記事

台湾独立に賭けた男たちの熱き生き様

1/3
台湾独立派の長老と呼ばれるグー・クワンミン氏

【台湾独立派の長老と呼ばれるグー・クワンミン氏】


グー家の人々

【グー家の人々】


日本における台湾独立運動 時事通信社

【日本における台湾独立運動 時事通信社】

 

日台裏面史を辿ったSAPIOの連載「タイワニーズ 故郷喪失者の物語」。戦後の動乱期に台湾から日本にやってきた故郷喪失者たちは、祖国の独立を強く願った。見果てぬ夢ともいえる台湾独立運動だが、半世紀の時を経た今、奇跡を起こしつつある。ジャーナリストの野嶋剛氏が報告する。

 * * *
 3年ほど前、ヒマワリ運動の取材で台湾にいた。学生が占拠した立法院の外壁に、同じ学生の仲間たちが黄色い小さな付箋に思い思いのひとことを書き込んで、ペタペタと貼り付けてあった。

 数え切れない付箋の8割ぐらいに「台湾要独立!」「台湾独立万歳!」などと台湾独立に言及していたことに、私は少なからぬショックを受けた。

 若い人に台湾独立の思想が広がっていたことではない。その言葉が、なんの遠慮もなく、無邪気なほど自由闊達に語られていることに対して、だ。

 台湾独立という言葉は長年、国民党の専制支配下の台湾では禁語だった。語ったら即、牢屋行きであった。民主化のあとも、公的空間で普通の知識人はあえておおっぴらに語らない、という暗黙のルールがあった。

 だが、いまの若者たちにはそんな「常識」は「非常識」になったようだ。台湾独立という政治的現実はいまなお遠い。しかし、その考え方は台湾社会にすでに溶け込んで、まるで青空に漂う雲のように、堂々と可視化されている。

 その変化の淵源が、実は、日本で独立を掲げた戦ったタイワニーズの傑物たちにあったことは、意外なほど日本では知られていない。

 台北で、白いスーツと白髪をトレードマークとする洒脱な90歳の老人と向かい合った。若い頃はプレイボーイで名を馳せて銀座を闊歩し、現在は民進党の影のスポンサーとも言われる。

 台湾メディアに「独派大老(台湾独立派の長老)」と形容されるグー・クワンミンは台湾きっての財閥・辜(グー)家の八男だった。1947年に起きた蒋介石・国民党政権の民衆弾圧「2・28事件」で身の危険を感じて香港経由で日本に逃亡。日本で結成された台湾青年社(のちの台湾独立建国連盟*注1)に参加し、1965年から1970年まで委員長も務めた。 「私にはちょっとした資金があった。どんどんお金を投じて(連盟の機関紙)『台湾青年』という刊行物を世界中で発行し、組織を拡大させたんです」

(*注1:1960年東京で王育徳を中心に台湾青年社が成立、「台湾青年」の発行を始める(02年、停刊)。1963年、台湾青年社を台湾青年会に改称、黄昭堂が委員長に。1965年、台湾青年独立連盟に改称、グー・クワンミンが委員長に。その間、逮捕者を出した1964年の「陳純真事件」1968年の「柳文卿事件」などを経験しながら運動を堅持。1970年に台湾独立連盟に、1987年に台湾独立建国連盟に改称。1992年に連盟幹部の入国禁止が約30年ぶりに解かれる。)

 若い仲間たちはグー・クワンミンの大胆さに惹かれた。が、のちに「追放」の憂き目にあう。19721972年の「蒋経国面会事件」が引き金だった。

「国策を論じたいので私に会いたいと人を介して蒋経国から連絡があり、二度断ったんだけど、三顧の礼って話がありますでしょ、さすがに三度目は断れなかった」

 蒋経国は、組織が骨の髄まで憎む蒋介石の後継者だ。グー・クワンミンは仲間に内緒で密かに台湾に向かった。蒋経国は国際社会での孤立を感じ、新しい台湾統治を模索していた。敵視する独立派の言葉に耳を傾ける必要に迫られるほど追い詰められていた。

 蒋経国に対し、グー・クワンミンは政党の自由化や本省・外省の区別の撤廃(*注2)などを建言した。

(*注2:第2次世界大戦前より台湾に居住する台湾人を本省人、その後に台湾に移住した大陸人を外省人と呼ぶ。近年まで、本籍欄に明記されており、差別や対立の背景になった。)

 蒋経国も黙って耳を傾けていたが、グー・クワンミンが「大陸反攻、これは痴人の夢ですよ」と言うと、座の雰囲気が一変した。

 日本語教育を受け、台北高等学校に通うエリートだったグー・クワンミンは日本語がもっとも身近な言語である。とっさに愛読する谷崎潤一郎「痴人の愛」が思い浮かび、絶望的になった大陸反攻をなお掲げる蒋政権を揶揄したのだった。

「私は可能だと信じる」。蒋経国も激しく反論し、口論になった。

 心配した蒋経国の部下があわてて部屋に入ってきた。議論の中身は知らない。グー・クワンミンはとっさに「あんたに聞くが、大陸反攻と台湾防衛、どっちが優先かね」と話を振ると、部下は即座に「台湾防衛です」と答えた。

「そのときの蒋経国の顔はね、一生忘れられない。なんとも言えない苦々しい顔だった。でも私を見送るときも深々と頭を下げて、最後まで礼を失わなかったのはさすがだと思いました」

 蒋経国から一本取ったグー・クワンミンだったが、帰国してその件を仲間に打ち明けると、徹底的に糾弾され、連盟を除名となった。

あわせて読みたい

「台湾」の記事一覧へ

トピックス

ランキング

  1. 1

    報ステのアベノミクス批判は乱暴

    和田政宗

  2. 2

    田原氏が語る民主党が消えた理由

    田原総一朗

  3. 3

    日テレ 安倍政権に忖度で改変か

    週刊金曜日編集部

  4. 4

    安倍首相の演説に各紙ツッコミ

    文春オンライン

  5. 5

    学問知らぬ共産のデタラメな主張

    WEB第三文明

  6. 6

    米も脱退 ユネスコはウソばかり

    中田宏

  7. 7

    首相発言が匂わす検察の国策捜査

    郷原信郎

  8. 8

    東名事故容疑者 恋人前だと豹変

    NEWSポストセブン

  9. 9

    よしのり氏「枝野氏が最も保守」

    小林よしのり

  10. 10

    加計学園問題の核心は解決済み

    石水智尚

ランキング一覧

ログイン

ログインするアカウントをお選びください。
以下のいずれかのアカウントでBLOGOSにログインすることができます。

コメントを書き込むには FacebookID、TwitterID のいずれかで認証を行う必要があります。

※livedoorIDでログインした場合、ご利用できるのはフォロー機能、マイページ機能、支持するボタンのみとなります。