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勉強は役に立つか

 「勉強って、やらんといかんと?」と小3の娘は今日も涙をボロボロこぼしながら算数の宿題をやっていた。「きもちわるい〜」と叫び、途中で放り出して彼女は寝た。かわいそう。

 下記のエントリが少し話題になっていた。

勉強は役に立たない 勉強は役に立たない

 小学校・中学校・高校・大学で「役に立つ」の意味が違うと思う。

 そこを分けて考えたい。

 小学校で習うことは、具体的に、社会生活を営んでいく上では欠かせないと思う。これがわからないと、自立はかなり厳しい。

 漢字とか、分数とか、桁の多い掛け算・割り算とか。

 日本の歴史の大ざっぱな流れとか。

 水に溶ける食塩の量が決まっているとか。

 こうしたことがわからないと、いろいろ騙されて、搾取されると思う。

 中学校で習うことにもそういう中身はあるけども、科学的な自然観・社会観を身につける上で、最低限度のものを学ぶのが中学で学ぶことではないだろうか。

 例えば、銅が酸化するとき銅8g:酸素2gで10gの酸化銅ができるとか、そういう細かい知識は社会人になった今、忘れているけども、なんとなく金属と酸素がくっつくときは割合があったよな、みたいな自然観が、習った人の心には沈殿する。その程度でよい。

 英語だって、話せないし、単語とか忘れても、This train is bound for Hakata.とか表示があったら、あー、bound forってわかんねーけど、博多行きとか博多から来た電車ってことかなー程度がわかればいい。*1英語がぼんやりとわかるくらい。韓国語に出会った時と比較すればいいけど、이 기차는 하카타 행입니다.って書かれたものをみても、何もわからない。

 たぶん、中学程度で習うことを、自分の自然観や社会観として身につけたら、かなり科学的な物の見方ができるようになると思う。さらに、具体的内容も忘れていなければ、これだけで知識上は自立した大人として十分やっていけると思う。

 高校はどうか。

 これはぼくの個人体験がかなり入るけど、大学の準備に過ぎない

 必要なことは中学までで終わっているので、ここで学ぶことは「大学へのパスポート」だというのが実感。高校で就職する人にとっては「就職のためのパスポート」。つまり、これ単体では役に立つとは言えない。

 大学の専門はどうか。

 大学の専門まで行くというのは、建前で言えばその専門を極めて研究をするし、またはそれを生かして就職もするということになる。そういう意味で、大学の専門で学ぶことは、就職に直接役に立つ。

 ……と言いたいところだが、そんな人は少数じゃないのか。

 まず、学士レベル、つまり4年間大学で学んだこと、例えば経済学を学んだとしても、会社に行っても直接役には立たないことが多い。現実との乖離さえ感じるのでは。

 理系でも、修士・博士になってようやく研究の端っこに参画できるけども、本当に役立つのはその先に学びを続けてからではないか。

 だから、大学の専門というのは、まとめていえば、多くの人にとっては、直接役には立たない。直接役に立つようなレベルになるのは、もっと研究を重ねた後なのだ。

 つまり、小学校までの勉強は確実に「役に立つ」。

 中学校までは直接は役に立たないかもしれないが、社会を生きて行く上で必要な社会観・自然観を身につける受けでは必要だと言える。

 となれば、高校と大学(4年間)の学びが問題になる。

 直接役に立たないのではないか、と。

 うむ、直接すぐに役に立つことは、あまりない、というのがとりあえずの答えだ。

 しかし、ここでも高校と大学の課程というのは、「科学的な自然観と社会観を深めるのに役に立つ」というのが、ぼくなりの答えである。中学のときにつちかう自然観・社会観を、もっと時間をかけて深めるということだ。体系化し、関連づけていく。

 高校ぜんぶ、そして大学の一般教育のプロセスは、「この世の中がどういうふうに成り立っているのか」をつかんでいくためにある。それを自分の世界観の血肉にしていくところまでやる。「教養」と言われるものと同じものだ。

 専門教育も大学で始まるけど、4年間でやるような専門なんて、どうせ大したものではない。自分が血肉にした世界観(自然観と社会観)を、とりあえず一つの専門学問で試してみる、というほどのことに過ぎない。その専門性を掘り下げてみて、また自分の世界観(自然観と社会観)にフィードバックするのである。

 抽象的になっちゃったので別の言い方をしよう。

 高校や大学で学んだ知識を、断片的じゃなくて、体系的な自然観や社会観の中に落とし込んでいき、お互いに関連づけられたりできるようになっていくことが、本当はゴールへの接近である(そのゴールは決してたどり着かないけども)。

 ぼくが奉じているマルクス主義というのは、そういう体系志向性がある。

 そうすると何かいいことがあるの?

 そうだねえ。世の中のことがよくわかるようになるよ

 まとめなおすと、高校と大学というのは、建前から言えば専門性を磨いて就職や研究に役立てる場所のはずだけども、そう言えるのはごく一部の人のみ。現状では役に立っているかどうかわからないけど、「就職パスポート」(「これくらいの知的作業はできますよ」という記号)として機能している。つまり「就職に役立つ」程度のものでしかない。

 だけど、ぼくは高校と大学は、うまく使えば(自覚的に使えば)自然観と社会観を深めて、その後自分がいろいろ勉強して自分を更新していく際のベース(基盤)を作れるのではないかと思う。そういう意味では「役に立つ」のだ。

 とりあえず、小学生の娘に「役に立つのか」と聞かれたら「小学校で習うことは絶対に役に立つ」と答えている。

*1:「行き」か「来た」じゃ正反対じゃねーかと思うかもしれないが、ホント、その程度でいいんだよ。

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