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「軍歌を歌う幼稚園」で愛国心は育つのか

作家 近現代史研究者 辻田真佐憲=答える人

戦前世代は知っていた「教育勅語」の限界

国有地の取得問題などに関連し、大阪市の学校法人・森友学園の独特な教育に注目が集まっている。同法人が運営する幼稚園では、「君が代」や軍歌を歌い、「教育勅語」を暗唱し、天皇皇后の写真を飾っているというのである。

こうした「愛国教育」を賞賛するものもいないではない。だが、これで本当に愛国心が育めるのだろうか。

少し視野を広げて考えてみたい。明治維新以降、日本の教育は、世界の価値観を基軸にする普遍主義と、国内の価値観を基軸とする共同体主義とのバランスで成り立ってきた。

具体的には、日本は、欧米列強に追いつくため、欧米の思想や制度を積極的に取り入れ、近代的な人間を育成しようとした。その一方で、国民国家の統合を進めるため、日本という共同体の歴史と責任を担う国民を育成しようとした。

普遍主義に偏れば、根無し草の人間が生まれてしまうし、共同体主義に偏れば、視野狭窄の国粋主義者が生まれてしまう。この間でいかに理想の日本人像を作りあげるか。それがここ約150年間の日本の教育の課題だったのである。

話題の「教育勅語」も、この文脈のなかで考えなければならない。

1890年10月に「教育勅語」が発布されるまで、日本では教育方針をめぐってやはり普遍主義と共同体主義が激しく対立していた。西洋式の自立自営の個人をモデルとするか(啓蒙主義)、東洋式の忠臣孝子をモデルとするか(儒教主義)、論争が起きていたのである。

そこで、帝国議会の開院をまえにして、その調和が図られた。白羽の矢が立ったのは、「大日本帝国憲法」の起草にも関与した、法制官僚の井上毅だった。井上は、特定の思想信条に与しないよう慎重に言葉を選んで「教育勅語」を組み立てた。

「教育勅語」というと、戦前特有の軍国主義や神国思想の権化のように思われるかもしれない。だが、この文書が発布されたとき、日本はまだ、いつ植民地にされてもおかしくない、極東の弱小国にすぎなかった。そのため、その内容は当時としては意外にも穏当で無難だった。

その分、その後日本が日清戦争や日露戦争に勝利して大国化すると、「教育勅語」の内容は不十分だと指摘されるようになった。産業振興や国際交流、女子教育に関する記述がないなどとして、改訂や追加をするべきだとの意見が相次いだのだ。

天皇の権威がネックとなって「教育勅語」はそのまま残されたが、それを補うために「戊申詔書」や「青少年学徒ニ賜ハリタル勅語」などが発布された(※1)。「教育勅語」は、けっして狂信的ではなかったが、普遍的でも絶対的でもなかったのである。

このように「教育勅語」でさえ、普遍主義と共同体主義のバランスのうえに成り立っていた。その後の教育法令などはなおのことそうだった。

昭和に入って軍国主義や超国家主義が強まると、日本は共同体主義に傾いた。文部省は『国体の本義』や『臣民の道』を刊行し、われわれは普遍的な人類ではなく、国民であり、日本人でしかありえないと主張した(※2)。敗戦後この反動で、普遍主義が強まり、1947年3月「教育基本法」が制定され、どこの国にもあてはまる高邁な理想が掲げられた。すると、今度は日本人としての価値観に欠けるなどとして保守派の反発を招いた。こうして2006年12月「教育基本法」が改正され、「我が国と郷土を愛する」などとの文言が加えられた。現在これにリベラル派が反発しているところである。

日本の教育は、変化する世界と社会に柔軟に対応し、ときに失敗しながらも、着実に成果をあげてきた。特定の文書を絶対視し墨守してきたわけではない。これは忘れてはならない重要な点である。

戦後より戦前のほうが凶悪犯罪は多かった

普遍主義と共同体主義の相克は、21世紀の今日、グローバリズムとナショナリズムのそれにあたる。

日本は、厳しいグローバル競争に勝ち抜くため、世界に通用する人材を育成しなければならない。その一方で、国際政治の基本単位である、国民国家を担う国民も育成しなければならない。理想の日本人像の構築は、今日も英知を結集して取り組むべき、たいへん重大な課題である。

それなのに、「君が代」や軍歌を歌い、「教育勅語」を暗唱し、天皇皇后の写真を飾れば愛国心が養えるなどと考えるのは、あまりに安直すぎはしないか。戦前風の記号を継ぎ接ぎすれば、それらしい「愛国教育」ができあがる。これは、左翼的な教育が強かった55年体制下にはアンチテーゼとしてありえたかもしれないが、いまとなっては時代錯誤にすぎない。

森友学園の「愛国教育」を支持するものは、いまいちど、戦前風の記号をひとつひとつ取り出し、本当に現代社会で役に立つのかどうか、しっかり検証する必要がある。

たとえば、「教育勅語」を復活させれば、凶悪犯罪はじめ、さまざまな社会問題が解決するという主張が昔からあるが、いうまでもなく空論である。すでに述べたとおり「教育勅語」は日本が弱小国だった時代の産物であり、明治後半には見直しの動きがでていた。社会がより複雑になった今日では、到底通用しない。そもそも「教育勅語」が暗記されていた時代のほうが、現代より凶悪犯罪も多かった。たんなる復古主義で社会問題が解決すれば苦労はない。

教育はよく国家百年の大計といわれる。グローバリズムにも、ナショナリズムにも、あるいは新たな時代の局面にも、臨機応変に対応できなければならない。「教育勅語」によい部分があるというのならば、それをいかして新しい文書を作ればよい。

単純な「愛国教育」は日本を滅ぼしかねない

もちろん、グローバリズムやナショナリズムの弊害には注意しなければならない。

森友学園が運営する幼稚園では、2015年秋の運動会で「日本を悪者として扱っている中国、韓国が心を改め、歴史教科書で嘘を教えないようお願いいたします。安倍首相がんばれ。安保法制、国会通過、よかったです」などと園児に唱えさせていたという。単純すぎる外国批判に、やみくもな政権賛美。これは「愛国教育」の弊害そのものだ。

とはいえ、グローバリズムやナショナリズム自体を排除すれば済む話でもない。

イギリスの首相を務めたチャーチルはかつて「民主主義は最悪の政治制度だが、ほかの政治制度にくらべればマシだ」という主旨の発言を行った。その顰(ひそみ)に倣えば、グローバリズムやナショナリズムはろくなものではないが、よりよい代替物がない以上、その問題点を十分に認識しながら、適切に使っていくしかない。

そこで愛国心であるが、この言葉をあえて使うのであれば、それは、あくまで冷静に、国民国家というシステムを無理なく維持・管理・運用する志向を意味しなければならない。稚拙な排外主義や指導者崇拝などは、このシステムを蝕む毒であって、まっさきに取り除くべきものである。

最初の問いに戻ろう。「軍歌を歌う幼稚園」で愛国心は育めるか。もはやいうまでもない。答えは明確に否である。それどころか、このような教育は日本を滅ぼしかねない。

日本の教育は今後も、世界や社会の変化を睨みながら、普遍主義と共同体主義のバランスを柔軟に取っていくべきだ。見せかけの安易な「愛国教育」に惑わされてはならない。

注1:「戊申詔書」は、日露戦争後の1908年に発布された。「青少年学徒ニ賜ハリタル勅語」は、日中戦争下の1939年に発布された。
注2:『国体の本義』は、1937年に文部省が刊行した冊子。『臣民の道』は、1941年に文部省の外局・教学局が刊行した冊子。

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