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残業はみんなで減らせば怖くない、というメカニズムを考える - 塚崎公義(塚崎公義 大学教授)

電通の新入社員が自殺をした事件で、月100時間を超える残業をしていたということから、労働基準監督署がこれを過労が原因の労災と認定した上で、東京労働局などが労働基準法違反の疑いで電通本社に立ち入り調査に入りました。

■飲酒運転と同様、残業規制が一気に「建前」から「本気」に変化するかも
問題は、電通のみならず、多くの企業で違法残業が行われているようだ、という事にあります。筆者は実態を知りませんが、伝え聞く所を信じて、多くの企業で違法残業が行なわれているとの前提で以下を論じようと思います。

日本では、「粉飾決算をした」「部下に違法な残業をさせた」といった行為に対し、「会社のためにしたことだから」という理由で厳しい批判がなされず、その結果として粉飾や違法残業などが後を絶たない、という実情があるようです。おそらく本件も、その氷山の一角だったのでしょう。しかし今回は、世論が動いており、それを背景に安倍総理も労働基準局も本気で取り組むことになるかも知れません。

福岡の飲酒運転による事故を契機として、世論が盛り上がり、それを受けて飲酒運転の取締が格段に厳しくなりました。同じように、違法残業に関する状況が大きく変わるかも知れません。そうなった場合には、労働者にとっては待遇の改善となる一方で、経営者にとっては厳しい状況となりかねません。

個別企業については、専門家が様々な観点から分析や予想をするでしょうから、筆者はマクロ経済の担当として、本件の影響について考えてみたいと思います。

■労働力不足が加速し、労働者の待遇が改善
いままでのように社員に違法残業をさせる事が出来なくなると、企業が最初に考えるのは仕事の効率化でしょうが、これは容易ではないでしょう。仕事が効率化できるなら、既に効率化されていた筈だからです。今までだって、部下を効率悪く働かせて残業させるのが趣味だ、という上司はいなかったはずですから(笑)。

もちろん、本気で見なおせば、少しは効率化の余地はあるでしょうが、そのあたりは筆者の不得意分野なので、とりあえず「多少の効果は見込まれるが、過大な期待は禁物」という事にしておきましょう。

そうなると、必要になるのは社員数を増やすことでしょう。今までよりも少しだけ少ない仕事を、多くの人数でこなせば、残業は減ります。それは企業にとっては大きなコストになります。

一方で、労働者にとっては朗報です。現在の正社員にとっては、サービス残業が無くなり、ワーク・ライフ・バランスが充実します。非正規労働者にとっても大きな朗報です。正社員として採用される可能性が高まりますし、そうでなくとも労働力の需給が引き締まれば労働条件は顕著に改善するはずです。

これによって、ワーキング・プアの生活が改善し、ブラック企業がホワイトになれば、素晴らしいことです。個人消費も増えて、景気にも好影響を与えることになるでしょう。

■違法残業の一因は「合成の誤謬」による「生産性の低さ」
ミクロの集合がマクロですが、マクロの場合には「合成の誤謬」についても考えなくてはなりません。顧客サービスは良いことです。個々の会社が顧客にサービスする事は、ライバルから客を奪ってくるための合理的な行動です。しかし、すべての会社が同じことをすれば、顧客の数は増えずに各社の負担だけが増えます。

たとえば自動車各社のセールスパーソンが顧客に100回の商品説明訪問をしたとしても、どこの会社も何もしなかったとしても、自動車を買いたい客は買うのであって、マクロ的な自動車の売上は同じです。各社とも「正しい戦略に添って頑張っている」のに、全社とも悪い結果となっているのです。まさに「合成の誤謬」です。

もちろん、ダラダラと付き合い残業をしているビジネスパーソンもいるでしょうが、多くのビジネスパーソンは真面目に働いていると思います。それなのに日本のホワイトカラーの生産性が低いと言われている一因は、こうした「合成の誤謬」にあるのだ、というのが筆者の認識です。

この場合、商品説明という営業活動は、結果に結びついていないわけで、表面的には「生産性が低い」と言われる可能性があります。担当者としては極めて効率的に顧客廻りをしているのに、です。これをどう評価するかはともかくとして、日本企業が一斉に商品説明訪問を止めてしまえば、日本企業の労働力不足は大幅に緩和されるでしょう。「合成の誤謬」から抜け出せるのです。

これは、企業間の安売り競争で互いが疲弊していく状況と似ていますが、違いもあります。企業の安売り競争なら顧客にメリットがあり、日本経済全体としてはそれほど悪いことではありませんが、商品説明訪問の回数を競われても顧客のメリットは小さいですから、それが止まることは日本経済全体にとってプラスになるのです。

■「皆でやめれば怖くない」メカニズムが働くチャンス
通常であれば、各社とも「そんな事をすればライバルに客を奪われるから無理だ」と考えますが、各社とも「背に腹は代えられない」と考えて少しずつサービスのレベルを落としていく事なら、起こりえるでしょう。

具体例として、バブル崩壊後に銀行の店舗が大幅に統合され、最寄りの銀行までの距離が遠くなったと感じている読者は多いはずです。各銀行が「経営が苦しいので、店舗数を1%減らそう。それで客が減っても仕方ない」と考えたのですが、実際にはすべての銀行が同じことをしたので、各銀行とも顧客数は減らなかったのです。そこで、「更に1%減らそう」という事が繰り返されたのです。

各銀行が店舗の削減を申し合わせたのだとすれば、それはカルテルですから許される事ではないでしょうが、各行が独自の判断で支店数を減らしたのだとすれば、それは結果として銀行業界に大きな利益をもたらしたはずです。銀行全体としてのコストが大幅に削減できた一方で、日本全国の預金残高は減らなかったからです。顧客には多少の不便をかけることになりましたが、許容範囲でしょう。

同様の事が様々な業界で起こるかも知れません。宅配便が翌日届く代わりに3日後に届くようになっても、「ライバルの会社も3日後ですよ」と言われれば、顧客としても頼まざるをえないので、業界全体としての需要は減らず、各社の売上も落ちないのです。

各業界の各社が同じことを考えれば、日本経済全体として、「合成の誤謬」から抜け出せるかも知れません。統計上の生産性も大幅に向上するでしょう。顧客には若干の不便かも知れませんが、それによって日本人の労働者のワーク・ライフ・バランスが大きく改善するのだとしたら、それは素晴らしいことだと言えるでしょう。

最後になりましたが、今回亡くなられました電通元新入社員の方のご冥福をお祈り致します。

【参考記事】
■少子高齢化による労働力不足で日本経済は黄金時代へ(塚崎公義 大学教授)
http://sharescafe.net/49220219-20160809.html
■労働力不足でインフレの時代が来る (塚崎公義 大学教授)
http://sharescafe.net/49018387-20160708.html
■アリとキリギリスで読み解く日本経済 (塚崎公義 大学教授)
http://ameblo.jp/kimiyoshi-tsukasaki/entry-12156174510.html
■老後の生活は1億円必用だが、普通のサラリーマンは何とかなる (塚崎公義 大学教授)
http://sharescafe.net/49185650-20160728.html
■国債暴落シミュレーション:日銀の債務超過(塚崎公義 大学教授)
http://ameblo.jp/kimiyoshi-tsukasaki/entry-12199547792.html

塚崎公義 久留米大学商学部教授

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