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「ポスト事実」の時代をいかに越えるか

「ポスト真実」は使いづらい

 今年も残りわずか…と書こうと思っていたら、年が明けていた。

 ということで、2017年最初のエントリは流行語ともなった「ポスト真実(post-truth)」について考えたい。

 正直に言えば、「ポスト真実」というのは使いづらい言葉だと思う。この言葉が使われるようになった発端は、事実に基づかない発言が大々的に行われたり、ネット上のデマサイトが多くのアクセスを集め、虚偽情報が流布するようになったことにあるのだろう。

 だが、それ以前には真実の情報が流通していたかと言われると、ちょっと首をかしげてしまう。そもそも、真実とはやっかいな言葉なのだ。

「真実はいつも一つ!」ではない

 ここでまず注意したいのは、事実と真実とは異なるということだ。事実とは、一般には誰の目から見ても明らかな事柄や出来事を指すように思う。物騒な例えを用いるなら、AがBを刺したとする。この場合、何をどう解釈しようと「AがBを刺した」ということを否定するのは難しい。

 ところが、真実という場合、そこにはもっと込み入った解釈が含まれることになりがちだ。たとえば、「Aは金銭にまつわる恨みを抱いていたがゆえにBを刺した」という文章には、Aの内面に関する推測が含まれている。心の中を見ることはできない以上、別の解釈が生じる可能性は当然にある。もしかすると太陽が眩しかったからかもしれないし、痴情のもつれがあったかもしれない。

 『名探偵コナン』の有名なセリフに「真実はいつも一つ!」というものがある。そして、実際、コナン君は単に犯人が誰かを当てるだけではなく、その犯行の動機にまで踏み込んで解釈をする。だが、実際にはさまざまな解釈がありえるわけで、コナン君の推理を拝聴しても「そんな動機で、人を殺す?普通?」などと思うことはよくある。

 というわけで、様々な解釈の余地がありうる以上、真実は一つではない。ついでに言えば、本屋やアマゾンでよく見かける『○○の真実』という本は、実際には様々にありうる物事の解釈の一つを提示しているにすぎない。にもかかわらず、あたかも唯一無二の解釈を語っているかのような傲慢さ、他の解釈に対する敬意の欠如を示している点で、信頼性の低い著作が多いような印象がある。

「真実」が共有されていた時代は存在しない

 話を戻せば、「ポスト真実」という言葉からは、それ以前には真実が人びとにきちんと伝達されていたという含みが感じられる。だが、真実には様々なバリエーションがありうる以上、以前には真実がみなに共有されていたと想定するのは難しい。何が真実かをめぐっては、ずっと以前から様々な対立が存在していたからだ。

 その一方で、「ポスト事実」というのであれば、言わんとすることは分からないでもない。つまり、事実関係の明白な誤りを含む情報が大手を振ってまかり通るようになっているということだ。昨年のアメリカ大統領選挙では、ローマ法王がトランプ氏を支持したとか、ワシントンDCのピザ屋でクリントン氏が児童虐待をしているとか、明らかに事実ではない情報がネットを中心に流れたという。こうした情報がこれまで以上に影響力をもつようになったのであれば、それをポスト事実の時代と呼ぶことはできるかもしれない。

旧時代的プロパガンダへの回帰

 ちなみに、歴史的に言うなら、ポスト事実の時代とは、旧時代的なプロパガンダ(政治宣伝)への回帰だとも考えられる。現代的なプロパガンダでは、全くの虚偽情報を流すのではなく、事実の一つの側面だけを流すという手法が重視されると言われたことがあった。

 名著として名高い高木徹『戦争広告代理店』(講談社文庫)によると、旧ユーゴスラヴィアの内戦では、対立する民族集団のいずれもが戦争犯罪に手を染めていたにもかかわらず、セルビア人による「民族浄化」ばかりが大々的に報じられた。結果、「セルビア人=悪」という構図が出来上がってしまったというのが、その事例として挙げられる。

 ところが、ポスト事実の時代においては、そうしたプロパガンダ技術の洗練はどこへやら、間違っていようと何だろうとターゲットに悪印象を与えられれば良しという旧時代的な感覚が蘇ってきたということなのかもしれない。旧時代的なプロパガンダがすたれた大きな要因は、その虚偽性が後でバレた場合に責任問題に発展するということがあった。ところが、責任主体が不明確であることが多いウェブメディアの場合、そうした問題が生じづらいということが旧時代的なプロパガンダへの回帰を容易にしたと言えるだろう。

すべては解釈…なのか?

 これまで「真実」と「事実」との区別を前提に書いてきたが、実際には両者の区別がいつもクリアなわけではない。「ある出来事が本当に起きたのかどうか」をめぐっては争いが絶えないし、歴史認識をめぐる論争の多くも事実の有無をめぐって行われている。

 この点を重視するなら、そもそも普遍的な事実なんてものは存在せず、すべては解釈だという発想にたどり着く可能性もある。同じ現実であっても、人はそれぞれに違った見方をする。だとするなら、普遍的な事実の追求などは諦め、自分にとっての真実を追求すればよいという発想だ。

 これに従うと、自分と同じ政治的立場の人びとは善であり正義だということになりがちだ。他方、自分と対立する政治的立場の連中は私利私欲に動かされる悪人か、歪んだイデオロギーに騙された無能者でしかない。

 こうした世界観は心地良いし、悪人や無能者の悪口は盛り上がる。この記事で鋭く指摘されているように、ページビューを集められるサイト運営者と、嘘ニュースを読んで気分が良くなるユーザーが「ウィンウィン」の関係にあるなら、それで良いじゃないかということにもなる。たとえ、それが実際に起きたことに反する情報であったとしても。

事実に対するニーズは存在しないのか?

 ただ、ここまで割り切った発想をする人というのは、それほど多くはないんじゃないか、という気もしている。たとえば、「あなたの立場にとって都合の悪い情報を遮断し、都合の良い情報だけを選択してくれる情報環境で暮らしたいですか?」という質問をされたとして、イエスと答える人はそんなに多くないんじゃないかと思うのだ。

 嘘ニュースサイトの記事を熱心に読んでいる人の多くも、実際にはそれが心地よいからではなく、それが事実だと思っているからこそアクセスしているのではないかと思う(というか、思いたい)。自分が嫌いな政治家、政党、政治運動、知識人、外国政府、外国人がいかに愚かで邪悪なのかという情報がもたらす心地よさは、確かにそれを事実だと信じさせる心理的傾向を生み出すのだろう。だが、いくら心地よくとも虚偽であるとわかればその情報を拒絶するだけの意思をほとんどの人は持っているとぼくは思う。…もちろん、これ自体がぼくの願望が反映された心理的バイアスの可能性もある。

「ポスト事実」時代のメディアと受け手の役割

 仮にもし、ぼくの想定が正しく、多くの人は事実についてそれほど割り切っていないのならば、「ポスト事実」時代のメディアに必要なのは、逆説的ではあれ、これまで以上に事実にこだわることなのではないかと思う。

 ちゃんと足を使って取材をする、出来事の解釈については多角的な視点を示す等々、ネット情報の断片をつなぎ合わせただけの記事との差異化を図っていくことが求められる。毎日の決まった時間に情報を発信すればよかったかつての時代と比べ、情報を出さねばならない頻度が高まっているウェブ時代のジャーナリズムにおいて、それがたやすくないことは確かだろう。けれども、ポスト事実の時代を越えていくためには、原点に立ち返るよりほかない。

 他方で、情報の受け手に求められるのは、自分にとって心地のよい情報ほど疑ってかかるという構えだろう。自分の応援する人物や集団にとって好ましい情報、それらを一方的な被害者とする情報、自分が嫌いな人物や集団の邪悪さや無能さを強調する情報にはとりわけ慎重になる。そして、自分にとって都合の悪い情報を切り捨てるのではなく、その妥当性についてちゃんと考える。それは面倒だし、しんどいし、時にうんざりするような作業ではある。しかも政治的な関心の強い人ほど、その作業の辛さは増すことになる。

 けれども、実はそこにこそ希望があるとも考えられる。幸いにして、世の中の人の多くはそれほど強固な政治的立場を持たないし、だからこそ潜在的には受け入れがたいはずの情報にもそれほど抵抗なく接することができる。ポスト事実の時代を越えていく鍵となるのは、結局のところ、そういう「ノンポリ層」であるのかもしれない。

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