面白い記事を発見した。長く続く不況による格差の広がりによって、生活保護の受給者が増えているが、そのうち若い世代の受給者たちは、そのお金をソーシャルゲームやメイド喫茶などの娯楽に使うという。(*1)
記事では「「働かざるもの食うべからず」という批判が声が聞こえてきそうだ」と〆ている。
わたしとしては、どうして生活保護者が仲間との交流のためにお金を使うことに対して批判があるのかが、さっぱりわからない。生活保護なんだから、不急不要の遊びなぞに金を使うのはけしからんという話だろうか?
しかし、衣食住だけにしか受給したお金を使ってはいけないというのであれば、果たして受給者はどうやって自立への道を発見するのだろうか?
修行僧のように煩悩を消して我慢をしていれば、まるで悟りのように自立がやってくるシステムであればそれでもいいが、残念ながら私たちの社会はそのようにはできていない。そうして世捨て人となってしまえばますます自立からは遠ざかる。であれば、自立に近づくためには、他人と関わり合いを持ち続けるしかない。
もし、仕事をしていれば、仕事を通して常に他者との関わりを持ち続けることができる。
しかし、生活に十分な仕事を持たない人たちは、仕事を通した他者との関わりを持つことができない。だからこそ欠乏しがちな他人との関わりなどの社会性を、お金で買うことのできる関係性で代替するしかない。記事にある「メイド喫茶に通う人」は、その一例だろう。
お金を使うことで、社会的な立場がなくても、少なくともそのお金の分だけ、他者と対等の立場に立つことができる。お店にとっては、生活保護受給者の2000円も、株式投機で大儲けした人の2000円も、一流企業正社員の2000円も、同じ2000円である。
ソーシャルゲームについても同じことが言える。時間が余っていることから、ある程度のお金で参加でき、時間があればあるほど有利になるような遊びが好ましい。それが定番であるパチンコなどの博打や、新しい所ではソーシャルゲームなのだろう。
もちろん「もっとお金を使わないでもできる」という批判もあるだろう。私もソーシャルゲームに毎月数万も使わずとも、もっと濃密なコミュニケーションは取れると思う。
しかし、手段の効率性に対する批判であればまだしも、生活保護者を受けている人が、娯楽や交流を通して社会性を保つ行為そのものに対する批判は、私には全く理解できない批判の形である。
もし、生活保護受給者たちが一度社会性を失ってしまえば、自立のためには時間と手間と費用がかかってしまう。たとえば、長らくホームレスとして暮らした人は、ゴミを出す方法が分からなかったり、回覧板をどうしていいのかわからなくなって、周囲とトラブルになってしまうという。
また、孤独は精神疾患も生み出す。彼らに就業のチャンスがあったときに、人と話すためのスキルを失っていたのでは、とても自立を目指すことなどできはしない。
人は一人では生きていくことはできず、他者との関わりを持ち続けることは、私達が社会的な存在であるために、もっとも重要なことである。他者とのコミュニケーションを含む娯楽は、人間の社会性をメンテナンスするための機能を有しており、それを生活保護受給者から取り上げることは、逆に社会保障のリスクやコストを大きく引き上げてしまう。
彼らに自立のチャンスが訪れたときに、スムーズに社会に復帰できる状態を保つためにこそ、娯楽という高いコストは、支払わなければならないのである。
それが嫌なら、彼らにちゃんとした収入と自尊心を得られるだけの仕事を、正社員で独占せずに、回してあげればいいだけのことだ。仕事を回すのが嫌なら、コストを払い続ける以外の選択肢はない。
*1:娯楽・遊興費も捻出する生活保護の“若年”受給者たちが増加中(週プレNEWS)
http://wpb.shueisha.co.jp/2011/11/01/7752/
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