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信長の仇討ちに臨時ボーナス6カ月分を出した秀吉 - 橋場日月

 バブル時代やITバブル時代にはよく臨時ボーナスという言葉を聞いた。業績が良い会社が全社で大パーティを開催し、そこで「社員みんなに利益を還元する!」と宣言して100万円などの金額の一律支給を発表、会場は「ウオーッ!」と興奮のるつぼと化す、といった場面もあった、らしい。残念ながら筆者にはそういう経験は無いが。いや実際そんな所に勤めていた社員さんたちは、さぞやモチベーションが上がっただろう。

 戦国時代、それをすでにやった人物がいる。その人物の名は、史上有数の成り上がり男・豊臣秀吉。

 天正10年(1582年)5月から始まった備中国(現在の岡山県)高松城攻めで、秀吉は半月足らずで長さ4キロメートル、高さ8メートルの巨大堤防を築き、高松城は水没した。

 堤防に使う土俵1個につき銭100文と米1升を支払うという触れを近在にまわし、結果、この堤防には63万5000貫あまりと米6万3500石あまりが投入されたと『武将感状記』(江戸時代中期に編まれた逸話集)にある。この年の米の値段をもとに1貫を現在価値になおして9万円とすると、およそ600億円ほどとなる。少し金額が大きすぎるが、話半分以下としても巨額の投資だったことは間違いない。

 天正10年(1582年)5月20日。堤防は見事に完成した。おりから季節は梅雨。あっという間に城内は水に浸かり、一帯は湖のようになった。あとは高みの見物を決め込んで主君・織田信長の出陣を仰ぎ、毛利軍を一気に粉砕するだけだった。

高松城陥落前に本能寺の変が勃発

 ところが。6月2日早朝、京・本能寺に宿泊した信長が、重臣の明智光秀に急襲され命を落とすという一大事が勃発する。「本能寺の変」だ。その知らせを受けた秀吉は、ただちに毛利軍と講和して軍勢を東に反転させた。「中国大返し」と呼ばれる強行軍で、6日(諸説あり)に高松城から兵をひいた秀吉軍2万人は、岡山城の東の沼城で1泊し、翌日70キロメートルを1日で走破して姫路城に帰り着いた。

 ここで秀吉は兵たちを帰宅させて休息させようとしたが、軍師の黒田官兵衛孝高が待ったをかける。

 「家に帰すのは時間の無駄です。家族の顔を見てしまえば出撃するのをためらう者も出て参りましょう」

 これを聞いた秀吉、もっともと思い官兵衛の手配通りに軍勢を姫路城下の河原に野営させた。といっても、駆り出した町人たちが炊き出しをおこない、存分に食事を与えられた兵たちはみるみる体力を回復していく。大移動をおこなった兵たちに福利厚生面で報いた訳だ。

 

 それだけではない。次に秀吉が放った「第2の矢」に兵たちは狂喜し、河原は大歓声に包まれる事になる。それが「臨時ボーナス」だった。彼は姫路城の蔵に蓄えてあった米と金銀を全て兵たちに分配してしまったのだ。金銀の額は金子(きんす)800枚余りと銀750貫で、米の量は8万5000石ほどだったという(『川角太閤記』)。

 金子とは小判10枚にあたると考えれば良い。銀は重さで取り引きしたり枚数で取り引きしたりと、史料の記録がまちまちなのでややこしいのだが、銀子(ぎんす)1枚=重さ約161グラムの銀、と考えれば良い。これは現行の500円硬貨23枚分でずっしりと重い。1貫は1000匁(3750グラム)にあたり、750貫の銀は銀子1万7469枚ほどに換算できる。

 この年は金子1枚に対し米は42石が買え、銀子1枚で5・2石が買えた。1石は150キログラムで、現代の米価を米10キログラム当たり3000円として当てはめると、金子800枚余りは15億1200万円、銀750貫は40億8774万円、合計すると約56億円になる!

 米もすごい量だ。米8万5000石は12750トン。さきほどの米価を当てはめると米だけでも38億2500万円となる。金銀と米を秀吉の軍勢2万人で平等に分けても、1人当たり47万円だ。米について秀吉は、家来それぞれの給与の6倍程度になるように分配したという。臨時ボーナスで給与6カ月分がドカンと渡されて興奮しない人間はいない。

 「これから信長様の仇を討つ大戦(おおいくさ)に向かう!」と宣言している秀吉だが、それとともに周囲には「大博打をうって見せてやる」と洩らしていた。

 大博打とは、言うまでもなく天下取りの事だ。いちはやく信長の仇・明智光秀を討ち取り、秀吉が天下を取れば、家来たちも、兵は将に、将は大名に成り上がるのも夢ではない。大金とともに大いなる夢をも共有した秀吉軍は、熱狂とともに上洛し、6月13日京の南で明智軍と激突し光秀を敗死させる。秀吉の大盤振る舞いが生んだ勢いが、光秀を圧倒したのだった。

 このあと秀吉は織田家の跡継ぎを決めるために織田家重臣が集まった清洲会議で織田家の運営の実権を握り、翌天正11年(1583年)賤ヶ岳の戦いで織田家の筆頭重臣・柴田勝家を撃破。四国征伐、九州征伐、小田原征伐、奥羽平定と順調に勝利をかさねて、天正18年(1590年)、ついに天下統一を達成する。

 前回紹介した「金銀山野に涌き出で」という日本各地のゴールドラッシュは、この頃ピークを迎えた。

 秀吉が天下を取った事によって日本全国の金山・銀山で採鉱された金銀も税として大坂城へと運ばれて行く。それがどれほどの量だったのか、『慶長三年蔵納目録(けいちょうさんねんくらおさめもくろく)』という史料が残っているので見てみよう。

 全国の金山からは3391枚の金子、そして銀山からは74貫2020匁の銀が、慶長3年(1598年)1年分として豊臣家の金蔵に納まっている。先にも述べたように金子1枚は小判10枚だから、こうして秀吉のもとには江戸時代の千両箱で34箱分の金が毎年入って来たのだ。

 そのうえ、秀吉は自然に転がり込んで来るこの金銀だけで満足してはいない。彼は全国各所の直轄領を管理する代官に指示して、その地域の産物が相場より安ければ秀吉の権威で独占的に買い上げ、相場が高い地域の直轄領に運ばせたうえで、そこでも独占的に売りさばいた。言うならば絶対失敗しようのない商売。

 秀吉はとにかく一般の「陽気で豪放」というイメージと違い、なんでも事こまかく把握して自分で指示しなければ気が済まない男だ。今年の春に初めて公開された書状でも、伊賀で木材調達をしていた家臣の脇坂安治に対して9回も「材木送れ」「材木運送がはかばかしくないのはけしからん」と書き送るほど容赦なく微に入り細をうがって命令している。そんな男が、絶対成功するビジネスモデルを運営するのだから、儲かってしょうがない。利益がドンドン秀吉の懐に入って来る。

 こうして豊臣家のものとなった金銀は、秀吉の道楽にも使われた。道楽というのは聚楽第、伏見城、方広寺などのハコモノ事業を指すのだが、秀吉と全国の大名が消費した金銀は天文学的な額にのぼるだろう。

 その結果、空前の規模の金銀が世間に流通する事になった。全国規模で物資の独占買い付け・独占販売がおこなわれて価格が操作され、金銀の流通量が爆発的に増える。この2条件が揃うとどうなるか。起こるのはインフレだ。

「太閤検地」を実施した意図

 

 この時代の銭は中国から輸入されたものが使われていたが、公式な貿易の途絶や倭寇鎮圧で新たな銭貨は常に不足気味だった。混乱の第一歩は銭の価値が上がったことから始まる。銭が上がって相対的に銀が下がったことで銀決済メインの体制だった当時の経済に大混乱が生じた。

 こうなると上がったはずの銭の価値までが混乱に巻き込まれて下落し、天正2年(1574年)から天正18年(1590年)の17年の間に、銭1貫で買える米の量は4分の1近くに減ってしまった。ただでさえインフレによって金銀の価値が下がった上、上がるはずの銭までインフレの波に飲みこまれていく。経済の仕組みが壊れていく様子が目に見えるようではないか。

 秀吉が「太閤検地」を実施して全国の田の生産量を貫高(土地の生産力を銭で表す)から石高(土地の生産力を米の量そのもので表す)に大転換したのも、豊臣ビジネスモデルを適用するため、他国と統一の基準を設けて、他国へ米を回送販売できるようにシフトするとともに、銭に頼らないシステムが必要になったためだとも言えるだろう。

 秀吉が文禄の役・慶長の役を起こしたのは、朝鮮半島を経由して中国を征服するためではなく、その本当の目的は外征によって日本経済の混乱を建て直そうとしたからではないかとさえ考えられるのだ。結果的にこの朝鮮出兵の失敗が、関ヶ原の戦いに結びついて豊臣家の滅亡のきっかけとなるのだから、秀吉のインフレ政策は自分の首を締めてしまった。

 参照文献:『太閤史料集』(人物往来社)
      『新編 日本史辞典』(東京創元社)
      『読史備要』(講談社)
      『秀吉からのたより』(たつの市立龍野歴史文化資料館)

(イラストレーション・井筒啓之)

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