメント欄に書き込むのではなく、直接メッセージを送ったほうがいい。

・・・というのが私のスタンス。

「対話すればわかりあえるはず」というのは一見前向きだが、実は「自分のことが理解されるはず」というエゴだったりする。エゴとエゴがぶつかれば、相互理解どころか分断が生じる。

「わかりあえない」という前提から始めることが大事。その先にはじめて相互理解がある。

具体的に何らかの利害が衝突したときには問題解決のための対話が必要だが、異なる意見がただ存在しているだけならむしろ下手に対話なんてしないほうがいい。自分と違う意見があっても、ただそれが存在することを認めればいい。それが相互理解。

「わかりあえない」という前提から始めれば、結果わかりあえるときもある。

文章、絵画、音楽、映像……あらゆる表現は、表現者と受取手の間の無言の対話によって意味をなす。良い方に解釈するか、悪い方に解釈するか、人には癖がある。表現をどのように受け取るのかは受取手の自由。その結果うれしくなったりむかついたりするのも受取手の自由。

一方、表現者には、自分の表現がどのような形で受け取られようとそれを受け入れる覚悟が必要。

しかし受取手が自分の解釈をもとにして表現者の意図を決めつけ、「表現そのもの」ではなく「表現した人」を批難することは、はじめから対話になっておらず、建設的ではない。多様性が大事だというのであれば、まずはできるだけみんなが良い方に解釈する癖を強化したほうがいいのではないだろうか。

いわゆる「ポリティカルコレクトネス」が幅をきかせすぎることのデメリットはここ。ポリコレを気にし始めると、悪い方に解釈する癖を強化してしまうから。それは社会的気遣いではあるけれど、社会の多様性を涵養することとは逆の風を吹かせる可能性がある。そのことにはみんなもう少し注意を払ったほうがいいのではないか。

また、表現に対する批判であっても、仮にそれがいくら正論であったとしても、過度に攻撃的な言い回しには賛同できない。もちろん他者に対する人権侵害はその手前で明確に否定されなければいけないが。

ネット上で多様性について議論が盛んなのはいいのだが、それにともない相互理解よりも分断が広がっていることが気になっていて、個別の事案とは関係なく、総論として感じたことをばらばらと投稿したものをまとめておいた。

(参考)

わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か (講談社現代新書) わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か (講談社現代新書)
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