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サンタクロースとも対面。震災で姉を亡くした妹の願いをかなえた周囲の支援

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宮城県石巻市の佐藤珠莉ちゃん(9)はサンタクロースから招待状が届き、フィンランドまで会いに行った。フィンランド政府観光局からの正式な招待だ。珠莉ちゃんは東日本大震災で姉の愛梨(あいり)ちゃん(当時6)を亡くしている。そのため、クリスマスに「お姉ちゃんが帰ってきますように」とサンタクロースにお願いをしていた。

しかし、それは叶わない。ならば、二人に似せてつくった人形が世界旅行をすることの実現をお願いした。それが実現したと思った、珠莉ちゃんは「優しいサンタさんに会いたい」と手紙を書いた。協力者の働きかけで、サンタクロースとの対面が実現した。

この世界旅行やサンタとの出会いを記した「ふたりのせかいりょこう 東日本大震災から6年ーー姉妹人形の奇跡」(祥伝社)が発刊された。二人の母親で著者の佐藤美香さん(41)は「風化はどうしても、していくものだが、忘れないでほしい」と話している。

サンタへの願いごと「おねえちゃんが帰ってきてほしい」

珠莉ちゃんがサンタクロース村に招待されたのは昨年11月だった。一般的に、人は、サンタの存在をいつまで信じているかわからないが、珠莉ちゃんは信じているため喜び、美香さんとともに、サンタ村を訪れた。

4歳の頃だった。珠莉ちゃんが「おもちゃはたくさんあるからいらない。愛梨に帰ってきてほしい」とのサンタにお願いする手紙を書いた。震災の翌年のクリスマスだった。その後、七夕の短冊にも「また、おねえちゃんにあえますように」と書いていた。姉である愛梨ちゃんは震災で亡くなっている。そのため、願いは叶わない。

そんな時だった。日本テレビの「24時間テレビ 愛は地球を救う」を見ていた珠莉ちゃんが、「ママ、これ、お姉ちゃんにやってもらえないかな」と言い出した。「これ」とは、飛行機に乗れない病気の少女の代わりに、そっくりな人形を旅行者に託して、海外で撮影した写真を少女に届けるものだった。困った美香さんは、現実的な対応をした。

「素敵だね。でも、これはテレビ局の人が作ったんだよ。同じことは難しいよ」

珠莉ちゃんは「え?やってもらえないの?」と言いながら、不満そうな顔をした。その時は納得したようだったが、その年のクリスマスに珠莉ちゃんはサンタあてに「お姉ちゃんとそっくりな人形がほしい」と書いた。

これも美香さんには無理難題だった。手が器用じゃないので、作れない。そこで、石巻市で家族を亡くした子どもたちの支援をしている一般社団法人「こころスマイルプロジェクト」の代表に相談した。すると、「ぬいぐるみでよければボランティアで作れる人がいる」ということで、写真を参考にして作られた愛梨ちゃんと珠莉ちゃん、そしてサンタクロースのぬいぐるみが届いた。

愛梨ちゃん(右)と珠莉ちゃんが写っている写真

さらに翌年のクリスマスには、二人の人形に世界旅行をさせてほしい、との内容をサンタあてに書いていた。  

 <あいり姉ちゃんとたくさん旅行をしたかったので、わたしのゆめをかなえてください。たびをしたときの人形のしゃしんをいっぱいとってきて、きねんにほしいです。わたしのゆめをかなえてください>

「ママに言ってるんじゃない。サンタさんにお願いしてるの。」

これもまた美香さんには悩ましい。

「サンタさんでもどうなのかな。代わりに、珠莉とママとパパとで、人形を一緒に海外旅行に連れて行ったら?」

珠莉ちゃんはこう言った。

「ママに言ってるんじゃない。サンタさんにお願いしてるの。お人形二人で行かせたいの」

美香さんは、親としてクリスマスプレゼントに子どもがほしいものを把握するために、「手紙を書かないとサンタさんからのプレゼントは届かない」と言ってきた。そのため、珠莉ちゃんは、あくまでも手紙はサンタさんにあてて書いているものだ。それにしても、美香さんはまた困った。

そんなときに偶然、地元紙・河北新報の記者とカメラマンが遊びにきて、話をしたところ、記事にしてくれたという。すると、多くの賛同者が集まった。被災地の復興をサポートしているNPO法人「ガーネットみやぎ」が、プロジェクト化して、賛同者を募ることになった。個人や団体が海外へ向かうときに、二人の人形を持っていき、写真を撮る。結果、人形は多くの国々に旅立ち、写真を撮ることができた。

安全な場所にいたはずの姉だが....

2011年3月11日14時46分、地震が発生した。すぐに津波警報がなっていたが、そのとき、愛梨ちゃんは市内の日和山にある私立日和幼稚園にいた。日和山は、JR石巻駅の南側にある丘陵地帯だ。東側にはすぐ旧北上川がある。南側は石巻湾で約500メートルの距離だ。ここは、松尾芭蕉も訪れている風光明媚な場所だ。かつては石巻城の城郭があり、現在は日和公園となっている。

海や川が近いが、日和山の高さは六一・三メートル。津波警報があっても、津波がこの山を超えることは考えにくい。園はその中腹にある。そのため、地震が起きても園内に残っているか、避難するとしても、山頂へ行けばよい。

日和山から石巻湾をのぞむ風景。このころは被災した市立病院が解体されずに残っている(13年3月23日撮影)
最近の日和山からの風景。市立病院はJR石巻駅前に移設された。土地が整備され、復興公営住宅が建っている(17年3月13日撮影)

母親の美香さんは時計を見た。すると、幼稚園のバスが出発する前だ。津波の情報もあったが、園舎は高台にあるため、「大丈夫」と思った。家族がいる場所で最も安全な位置だったからだ。

一方、愛梨ちゃんの妹、珠莉ちゃんは当時3歳。美香さんとともに家にいたときに地震が起きた。テーブルの下に入るように促した。その後、津波注意報がなったため、珠莉ちゃんを2階にあげた。カーテンが濡れないようにもしていた。海岸線からは約3キロの内陸部だったものの、しばらくすると、近くの運河から津波があふれ、自宅に入り込んだ。二人とも浸水しなかった二階に避難していたため、無事だった。

自宅近くの運河。ここから津波があふれ出た。

「津波は10メートルという話もあったが、家族の中では一番、愛梨が安全な場所にいたから安心していた」

危険な場所にいたのが夫だった。幼稚園の近くだが、低地が職場だ。しかし、従業員らは高台に向かった。しばらくして夫は幼稚園へ行き、園長に「愛梨の父ですが...」と尋ねた。園長は「津波に巻き込まれたかもしれない」と返した。

幼稚園のバスは地震後、園児たちを乗せて、海側に向かって出発した。しかも、本来は別のバスに乗るはずの内陸部に住む園児も乗せた。愛莉ちゃんも乗っていた園児の一人だった。

海岸近くに住む園児を下ろした後、バスは一旦、日和山の近くまで戻りつつあった。幼稚園の教諭が「バスを高台にあげるように」と伝えにきた。その場所は、日和山に登る階段が近い場所だった。しかし、通常のルートを運行し、幼稚園に戻ろうとした。園の教諭は階段で避難したが、園児はバスの中だった。

被災現場で話をする佐藤美香さん(16年1月14日撮影)
被災現場の現在。盛り土がなされ、住宅が建てられようとしている(17年3月13日撮影)

その後、運転手は津波を意識したためか、バスを置いて逃げた。愛梨ちゃんを含む園児5人は置き去りのままだ。その後、津波だけでなく、周囲は火災にあっていた。震災から3日後、園児たちの遺体を探したのは遺族だ。幼稚園関係者は探さなかった。しかも現場は火災が発生していた。服の一部が焼け残っていたために確認できた。死因は焼死だった。

被災現場近くにある、
火災に巻き込まれた門脇小学校校舎(11年6月7日撮影)

発見場所が火災となるのは津波から10時間後。夜中まで助けを求める子どもの声が聞こえたとの証言もある。

「地震後に園に来た親たちもいたが、せめてその時に知らせていれば助けられた命があったかもしれない」

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