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日本解凍法案大綱 17章 高野、社外取締役に

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牛島信(弁護士)

高野が大木弁護士の目の前に座っていた。

以前、母親から株の買取りを頼まれたという話を切り出したときと同じ会議室、同じ椅子、同じ席だった。

「というわけで、高野、君に向島運輸の社外取締役になって欲しいんだ。

もちろん、オーナーの梶田紫乃さんの了解を得ている。

というより、梶田柴乃さんのたっての希望でもある。

『ウチみたいな、上場もしていない、たかだか売り上げ100億足らずで従業員も10何人程度の会社ではお嫌でしょうが、高野さんはウチみたいな同族会社に真っ当な興味をお持ちです。非上場会社にもコーポレート・ガバナンスが必要だと思っていらっしゃる。株主として金儲けをしてやろうというだけの方ではない。

私はそういう方に社外取締役をお願いしたいんです。

いわば、非上場の同族会社に社外取締役を導入する、その実験台1号として当社を使っていただいては如何でしょうか。ご意向をうかがってください』

とまあ、こういう次第なんだ。

高野、俺は、オマエはやるべきだと思う。

少数株主の三津田沙織さんも大賛成だ。あの、オマエに電話してきたおばあちゃんだよ。

こうなるのが、オマエが同族会社ガバナンス協会って社団法人を作った目的でもあり、必然の発展でもあるじゃないか」

「この俺が?」

「そう。そのオマエが、だ」

「そうなのかもな」

「そうだ。ガバナンスは少数株主の保護だけではない。会社を改善して維持発展させること。それが会社のステークホルダーの利益につながる。社会のためになる。オマエの理論だ」

「そのとおりだ。だけど、火中の栗を拾うようなもんだな」

「それがやりたくて社団法人まで作ったんじゃないのか」

「それはどうだか」

「じゃ、いいじゃないか」

「そうだな」

「決まった。さっそく三津田沙織さんと梶田紫乃さんを喜ばしてあげなくっちゃ。

出来るだけ早く日を入れて、梶田柴乃さんに会ってもらおう。

もっとも、会った途端に、梶田さんから『先生、私、あの手の顔、生理的に嫌いなんです』って言われてしまうかもしれないがな。

はっ、はっ」

「おいおい、じゃあ会う前に俺の写真を梶田柴乃さんに見せておいてくれよ。ウチの社団のホームページには俺の顔が出てるから、あらかじめ見ておいてくださいって言っといてくれ。

ついでに、写真映りの悪い奴だけど実物はいいんだってな」

「まるでお見合いだな。68の男と63の女の間を取り持つのか。なんだかワクワクしてくるなあ」

大木がいつもの微笑みを見せた。高野は苦笑いしながら、

「バカ言え。 仕事だよ、仕事」

「仕事は個人の暇つぶしと矛盾しない。特にオマエのようなヒマ人の場合はな」

「そうだな、そいつは確かにそうかもしれない。

こいつは暇つぶしだったんだな。そうだったのか」

梶田健助は辞任届を出すと、自ら離婚を求めてきた。自分の持っている向島運輸にからむ株式はすべて、財産分与でも慰謝料でも名目はなんでもいい、柴乃にやるといっていた。退職金も要らないということだった。

以後の交渉はすべて弁護士の前原俊剛氏にまかせるともあった。

一刻も早く、向島運輸の株主総会を開いて、新しい代表者を決めなければならなかった。それだけではない。臨時株主総会の目的の一つは、社外取締役の選任だった。

一か月後、臨時株主総会が開かれ高野敬夫は向島運輸の社外取締役になった。

正確にいうと、社名をムコージマ・コーポレーションに変更する定款変更が直前に発効していたから、新しい社名であるムコージマ・コーポレーションの社外取締役になったということだった。

もう株主総会も取締役会の延長のような付け足しではなく、取締役会の開かれる会議室とは別の会議室に開催場所を移して行われた。事前に招集通知も送られた。

株主総会の直後の取締役会で、新たな社長にこれまで取締役常務として梶田健助を支えてきた月島勝則が就任した。32歳で取引先の信用金庫から派遣されてきたのが、梶田健助と柴乃の両方に気に入られて移籍してしまい、以来向島運輸の管理にあたっていたのだった。48歳という月島の年齢は、社名変更と同じように経営の世代交代があったことを内外に明確なメッセージとして伝えた。同時に、オーナーである梶田柴乃が会長の座にすわり、後見役であることも分かりやすい形で示してもいた。

株主総会が終わってすぐ、もう梶田姓から大津姓に戻っていた大津紫乃の姿が大木の事務所にあった。梶田健助に関する処置のために訪れたのだ。

「ふん、株を財産分与にだって、冗談じゃない。あれはあの男が稼いだものなんかじゃありゃしない。すべて三津田作次郎が創りあげたもの。

それなのに、あの男は信託とかいって、会社の財産を持ち逃げして、中野光江なる女性と8歳の娘とヌクヌクと。

先生、私は絶対にあの男を許しませんからね」

辻田弁護士が独りだけで目の前にいた。女性同士の心やすさからか大津柴乃は本音を隠さなかった。

「地獄に落としてやる」

何度もそう繰り返した。その度に感情が高ぶって自分でも抑えられないのが聞いているほうにも伝わってくる。

(この憎しみの源はどこにあるのかしら?

嫉妬?プライドを傷つけられた恨み?未練?

結局はお金の問題?つまり、信託で持っていかれた財産を取り返したいということ?)

辻田は長期戦を覚悟していた。信託を作り上げたのは中川税理士だった。専門家が考えに考えて設定した信託なのだ。簡単に欠陥が見つかるはずもなかった。

しかし、信託は日本では馴染みが薄い。どこかに必ず弱点を見つけることができるはずだ。

果たして裁判所にどう説明してわかってもらえば良いのか。

何人もの学者の鑑定人の奪い合いになる。辻田弁護士は過去の経験からそう予測していた。

社名を向島運輸からムコージマ・コーポレーションに変えたうえ社長も替わり、そのうえ新たに高野敬夫を社外取締役に迎えて、ムコージマ・コーポレーションはすっかり気分が改まり、まるで別の会社になったようだった。

取締役会も毎月一回、欠かさずに開かれている。会長の大津紫乃は毎回出席する。新社長の月島勝則を隣に従え、テーブルの真向かいに座った社外取締役の高野敬夫と相対する。社長の報告、その後のオーナー会長と社外取締役の間のやり取りが取締役会の中心だった。他には、長い間こまごました不動産の保守管理の面倒をみてきた大滝光人が業務担当の取締役として、中川公認会計士があいかわらず監査役として出席している。5人だけの小さなミーティングだった。

1時間半ほどの取締役会が終わると昼ご飯が供される。毎回、近くのうなぎ屋からとった特上のうな重が並らぶ。

そうした日々が平穏に過ぎてゆき新しい夏が近づいてきたとき、先にうな重を食べ終わった大津紫乃が、湯飲みに二、三度口をつけると顔を上げて4人を見回し、取締役会のメンバーで暑気払いをやりましょうと元気な声をあげた。騒動が収まって再び静かな会社に戻り、業績も相変わらず順調な新生ムコージマ・コーポレーションにふさわしいセレモニーだった。誰もが歓迎の意を表した。

台東区の根岸に古くからある香味屋という西洋料理の店での暑気払いだった。

「この店、或る思い出があってとても懐かしいんです」

高野はそう言って、コースの初めにレタスサラダを頼んだ。妻の英子から食事の際には、いの一番に生野菜を食べるように、ただし人参やジャガイモそれにかぼちゃは血糖値がすぐに上がるからダメだと言われているのだ。

高野がレタスをナイフで左から右に横に引くように切ると、隣にすわっていた大津柴乃のため息が聞こえた。

「それ、高野さん、いつもそうされるんですか」

目を見開いている。

「ええ、カットしないとレタスは大き過ぎて口に入らないでしょう」

「そうですね。でも、高野さん、ひょっとしてステーキもカツレツもみんな横にナイフを使われます?」

「別に決めているわけでもありませんが、そうなることが多いですかね。気にしたこともなかったのですが」

やり取りが終わっても、柴乃は高野のナイフさばきに熱心に見入っていた。

香味屋での宴が果て、皆が帰り支度を始めたとき、紫乃は高野にそっと近寄ると小声で、実は少し相談したいことがあるのでもう少し時間をくださいと頼んだ。

2台の黒塗りの車が、前後に並んで銀座にあるカウンターだけの小さな店に向かう。

「みなちゃん、おひさしぶり」

8階にある店の扉を押しながら、紫乃が扉の向こうから歩み寄ってきた女性とあいさつを交わした。高野が黙って扉近くで立ったままでいると、紫乃が高野を紹介した。

「こちら、ウチの社外取締役をお願いしている高野敬夫さん。

といってもウチみたいなちっぽけな会社の社外をしてくださっているのは、高野さんが『同族会社カバナンス協会』っていう社団法人の理事長さんだからなの。ウチは無理にお願いして実験台第1号にしていただいたの」

みなちゃんと呼ばれた女性は、小さな白い顔に細く長い眉を引いている。その眉をつり上げるようにして少し驚いた表情をつくりながら、

「まあ、この方がおばさんがいつもおっしゃっている守護神ていう方なのね」

と声をあげ、うれしそうな顔でまっすぐに高野を見つめた。

「梶田の、いえ、大津のおばさまから、その社団法人のお話、いつもうかがっています。理事長さんがとっても、とっても素敵な男性だっていうことも。むかし大津のおばさまがお世話になった向島運輸の創業者の三津田作次郎という方に似ているって。

雰囲気だけじゃなく声がそっくりなんだそうです。作次郎という方は、それはそれは好い男だったんだそうですよ。優しくて、金離れが良くって、仕事熱心で。声が低いバリトンで、うっとりするようだったんですって。みんなに向島のフィッシャー=ディースカウなんて呼ばれていたそうです。

大津のおばさまときたら、高野さんにお会いしてからというもの、初恋の人に何十年ぶりに巡り合った女学生みたいなんですよ。わけがわかんない」

紫乃は慌てて、

「まあ、みなちゃん、なんてことを」

「ですから私、高野さんを早くお連れしてっておばさまにお願いしてたんです」

と言ってから、意味ありげな顔を紫乃に向けると、

「ほんと、素敵な方。確かにおばさまの守護神ね」

とささやきかけた。

「だって、おばさま、いっつもうっとりとした声で『作次郎の生まれ変わりなの』って、そうおっしゃってるじゃないの」

みなこはいっそうはしゃいだ表情になって声を上げると、こんどは高野に向かって、

「で、守護神さまにはお神酒になにを差し上げましょう?水割りでいいですか?神様ですもの、そんな月並みなのじゃないですよね?」

とたずねた。

「私はできればワイン、それもトカイがあればそれを」

そう注文した高野に、

「もちろん!

神様がハンガリーの貴腐ワインなんて、なんてまあお似合いな」

みなこは感に堪えないといわんばかりに目を見張ってみせると、くるりと後ろを向いてしゃがみこんだ。棚の奥を探り始めたのだ。

「私も同じトカイを」

柴乃が、二人のやり取りに置いて行かれたといわんばかりにわざとらしく少しふくれた声を出す。

みなこはぴったりとした黒いスカートに包まれたお尻を紫乃に向けて突きだしたまま、

「おばさま、いいわねえ。神様とアイアイ・グラスだなんて」

「アイアイ・グラス?」

高野がみなこの背中に問いかける。素直で上機嫌な声だった。

「そう。アイアイ傘っていうでしょう。それと同じ。アイアイ・グラス」

相変わらずみなこはお尻を向けたまま後ろ向きで答えた。

探し当てたボトルを手に振り返ったみなこが、小さなワイングラス二つにほんの少しとろみのあるトカイをゆっくりと注ぐ。

(「16章 梶田健助の隠し財産」の続き。最初から読みたい方はこちらから)

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