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電通新入社員自殺に考える、労働環境を整備することの本当の意味 (榊 裕葵 社会保険労務士) 

電通で月100時間を超える残業をしていたという新入社員の女性が昨年自殺をし、労働基準監督者がこれを労災と認定したというニュースが流れた。残業時間の長さだけでなく、上司の圧力により精神的なプレッシャーも相当にかかっていたようだ。

■電通は「人権を尊重」し「労働環境を整備」するとのことだが・・・

電通では、1991年にも若手社員が同じような過労による自殺をしてており、裁判の経過なども大きく報道されたが、また同じような悲劇が繰り返されてしまった。

なぜ、このような悲劇を防ぐことができなかったのであろうか。

この点、電通のホームページを見ると、メインメニューに「CSR」というタブがあり、ここにカーソルを合わせると「人権の尊重」や「労働環境の整備」という項目が出てきて、労働者保護に関する電通の取組が数多く紹介されている。

たとえば、「人権の尊重」のページを見ると、人権に対する意識を啓蒙するための研修を行ったり、ハラスメントの相談窓口を社内に設けたりすることはもちろん、社内のクリエーターが「人権ポスター」まで作成しているということである。

「労働環境の整備」のページを見ても、ワークライフバランスの推進や、健康管理体制の整備といった言葉が並び、「メンタルヘルス対策を強化している」ということも明記されている。本社のビル内には、内科、整形外科、眼科、耳鼻科、精神科などの診療が受けられる健康管理センターまで設置されているということだ。

■なぜ電通の福利厚生制度は機能しなかったのか

一般的な中小企業とは比べ物にならないくらい充実した福利厚生メニューが整っているにもかかわらず、過労による従業員の自殺を防げなかったのである。そして、それは今回が初めてだったのではなく、1991年に起こったのと同じことが繰り返されたわけである。

その事実を踏まえると、電通には様々な労務管理制度が整っているように見えて、それが機能していなかったのではないか、という疑問が浮かび上がってくる。

私は電通社内の詳しい事情は分からないので、電通という個別の会社に対して推測で物事は言えない。しかし、一般論としては、制度は色々と制度を整備したり施策を展開したりしても、それが形骸化してしまっているという会社は少なくないと思われる。

■社内制度を形骸化させないための4つの着眼点

そこで、本稿においては、今回の事件を踏まえながら、社員を守るための社内制度を形骸化させないためにはどのようなことに気を付けなければならないか、着眼点を4点説明したい。

■トップの本気

第1は、「トップが本気になること」である。

私は、会社で実施する制度や施策がどれだけ定着するかは、トップがどれくらい本気かによるところが大きいと考える。

たとえば「残業を削減しましょう」という呼びかけに対しても、人事部が各部署に呼びかけるだけでは、各部署の責任者の受け止め方や温度差によってバラツキが出てしまう。

私がサラリーマン時代に勤務していた会社でも、「水曜日はノー残業デーにしましょう」とか、リーマンショック後は「残業は原則禁止」のような指示が出たこともあったが、それを徹底している部署もあれば、聞き流している部署もあるというのが実態であった。

この点、調味料大手の「味の素」は、1日の所定労働時間を7時間15分に短縮するなど、労働時間の短縮やワークライフバランスの実現に取り組んでいる会社として世間的な評価も高いが、私は味の素本社の人事部の方に話を伺ったことがあり、そのような企業風土が実現できている理由を伺ったところ、人事部の方が強調されていたのは、「経営トップのコミットメントによる裏付けがある」ということであった。

トップが残業の削減やワークライフバランスを本気で重要な経営指針として位置づけで社内へ落とし込んでいるからこそ、全ての部署がその重要性を意識しており、管理職はトップの方針を守ろうと意識するし、社員も安心して定時退社や休暇取得ができるということであった。もちろん、その実現を裏付けるための業務の効率化にも積極的に取り組んでいるということである。

逆に言えば、ホームページや社内報にどれだけ綺麗なことを書いたとしても、トップが本心では「世の中にはホンネとタテマエがあるから仕方がないよね」とか「現場に任せるから可能な範囲で頑張ってね」と思っていたら、企業体質は変わらない。トップが労働時間の削減やハラスメントの防止を本気で重要な経営課題と考え、どれだけ真剣に社内に落とし込んでいくかがポイントなのである。

■周知徹底がなければ「宝の持ち腐れ」

第2は、「制度や取り組みを周知徹底すること」である。

社内にどれだけ立派な制度を構築したとしても、社員がそれを知らなければ「宝の持ち腐れ」になってしまう。

たとえば、社内にセクハラやパワハラの相談窓口を設置したとしても、それを周知しなければ社員は相談窓口自体の存在を知ることができないし、仮に知っていたとしても、誰がどのような立場で相談に乗ってくれるのか分からなければ、人事考課で不利益をうけるかもしれないなどと考え、怖くて相談をすることができない。

であるから、社員集会をなどで、窓口の存在や、相談者の立場で話を聞き人事考課上の不利益はないので安心して相談してほしいことを積極的に会社は社員に対してPRしていく必要がある。

電通のホームページによると、電通にもハラスメントの相談窓口は存在していて、「ハラスメント相談課」という組織まで存在しているということである。もし、自殺した女性社員がこのような相談窓口があることを知らなかったり、相談をためらっていたとしたら、非常に残念なことである。

■自社の常識に縛られず、客観的な基準を持つ

第3は、「客観的な基準や数値を意識して労務管理を行う」ことである。

サラリーマンとしてある特定の会社に所属していると、自社の文化が当たり前になってしまいがちである。

「うちの会社は女性社員も含め皆ノリが良いので、これくらいはセクハラにならない」とか「俺が若い頃はもっと厳しくしごかれたので、これくらいの叱り方は当然だ」とか「うちの会社の仕事内容なら月100時間の残業は当然だ」というような、ローカルな価値観に縛られてしまうと、無意識のうちにセクハラやパワハラを引き起こしたり、社員に過重労働を課す結果になってしまう。

したがって、厚生労働省が出している指針や裁判所の判例などに基づき、「こういう行為を行うとセクハラやパワハラになる」ということを把握したり、「月100時間以上の残業は、1か月でもそのような月があれば過労死の恐れがある」というような厚生労働省の基準があることを認識するといったように、経営者や人事責任者が客観的な基準を積極的に学び、社内の各部門の責任者にも教え込んでいかなけれればならない。

そのような基準を周知徹底することで、たとえば、部下を持つ立場の社員に「俺は正しいと思って厳しく部下を指導していたけど、これはパワハラになりかねないやり方だったんだな」という気付きを与えたりしていくことができ、徐々にハラスメントや過重労働の無い企業文化を醸成していくことができるであろう。

■国としては、労務監査制度の構築を

第4は、立法論や政策論になってしまうが、会計監査制度のような「労務監査制度」を、法制度として構築することである。

やはり、どれだけ意識しても当事者としてのバイアスを排除することは困難であるし、確信犯的に過重労働を行わせたりハラスメントを放置したりする企業も皆無ではないと考えられるからである。

財務面に関しては、上場企業に関してではあるが、公認会計士が第三者としての立場から財務諸表や、その根拠となった証憑についてチェックを行うことになっている。

同様に、労務面に関しても、労働基準法等の各種法令や、就業規則で定められたルール等が適正に順守されているか、第三者が定期的にチェックするような仕組みが必要なのではないだろうか、ということである。

確かに、労働基準監督署による立ち入り調査は存在するが、労働基準監督官の数も限られているので、労働者からの申告があったり、大きな労災が発生したときに事後的に立ち入るという場合がほとんどである。それとは別に、予防的な観点から、労務監査制度が必要なのではないだろうか。

公認会計士の財務監査は投資家保護が主目的であるので上場企業に限られているが、労務監査を行うとしたら、どのような規模の会社であれ労働者は等しく保護されるべきであるので、理想としては1人でも労働者を雇っていれば、会社には労務監査を受ける義務があるという形が望ましい。

監査は、公認会計士が財務監査を行うのと同様の考え方で、その会社と利害関係のない中立的立場の弁護士や社会保険労務士が実施するのが適切であろう。

そして、監査コストを誰が負担すべきかというところであるが、大企業であればともかく、中小企業に過大な負担を強いるものになってしまってはならない。したがって、労務監査によって、過労死や離職などが防げるとするならば、労災保険料や雇用保険料に財源を求め、企業希望に応じ監査料の一部または全部を補助することも考えられよう。

■社内制度の構築は経営の重要テーマ

最後に、実効性を持った社員を守るための社内制度を構築することは、社員のためだけでなく、会社や経営者自体のためにもなるということを補足したい。

社員も、できる限り穏便に済ませたいというのが本音であることが多いので、社内の相談窓口が機能していれば、まずはそちらに相談するであろう。だが、そのような窓口が存在していなかったり形骸化していると、労働基準監督署や労働組合に相談したり、訴訟に発展したりして、会社としても対応の負担が大きくなってしまう。上場企業であれば、企業イメージや株価への影響も避けられないであろう。

であるから、過重労働やハラスメントの予防はもちろんのこと、素早い初動対応で問題が深刻化する前に早期解決を実現することで、会社のリスクを防止するという意味においても、実効性のある労務管理体制の構築は、重要な経営テーマなのである。

末筆になりますが、亡くなられた新入社員の方の御冥福をお祈り申し上げます。

《参考記事》
■社会保険の未加入企業は「逃げ切り」ができるのか? 榊 裕葵
http://aoi-hrc.com/shakaihoken-mikanyuu
■社員を1人でも雇ったら就業規則を作成すべき理由 榊 裕葵
http://aoi-hrc.com/blog/shuugyoukisoku-sakusei/
■「非常に強い台風」が接近していても会社に行くのはサラリーマンの鏡か? 榊 裕葵
http://sharescafe.net/49408703-20160829.html
■働く人が労災保険で損をしないために気をつけるべき”3つのウソ” 榊 裕葵
http://sharescafe.net/41626385-20141030.html
■東名阪高速バス事故、11日連続勤務は合法という驚き 榊 裕葵
http://sharescafe.net/45556859-20150715.html

榊裕葵 ポライト社会保険労務士法人 マネージング・パートナー
特定社会保険労務士・CFP 

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