10月20日から22日まで、デジタルコンテンツ分野の国際的イベント「DIGITAL CONTENT EXPO 2011」が都内で開催された。21日には作詞家、放送作家、テレビ・音楽プロデューサーなど数多くの顔を持つクリエーター、秋元康氏が講演し、自身の手がけるアイドルユニット「AKB48」誕生にまつわるエピソードなどを語った。以下、秋元氏の発言をまとめた。
「会いに行けるアイドル」を思いついた背景
秋元氏:ヒットした後に語られる「あのときはああいうふうに考えていた」という話はだいたい後付けです。AKB48は2005年12月にスタートしました。そのときのことを振り返ると、私はそれまでラジオやテレビの仕事をしてきましたが、実際どれくらいの人に見られたり、聴かれたりしているかがわからなかったんです。
人気が出てきたロックバンドがだんだんと大きなコンサート会場に移っていくと、目に見えてお客さんが増えていきます。そういうことが大事だと感じていました。だから初めは劇団を作りたかったんです。徐々に大きくし、毎日公演し、毎日見てもらえたらコンテンツとして成長するのではと考えていました。
当初は青山や原宿で劇場の候補地を探していましたが、当時は秋葉原がたまたま人気の地域で、ドン・キホーテの8階が空いているのを見つけました。そこで毎日やるには同じ内容の演劇では難しい、歌とダンスのレビューにしようと考えた。イメージはクレイジーホースやムーランルージュのようなものです。そして、どうせならアイドルの方が面白いと思い、だんだん今のAKB48に近づいていった。最初から狙ったものではないんです。
候補生やメンバーのオーディションでもアイドルを集めました。私は毎日公演をやりたかったんです。いままでのアイドルは毎日、テレビ局に通ったり、地方をまわっていた。そんなことしなくても定時になればここにいますよ、というのは面白いんじゃないかと。それが「会いに行けるアイドル」という形になった。
おニャン子クラブやその他のアイドルとの差別化
秋元氏:おニャン子はテレビが産んだアイドルです。テレビの力を活かしていました。テレビは最大公約数。おニャン子はお年寄りから子どもまで、人気が出るのが速かった。一気にマスを掴んだんです。
おニャン子が当たるだろうなと思ったのは、自宅で「夕やけニャンニャン」という番組を見ていた時。司会のおニャン子の1人が、「新田恵利は今日中間テストでお休みです」と言ったんです。これはナメてるだろと思いましたが、実は視聴者も中間テストでした。だからブラウン管の中の彼女を身近に感じた。それがおニャン子クラブ。
おニャン子のファンにつんくがいました。おニャン子は音楽として優れてはいませんでしたが、つんくはミュージシャンなので、音楽的に先進的です。モーニング娘。は衝撃的でした。こんなにかっこいいアイドルはそれまでにいませんでした。おニャン子と似ていますが、中身は全然違います。
おニャン子は特訓しません、レッスンもしません。モーニング娘。は特訓し、レッスンして、才能を発揮しました。一方でAKB48は過程を見るドキュメンタリーです。どのように成長するかを楽しみます。
AKB48が2005年12月に劇場でスタートしたときのイメージは、かつておニャン子という高校野球チームを優勝に導いた監督が、秋葉原で新しく野球部を作り甲子園を目指そうという感じです。でも集まった子たちはバットもボールも持ったことがありませんでした。はじめは秋葉原の住人、地元商店街みたいな方たちが優しく、差し入れのように、金網越しで応援してくれていました。
そういうチームが地区の大会に勝ったり、甲子園に行って、優勝するまでの過程がAKB48なんです。いまどれくらいまで来ているかと聞かれますが、私は甲子園で優勝したくらいだと思っています。そしてプロのチームのスカウトが「あの子をスカウトしたい」と思っているところ。AKB48を卒業して、プロ野球でどこまで成長できるかという段階にいるんです。

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