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政治の嘘にさらされ続けるとどうなるのか――トランプ、ガス燈、もう一つの事実

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政治の嘘に人々が慣れてしまうとどうなるのか。「オルタナティブ・ファクト」「ガスライティング」など、ここのところ注目されている言葉とともに考えます。

目次

  • トランプ氏の嘘は続く
  • ポスト真実とオルタナティブ・ファクト
  • 嘘の効果──ガスライティング
  • 嘘が導くディストピア
  • ハンナ・アーレントの論じる嘘と全体主義
  • 日本の場合
  • まとめ

トランプ氏の嘘は続く

人は嘘にさらされ続けると、どうなるのでしょうか。サンタクロースがプレゼントを持ってきたとか、節分には鬼が来るとかそういう嘘なら、たわいもないものです。しかし、たしかにあったはずのものがないとされたり、明らかな数字の水増しを臆面もなく主張したりすることが、公の世界で次々と続けられる。しかも、社会的な権力を持つ者が、その権力の場において、そうしたあからさまな嘘を言い続けるとしたら、どうなるでしょうか。権力の嘘にさらされ続けた人びとは、一体どのような状態に陥ってしまうのでしょうか。

選挙運動中から不確かな情報や、明白に事実と反する主張を行ってきたドナルド・トランプ氏は、第45代アメリカ合衆国大統領になってからも、同じような言動を続けています。

そして大統領就任式の後、現代世界を語るための興味深い言葉がまた一つ生まれました。「オルタナティブ・ファクト alternative facts」、日本語では「もう一つの事実」「代替的事実」などと訳されています。

簡単にこの言葉の輪郭を説明しますと、次のようになります。ドナルド・トランプ大統領の就任式の後の1月21日、ショーン・スパイサー大統領報道官が「就任式に集まった人数は史上最大だった」と発言します。これが事実とは異なると批判を受け、翌22日に顧問ケリーアン・コンウェイ氏が、NBCテレビへの出演時に、嘘というわけではなく、我々は「オルタナティブ・ファクト alternative facts」を伝えたのだと述べました。

www.huffingtonpost.jp

「オルタナティブ」には、もう一つの、これではない別の、という意味があります。つまりコンウェイ氏は、あなたたちが「事実」だと思っているものとは異なる「別の事実」があり、私たちはそのことを言っている、と主張したわけです。

この発言は波紋を広げ、メディアのコラムがこぞって取り上げたり、Twitterで #alternativefacts のタグを用いて数多くの投稿がなされたりしています。作家のアーシュラ・K.ル=グイン氏(『ゲド戦記』の作者)が、政治家のいう「オルタナティブ・ファクト」とSF作家の創造物とを比べるような考えに対して、作家の作り出すフィクションは「オルタナティブ・ファクト」ではないという批判の公開書簡を出したりもしています。(原文)(日本語の紹介記事

ポスト真実とオルタナティブ・ファクト

前提にはもちろん、「ポスト真実」と呼ばれる風潮があります。このブログでも書きましたが、2016年のオックスフォード辞書が2016年に今年の言葉として選んだというニュースが、日本でも話題になりました。

「ポスト真実」という言葉にしても、「オルタナティブ・ファクト」という言葉にしても、背景にあるのは「真実」や「事実」というものについての意味的な分断が起こっている感覚でしょう。互いに異なる環境下にあり、信条も異にする人びとが、それぞれに異なる「真実」を抱えている。ある人にとって「真実」であっても、別の人にとっては「真実」ではない。そしてその複数ある「真実」は、互いにわかり合うことはないのではないか、という感覚です。

いや「真実 truth」が複数あるということならば、むしろそれは当たり前と思う人も多いかもしれません。「正しい真実」は立場の数だけある──当然といえば当然です。では、「事実 fact」が複数あるとなったらどうでしょうか。人がそれぞれ信じる「真実」ではなく、あるがままであるはずの――たとえば大統領就任式への参加者数のような――「事実」でさえ、複数の「事実」があると主張される世界。しかも、時の政権によって、「別の事実」があるとされる世界。

嘘の効果──ガスライティング

こうした現象は、繰り返される政治の嘘がどのような効果をもってしまうのか、私たちを考え込ませます。

一つの言葉に注目しましょう。トランプ政権の振る舞いを分析する記事の中で目にするようになった言葉に、「ガスライティング gaslighting」というものがあります。CNN, Teen Vogue, NBC, Washington Post などがそれぞれ記事を掲載しています。

ガスライティングは、人や集団を心理的に操作するための「技術」です。1944年にイングリッド・バーグマンが主演した《ガス燈》(原作は1939年の演劇。あらすじはこちら[allcinema])に由来する言葉で、心理学やカウンセリングの世界でもともと使われていたようです。映画は、主人公ポーラが夫から記憶の混乱や誤認などを繰り返し指摘され(実は夫が騙している)ることによって、自からの正気を疑うようになり、騙している夫を信じるようになっていく、という筋書きをもっています。ここから、繰り返し嘘をついたり騙したり、知覚や記憶を否定したりすることによって、対象とする人から正気を失わせて、操作できるようにすることを「ガスライティング」と呼ぶようになりました。

ガス燈(1994) (字幕版)

ガス燈(1994) (字幕版)

『ワシントンポスト』の記事で、Caitlin Gibson氏は言います。

誰かを「ガスライトする」ということは、単にその人々に嘘をついたり、感情を操作したりするということではない。それは誰かを計画的に騙すことによって、彼ら自身の現実に対する知覚を疑わせるよう仕向けていくことなのである。

What we talk about when we talk about Donald Trump and ‘gaslighting’
Caitlin Gibson
January 27

https://www.washingtonpost.com/lifestyle/style/what-we-talk-about-when-we-talk-about-donald-trump-and-gaslighting/2017/01/27/b02e6de4-e330-11e6-ba11-63c4b4fb5a63_story.html?utm_term=.76f09b97427e


今、「ドナルド・トランプはアメリカをガスライトしている Donald Trump Is Gaslighting America | Teen Vogue」と言われるようになっています。嘘によって現実の知覚不全が始まってしまうのではないかと危惧されているのです。

もう一つ、Bloomberg Viewの記事も興味深いです。これは、内田樹さんが日本語に全文を訳しています(原文)(内田訳)。以下内田さんの訳をお借りします。

自分の部下に虚偽を言わせることによって、指導者は自分の部下たちの自立のための足場を-それは彼らと大衆との関係の足場でもあるし、あるいはメディアや他の政権メンバーとの関係の足場でもある-切り崩すことができる。足場を失った人々はリーダーへの依存を強め、命令機構に対して単身では抵抗できなくなる。

http://blog.tatsuru.com/2017/01/24_1954.php

もしあなたがある人があなたに対して真に忠誠心を抱いているかどうかを知りたいと思ったら、彼らに非常識なこと、愚劣なことを命じるといい。彼らがそれに抵抗したら、それは彼らがあなたに心服していないということであるし、いずれ支配者たちの派閥内部に疑惑を生み出す予兆でもある。

http://blog.tatsuru.com/2017/01/24_1954.php

嘘を強要されることによって、部下たちのボスへの依存度を深める、と記事はいいます。たしかに権力関係にあるボスに対して、もし部下が批判や異見をするとしたら、確実な根拠が必要でしょう。このとき、「事実」は有力な根拠になるはずですが、嘘は「事実」を無効にする効果を持ちます。部下は反論の手立てを失い、その組織の中にいつづけるためには、ボスに従うほかなくなるというわけです。

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