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PRは悪なのか?――パブリック・リレーションズの歴史社会学 / 開沼博×河炅珍(後編)

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【前編はこちらから】

タコツボ化する公共圏

開沼 なるほど。企業や政府が、それぞれの時代の「忘れられた人々」のような〈パブリック=他者〉に光を当てることで社会を活性化してきたという見方は、本書でも重要な議論の枠組みですね。

しかし一方で、現代社会においては、公共圏そのものが非常に多極化していますね。近年、社会学では、その多極化した公共圏のなかで排除された人々が声をあげる手段として、デモとかパブリックコメント、国民投票などの方法が注目されました。今はそれが一周して、その声が望む通りには現実は変わらない、というかむしろ意図せざる結果に結実してすらいるような現実も見えてきている。

1970年代のように、現代と比較すれば公共圏が一極にまとまっていた時代には、例えば公害が起これば、社会が一つの方向を向いて戦うということにもなった。でも今はそうではなくて、公共圏が小さく分かれて、いわばタコツボ的になっている。そして、「私はPRの対象としての『他者』とは認められていない」という感覚が社会に充満している。

小池都知事やトランプみたいに、そのなかで偶然まとまっていたところを狙ってうまくいった、という場合もあるかもしれない。でも、そういう場合でもやっぱり、報われない不満や不安を抱えた人はずっと社会に残り続けるわけです。現代社会のこういう状況は、今までの歴史的なPRの枠組みでは解けない問題なのかもしれない。

河 その通りですね。20世紀と21世紀では、PRの行い方においてもかなり違う枠組みが示されています。アメリカでも日本でも、1980年~90年代までのPRは、どちらかというと組織の、単一で強い〈自我=アイデンティティ〉を形成する方向に焦点が絞られ、今はそれとは少し違う現象が起こっているように見えます。

昔のGMとかフォード、日本の東電などの巨大組織は、確固たる存在として社会のなかで自己を可視化させていて、その分、自らが想像=創造した〈パブリック=他者〉と強力に結びついてきました。しかし今は、組織は、ある〈パブリック=他者〉と常に緊密につながっているというより、多くの場合は可視化されない、細分化された〈パブリック=他者〉と、ケースバイケースで結びついている。訴訟とか、何か問題が起これば、組織はその瞬間だけある〈パブリック=他者〉と結びつく。しかしその後、そのまま強力な関係性が維持されるかというと、そうでもないのです。

本書の土台となった博士論文のタイトルは、「PRの20世紀史」でした。つまり、本書を書きながらすでに、「21世紀のPR史」を、また別の角度から理解する必要性を感じていたのです。もちろんその場合でも、本書で示した枠組みは有効です。

21世紀のPRを考えるためには、いま現在、アメリカや日本社会に起きている変化を見なければならない。PRというシンボリックなコミュニケーションの観点からいえば、企業や政府やその他の組織が、昔のような確固とした〈自我=アイデンティティ〉ではなく、もっと柔軟で、瞬間的な〈自我=アイデンティティ〉を求めているように見えるのはなぜか、という問いに答える必要がありますね。

開沼 今は、その状況を指す概念をそれぞれが探している段階かもしれませんね。

河 そうですね。インターネットが発達して、あらゆる社会運動が、かつてよりずっと活発に起こるようになりました。「社会運動が起こる」という状況は、20世紀PRの枠組みでいえば、何らかの問題的状況が活性化されていることを意味するので、PRする主体である企業や政府は、即時に体制や自らの組織の見せ方や見え方などを変える必要性を感じるはずです。

なのに、今、企業や政府の自己修正に対する言説は拡大しているにもかかわらず、実態としては、社会やメディアの変化に比べるとあまり変わっていないのかもしれません。社会運動は社会運動、組織は組織、という感じで、お互いが通じ合う瞬間は具体的な利害問題に限定されてしまう。

感情的であることを求められるPR

開沼 これらの状況のなかで今、「論理ではなく感情に訴えかける社会の風潮」があるのではないか、ということが、「ポピュリズム」「反知性主義」「Post Truth」など、手を変え品を変え次々に新たな概念で指摘されています。

そんななか、そもそもPRは論理ではなく感情、イメージや雰囲気を作る側面もありました。にも関わらず、この「感情に訴えかける」という風潮に、PRが追いついていないように見えるのはなぜでしょう?

河 PRの一部分を構成しているものとして、確かに感情に訴えかけるところもあるかもしれません。PRでは、他者と組織との関係性を、ビジュアルだったり、キャッチフレーズだったりを使って感情的に示すこともできる一方で、高度に論理的な議論をしながら提示することもできる。つまり、「PRというコミュニケーションそのものが、ロジカル(論理的)なのかエモーショナル(感情的)なのか」という問題ではなく、それを支えている関係性の問題なのです。

ではなぜ、PRは感情的なものに見えるのか。もしかしたら、PRとメディアの結びつきに原因があるのかもしれません。当然ながら、PRはメディアを介しますので、メディアの性質や社会的機能によって影響される部分があります。21世紀のメディア技術の変容とともに、今、社会から求められるPRが、より感情的なものへ変化している可能性がありますね。

「東電と福島」をめぐる二層構造

開沼 例えば現状を見ると、東電をはじめとする電力業界は、3.11後、本来の意味でのPR、つまり「パブリックとリレーションシップをもつこと」自体が社会的に許されない存在になっていますね。広告を出したくてもメディア内での考査が通らない。記者会見を頻繁にやってはいるけれど、専門的過ぎて社会全体には伝わらない。

メディア側もアジェンダセッティングが固定化して、「失敗しました」か「申し訳ありません」の2つを言わせたいし、それ以外の言葉を語りだしても、最終的にはつねにそこに持っていく。そしてそれに公衆が飽きる。結果的に全員が、儀礼的で表面的、かつ形式化したパブリックリレーションシップになっていないリレーションシップを続けるという構造になっています。

河 謝る以外の関係性が許されなくなった状態は、PRの失敗でもあります。そもそもPRは、それを行う主体が社会的に必要とされ、存在し続けるための〈自我=アイデンティティ〉と、それを成立させる上で重要な鏡となる〈他者=パブリック〉との間に関係を築くための活動ですから、そこで謝ることしかできないというのは、このような循環がもはや作動しない状況だということを意味しています。

これは、PRというコミュニケーションの失敗なのか、それとも東京電力という企業全体の経営・マネジメントの失敗なのか。おそらく両方の失敗かもしれません。

開沼 マスメディアはもはや、PRのツールとなりえなくなっている部分も拡大しているのでしょう。先に例をあげた東電のことで言えば、東電福島復興本社の石崎代表はマスメディアを通さない、SNSを使ったいわば1対1的な公衆とのコミュニケーションを実践している。そこでは、福島県民を中心に、毎回投稿に数百の「いいね」がつくような関係性が始まっていたりする。

社内では、始める際に「そんなイレギュラーなことはするな」という反発があったとも聞きます。このように、1対1の関係では、必ずしも東電の社員と福島県民がいがみ合っているというわけでもない。でもマスメディア上では、福島県民と東電は憎しみ合い、対抗しあって関係性が壊れている構図が「ロングラン公演」されているので、そういう側面しか見えていない人もいるでしょう。

東電と地域との交流については、地元メディアや共同通信など、一部でしか報道されてこなかった。結果として、マスメディアでは「福島県民と東電の関係性が壊れている」ことになっていて、その固定化したアジェンダセッティングが再生産されつづけ、一方インターネット上では、まったくなんの利権があるわけでもない福島県民が「今日もお疲れ様です。廃炉の情報発信ありがとうございます」と東電幹部と声をかけ合う。両者を観ている側からしてみれば、あたかもパラレルワールドがあるかのような、いわば二重構造、オルタナティブな関係性が生まれています。

この事例を見ても、河さんのご研究の先に何があるのか、色々な可能性があるように思わされます。

開沼博氏

開沼博氏

河 その二重構造は、いくつかの解釈ができると思います。まず、本書の第6章と7章でも分析したように、それまでの東京電力のPRがきわめて成功していたために、地域住民との間で強い関係性が築かれていて、それが今回の事態の収拾とともに復活してきているのか、という見方。もう一つは、今話題に出ているインターネット、SNSの影響であるという見方。

インターネット上では「1対1」になることができます。あるいは、実際には「1対多数」であっても、「1対1」という関係性を感じとることはできます。この、マスメディアよりはるかに高い親密度によって、インターネットは東電のPRの新しい次元を切り開いているのかもしれません。

マスメディアではいかなる関係性も許されないようなケースでも、SNS上では、組織と他者、社会の関係性は、従来のやり方とは全く異なる形から理解されなければならない。これは21世紀の、新しいPRについて考える上で欠かせない問題になりますね。

そういえば、最近SNS上で、企業がまるで生きた人間のように振舞っていますね。本書で私は「企業自我」という言葉を使いながら、企業をはじめとする巨大組織がいかにして「ひとりの社会構成員」になっていこうとしてきたかということを追跡しました。

そして今まさに、企業が比喩ではなく「ひとりの社会構成員」として存在することが、技術的にも可能となりました。これまでマスメディアを使って長年目指してきたことが、バーチャル空間で急速に現実味を帯びてきたのです。2000年以降、PR市場が爆発的に大きくなっているのも、インターネット、SNSの影響が大きいと聞きます。

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