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多民族国家アメリカと「人種」という言葉ー人種という言葉は使わないのが常識

 多民族国家アメリカを考える上で、第三に定義をしておかなければならない問題は、いうまでもなく、「人種」(レースrace)をどう考えるかであるが、 この言葉はきわめて問題の多い言葉である。

 ユネスコは一九六七年にだした声明『人種および人種偏見についての声明』で「人類を『人種』raceに区分することは、因習的で恣意的なもので、それを何らかの段階秩序に結びつけることは許されない」と述べた。「人種race」という言葉の使用自体が人種主義racismへの感染を意味しているというのである。生物学の分類用語としての「種」は相互に融和・通婚できないという意味をもっているから、とくに「ヒトの種」を意味する漢語の「人種」という言葉を使うこと自体が、現在では、いわば無知の証明であろう。

 また「人種」と翻訳される英語のレースraceという言葉はスペイン語のrazaやイタリア語のrazzaにさかのぼるものであるが、本来は植物や動物をグループ化する用語であった。これが一七・八世紀にベルニエやリンネによって人間の集団に転用されたのであるが、問題は、彼らが「人種」というとき、もっぱら肌の色や顔かたちなどの人びとの見かけの相違が地球上にどう分布しているかを論じたことである。「白色人種・黒色人種・黄色人種」などという見かけを優先した分類が、そのなかから生まれたのであるが、しかし、これは現在のDNA解析を駆使した研究成果からいうと、科学的に無意味な分類、ナンセンスである。『老子』に「色に囚われれば何も見えなくなる」(一二章)とあるが、こういう囚われは、まさに因習的・恣意的なものでしかない。

 最近の分子人類学は、現生人類はアフリカに起原をもち、人類の地球全域への移動にともない、異なる地域環境への適応を遂げたことが明らかにした。肌の色や顔かたちなどは移動していった各地の自然条件におうじて遺伝子に生じた末梢的な相違にすぎない。哺乳類サル目ヒト科ヒト亜科ヒト属に属する現生人類(ホモサピエンス)は生物として完全に一体であって、むしろ人類の類的特徴はきわめて移動性が高く、環境に適応する能力をもっていながら生物的な一体性(相互理解と性的紐帯の強さ)を維持する点にこそある。分子生物学の尾本恵一(『分子人類学と日本人の起原』)はこれらの点をふまえて「人種」という用語は学術的にも破綻しており、使用すべきではないと述べている。

 そもそもリンネやブルーメンバッハなどの生物分類学者の仕事は、ヨーロッパが世界に進出し、世界各地の民族を「文明」の名において支配し、さらにはしばしば虐殺したり、奴隷化したりするのと同じプロセスで進んだ。ヨーロッパの博物学的な生物分類学は、それに対応する人種主義偏見を作り出したのである。人類の高い移動性・適応性は、本来は先述の「民族=エスニシティ」の相違、文化的・習俗的な相違を柔軟に受け入れる素地であったはずであるが、それが「身体の相違」であり、「生き物」としての相違であるとするところに他民族嫌悪(ゼノフォビア)・人種主義が発生するのである。

 こういうことからすると、結局、人類の分子生物学的分類をする場合にも「人種」という用語は一切使用せず、たとえばDNA系グループというような学術的に正確な用語を使うほかないだろう。これは人文社会科学にとっても深刻な問題であって、たとえば、マルクスも『資本論』で「労働の生産性は人種などのような人間そのものの自然と人間を取り巻く自然に還元される」「(世界には)すでに調査が行われた地域だけでもなお四〇〇万人の人食い人種が住んでいる」などと述べている(Ⅰ535)。もちろん、マルクスはダーウィンの見解にふれて、人類の間での性的な交流は差異を作り出すのではなく、むしろ種の典型的な単一性を作り出していく。差異を作り出すのは地質などの環境的自然であり、そのような自然的基礎の上に民族性も存在しているという趣旨のことを述べており、「人種」が環境の産物であることを認めている。しかし、上記のような記述が人種主義な偏見に満ちたものであることは明らかであり、この点でマルクスもヨーロッパ的な偏見のなかにいたのである(全集(31)248)。

 なお、以上からみると、先に見たスターリンの論理は、最悪の人種主義であることがわかる。前述のようにスターリンは「民族=エスニックグループ」を「国民となる資格をもつ民族」と、その可能性がない「人種的な共同体」に区別する。スターリンは、「ギリシャ人、エトルリア人、ゲルマン人、ゴール人、アラビア人」などから「ユダヤ人、ラトヴィア人」以下のロシア帝国内の「ーー人」と表記した集団を「人種的な共同体」とした上で、その中から「民族=国民」の資格あるものを選別するというやり方をする。ようするに特定のエスニック・グループを「人種あるいは種族」にすぎないという形で差別するのである。

 とくにユダヤ人の問題は大きかった。ユダヤ人は、DNA系グループとして独自なグループをなす訳ではなく、あくまでもエスニック・グループである。スターリンは、ユダヤ人について、ロシア帝国内でいえばロシア・グルジア・カフカーズ高地などの異なる地域に住み、異なる言語を使っているから、単一の民族を構成しない「人種」であるとした。ユダヤの人々の広域的な都市間・地域間のネットワークは否定され、その各居住地に同化させるほかないという訳である。この論理が直接に、後のスターリンによるユダヤ人に対する迫害と虐殺につながったことはいうまでもない。

 ソビエト連邦が旧ロシア帝国内から東欧に広がる多様なエスニックグループの自治と自決の権利をどのように保障し、民主主義的な地域間、国際間の関係を作り上げていくかは、現在までも尾を引く大問題である。一九世紀に大国化したロシアとアメリカは同じ問題をもっていたことになるだろう。

 よく知られているように、死去直前のレーニンはスターリンを「粗暴な大ロシア人主義者」と激しく批判し、石にかじりついても糺すと述べたというが、しかし、結局、スターリンの民族理論と人種主義は徹底的に批判されることなく過ぎたのである。

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