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誰のため、何のための「改正」? 精神保健福祉法改正の構造的問題 / 竹端寛

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「重度かつ慢性」という「うさん臭さ」

前回のシノドスでは「『現実的議論』なるものの『うさん臭さ』」について書いたが、今回も同種の「うさん臭い」「現実的議論」がわき起こっている。それが、「重度かつ慢性」という問題である。先に述べた国の検討会資料には、「平成37年までに重度かつ慢性に該当しない長期入院精神障害者の地域移行を目指す」と書かれている。

そもそも地域移行とは、他国に比べて多すぎる長期入院患者を退院させるために政府が打ち出した政策目標である。この際、例えば先述のイタリア・トリエステでは、「最も重度の人」から地域移行をさせ始めた。同じように「重度かつ慢性」の人から真っ先に退院させる、というのであれば、話はわかる。だが事態は全く逆で、「重度かつ慢性」のラベルが貼られたら、退院促進の対象にならないのである。なんだか「現実的議論」に見えるが、僕はここに「うさん臭さ」を感じる。

この「重度かつ慢性」については次のような記載もある。

「「重度かつ慢性」基準案

精神病棟に入院後、適切な入院治療を継続して受けたにもかかわらず1年を越えて引き続き在院した患者のうち、下記の基準を満たす場合に、重度かつ慢性の基準に満たすと判定する。ただし、「重度かつ慢性」に関する当該患者の医師意見書の記載内容等により判定の妥当性を検証し、必要な場合に調整を行う。精神症状が下記の重症度を満たし、それに加えて(1)行動障害 (2)生活障害のいずれか(または両方)が下記の基準以上であること。」

これだけ見ると、もっともらしく見える。さらにはこの基準案を作った精神科医達の報告書では、「地域での受け手がないために退院できない群でなく、医学的・治療的に重度なため慢性に経過する群」「「重度かつ慢性」に相当する患者特性の抽出においては、疾病特性、行動病理、治療抵抗性(反応性)などの軸を考慮すること」などの言葉が並んでいる。ここまで医師に言われると、医療の専門家でなければ、「そういう重症度の高い人なら仕方ないですね」と変に納得していまいそうになる。

だが、僕は医療従事者では無いが、この基準は変だと思う。なぜなら、(1)「重度かつ慢性」という日本独自の基準を作る背景に医療以外の理由が見え隠れするからであり、(2)そもそもその重症度を本人の状態のみに起因させて良いのか、という疑問である。

(1)に関しては、国は「1年以上の長期入院精神障害者(認知症を除く)のうち約6割が当該基準に該当することが明らかとなった」と書いているが、平成27年には17万5000人いる長期入院患者のうち、平成37年には9.7~11.6万人は入院が必要なままだ、と国は推計している。つまり、平成27年の段階で27万6000人の入院者だが、10年後も20.6万人~22.5万の「入院需要」がある、というのだ。

それは裏を返せば「精神科病床を削減しても、20万床分は残しますよ」という裏打ちにも見える。他国に比べて精神科病院が多すぎる事が問題になっているのだが、削減するにしても、一定数は確保しますよ、という約束を、民間病院協会のオーナーと国が交わしているようにも思える。これも僕の杞憂であればよいのだが、でも以前シノドスで引用した民間精神科病院の「そうした病院が病床を減らしても食べていけるような裏付けがなければ、長期入院する精神障害者の地域移行は進まない」という発言と、見事に平仄を合わせているように、僕には感じられてしまう。

そもそも証拠に基づく医療(Evidence Based Medicine)を大切にするなら、なぜ諸外国にはない日本独自の状態をわざわざ規定しなければならないのか、が問われる。もっといえば、「行動病理、治療抵抗性(反応性)」などは、精神科病院が作り出した「施設病」の部分がないか、も気になる。精神科病院での長期入院や閉鎖処遇に「抵抗」し、退院出来ないしんどさを「行動病理」という形で「表現」している可能性があるのではないか、という問いである(注3)。しかし、先の研究報告はそのような視点から「医療や支援プロセスの中で病状が社会的に構築された可能性」に基づく調査はしておらず、(2)そもそもその重症度を本人の状態のみに起因させている、という点が最も大きな問題である。

(注3)これに関連して、知的障害者の強度行動障害と認知症者のBPSDに共通の「問題行動」を「チャレンジング行動(Challenging Behavior)」と捉え直した以下の書籍が参考になる。ジェームス、I・A/山中克夫監訳(2016)『チャレンジング行動から認知症の世界を理解する』星和書店

強制入院の最小化に必要な「対話」

これまで随分と否定的で陰鬱な気持ちになる事ばかりを書いてきたので、日本の精神医療はどうすれば希望が持てるのか、を最後に考えてみたい。

先の「重度かつ慢性」のカテゴライズが「うさん臭い」と僕が思う理由。それは、実際にそのような類型化の対象者が、現に地域で暮らしている姿を目にしているからである。重度で慢性化した精神障害者を、医師や看護師、作業療法士やソーシャルワーカーがチームを組んで訪問して、入院させず、させたとしても最小化して地域の中で支え続ける「包括的な訪問型支援(Assertive Community Treatment:ACT)」チームが機能している地域では、「精神病院から絶対退院出来ない」と言われていた人を、地域で支え続けている。僕も2016年に、千葉のACT-Jと京都のACT-Kの訪問支援に同行させて頂いたが、「精神科病院の中では『沈殿患者』とラベルが貼られていた」という方が、地域で暮らし続けている姿に出会った。「重度かつ慢性」の基準に該当しそうな方であっても、支援チームがうまく機能すれば地域で支え続ける事が可能であり、最初から退院の対象外とする事自体に問題がある。

閉鎖病棟に投入されている莫大な国費や医療費を、こういう地域支援にこそ振り向ければ、わざわざ「重度かつ慢性」という基準を作る必要もなければ、その人々を病院の中に留め置く必要も無い。しかし、現実は真逆のことをしている。国はある時期、ACTの制度化に向けたモデル事業をサポートしていたが、本稿執筆時点でも、ACTを制度化する動きは見られていない。その一方、精神科病棟の延命策にも思える「重度かつ慢性」の基準に基づく政策誘導を粛々と展開しようとしている。

また、希望ある未来と言えば、最近この業界で話題になっている「オープンダイアローグ」も希望できる未来の具現化した姿である。フィンランドの西ラップランドでは、急性期の症状にある人からのSOSの電話があれば、24時間以内に患者とのミーティングの場が設定され、本人が望む人も同席した上で、治療ミーティングを続けていく、という。その際、日本の精神科医療の主流では無視されがちな幻覚や妄想、幻聴といった症状も言葉に出してもらい、その症状を薬で無理矢理押さえ込むことよりも、本人のしんどさや生きづらさをしっかり聴き、受け止める中で、劇的に症状が緩和したり、投薬量が減ったり、場合によっては薬を使わずとも急性症状がなくなる、という。

僕自身も2015年にフィンランドのケロプダス病院を取材したが、診断名を付けたり隔離拘束するより、本人の苦痛を和らげ、生きる苦悩に寄り添う支援をしている事が、実に印象的だった。そして、ケロプダス病院の訪問の後に、そのままイタリアのトリエステにも取材に出かけたが、単科精神科病院をなくしたイタリアのトリエステでしていたのも、ACTやオープンダイアローグと極めて似ている、訪問チームによる訪問や、急性期の本人に寄り添う支援をする中で、強制入院を最小化するための努力、であった(注4)。

(注4)このオープンダイアローグについては、ヤーコ・セイックラ&トム・エーリク・アーンキル著『オープンダイアローグ』(日本評論社)、斎藤環編『オープンダイアローグとは何か』(医学書院)を参照。またイタリアの実践については、先述の大熊一夫の文献を参照。

つまり、ACTやオープンダイアローグ、あるいはトリエステ方式など、「精神医療におけるイノベーション」は着実に実践例や実証データを積み重ね、世界中に広まっている。なのに、ガラパゴスのようにそういったイノベーションを頑なに拒み、未だに強制入院が多く、その最小化に逆行するような改正を行おうとしているのが、悲しいかな2017年の日本の現実なのである。

では、日本の精神医療に希望ある未来を創り出すために何から始めたらよいだろうか。僕は、強制入院の多い現実に「どうせ」「しかたない」と蓋をせずに、オープンな場での対話を続けていくことに希望がある、と考えている。それに関しては、ドイツやオランダで生まれた、精神病者とケアする家族、そして支援者や医療者の三者が対等な立ち位置で話し合うミーティングであるTrialogue(トライアローグ)が役に立ちそうだ。「精神病とは何か?」「何が助けになるか?」「良い支援と悪い支援の経験について」「病名を脇に置く」などの課題について、時には衝突が生まれる内容であっても、それを避ける事なく、話し合いを続けていく。ユーザーや家族は「独自の体験による専門家」として認識され、支援者は「訓練による専門家」であると見なされる。よって、お互いの経験を対等に学び会うことが求められる。そんな場だ(注5)。

(注5)このトライアローグに関しては竹端寛(2016)「四十年後のトリエステ」『福祉労働』(150), 151-159も参照。また英語で読める簡単な解説は以下のサイトに。http://www.imhcn.org/?page_id=2315

さらに、先の『オープンダイアローグ』の中でトム・アーンキルが述べている「未来語りダイアローグ」は、トライアローグと共通性が高く、オープンな対話に基づく社会変革の具体的な方法論である。僕も先日、そのファシリテーター養成集中研修に参加して、「開かれた対話空間」の可能性を実感している。
詳しくはブログの記事「『未来語りのダイアローグ』という希望」も参照。

他の国で出来ているのだから、強制入院の最小化は、日本でも可能なはずだ。でも、それを実現するためには、話し合うべきテーマが沢山ある。現に精神科で終日閉鎖にある18万人の人がどんな状態に置かれているのか。閉鎖処遇を減らすにはどうしたらよいか。「重度かつ慢性」の人を地域で支えるには、どのような試行錯誤が必要か。(再)入院をどうしたら食い止められるか。どんな成功例や失敗例があるか・・・。こういった話題を、病院職員と地域支援の職員、入院経験のある人や現に入院している人、一般市民や家族などが出会い、対等な参加者として「出来る一つの方法論」を共に考え合う場が必要不可欠だ。政策について話し合うのなら、そこに自治体や厚労省といった行政担当者も、同じように対等な一参加者として加わるべきである。

そういう地道な「対話」の努力にこそ、国は率先垂範して、エネルギーを注ぐべきである。「対話」を拒否したところに、新たな希望や展開はみられない。今回の改正の原案を作った検討会には、ごく少数の精神障害の当事者委員も入っていたが、その意見は法改正には反映されていなかった。「私たち抜きで私たちのことを決めないで!(Nothing about us without us)」というフレーズは、障害者権利条約が作られる際に、障害当事者達がずっと言い続けてきたメッセージである。このフレーズに依拠するなら、今回の改正案は、「当事者抜きで当事者の事を決める」という典型的で強圧的な改正案である。

一度進み始めたのだから後戻りが出来ない、とばかりに拙速な改正を突き進めようとしている厚生労働省に今、一番必要なのは、「お互いの経験を対等に学び合う」オープンな対話そのものではないか。そのためこそ、この改正案は一度廃案にして、「対話」をやり直すべきではないだろうか。

*本稿は認定NPO大阪精神医療人権センターの「人権センターニュース」に書いた拙稿「『重度かつ慢性』への疑問」および僕のブログ記事「『おせっかい』の前に信頼関係」に基づいて、大幅に改稿したものである。

知のネットワーク – S Y N O D O S –

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『権利擁護が支援を変える -セルフアドボカシーから虐待防止まで』
竹端寛 (著)


竹端寛(たけばた・ひろし)
障害者福祉政策 / 福祉社会学
1975年京都市生まれ。山梨学院大学法学部政治行政学科教授。専門は障害者福祉政策、福祉社会学。大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。元内閣府障がい者制度改革推進会議総合福祉部会構成員。山梨県障害者自立支援協議会座長。著書に『枠組み外しの旅-「個性化」が変える福祉社会』(青灯社、2012年)、『権利擁護が支援を変える-セルフアドボカシーから虐待防止まで』(現代書館、2013年)など。

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