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ペギー葉山さんと「ドレミの歌」

ペギー葉山さんが亡くなった。私と同年の人だったことが新聞記事でわかった。ペギーさんを迎えて作った「みんなのうた」の「ドレミの歌」は、この番組のハイライトだったと今でも思う。放送は昭和37年(1962年)の6〜7月の木曜日だった。スタジオには、1音が1尺幅の大きなピアノの鍵盤を作り、その上て関矢幸雄バレエ教室の子供たちが音階の通りに跳ね踊り、それをバックにペギー葉山が歌った。上には大きな楽譜の切り出しをベニヤで作って吊り下げ純白に塗ったから、会心の舞台装置になった。

 歌の最後にはペギーさんの招きで子供たちが前に集まり、ドシラソファミレドと声が低くなった最後に、1オクターブ高い「ドッ」の声とともに全員がバンザイをして歌い納めるのだった。よくできた構成だったが、記録の写真1枚も残っていない。VTRで放送していたのだが、テープは貴重品で、テレビ番組は「放送したら終り」が当時の常識だった。

 ペギー葉山は青山学院の出身で知的な人だから、ふつうのタレントさんとは雰囲気が違っていて、先輩の後藤田ディレクターも気を使っていた。局側の人間に迎合的ではなく、振り付けに対しても自分が納得するまで説明を求めるのだった。スタジオにいるタレントとは、孤独なものだ。出番でライトが当るまでは暗いところで一人で立っている。本番になったら「カメラの前は地獄で、後ろ側は天国」なのだ。

 ペギーさんには、マネージャー役としてお姉さんがついていた。顔立ちのよく似た穏やかな人で、正直に言うとペギーさんよりもずっと美人に見えた。後藤田氏が「天は二物を与えないのか」と慨嘆するような趣旨のことを言ったのを覚えている。

 ペギーさんにはその後も「みんなのうた特集」や「調子を揃えてクリッククリッククリック」などで出演していただいた。「調子を揃えて……」では撮影ロケは榛名山近辺で行ったのだが、あとで「先頭を歩いてるのが私じゃないかと言われるんですよ」と言っていた。もちろん声だけの出演だったのだが、本当にペギー葉山さんを連れてロケに行ってみればよかったと思う。

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