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【読書感想】競馬の世界史 - サラブレッド誕生から21世紀の凱旋門賞まで

競馬の世界史 - サラブレッド誕生から21世紀の凱旋門賞まで (中公新書)競馬の世界史 - サラブレッド誕生から21世紀の凱旋門賞まで (中公新書)

内容(「BOOK」データベースより) 中東生まれのアラブ馬を始祖とし、イギリスで誕生したサラブレッド。この純血種は名馬エクリプスの登場で伝説化され、欧米から世界中に広まった。ダービーなど若駒が競い合うクラシックレースが各国で始まった人気を博し、二十世紀以降、凱旋門賞をはじめとするビッグレースが創設された。観衆の胸を躍らせた名勝負の舞台裏では、人と馬のいかなる営みがあったのか。優駿たちが演じた筋書きのないドラマを世界史としてたどる。

 著者の木村凌二さん、どこかで聞いたことがある名前だなあ、と思っていたら、『ローマ史』に関する著作がたくさんあって、僕もけっこう読んでいたのです。
 こんなに競馬好きだったのか……キングジョージは20回近く現地で観戦し、伝説となっている1986年のダンシングブレーヴの凱旋門賞や、シーキングパールやタイキシャトルの海外G1制覇も生で観たそうですよ。
 
   そんな著者が、さまざまな史料をもとに「競馬の歴史」について語っている新書です。
 僕は競馬大好きなので、これまで、「競馬の歴史」という本はたくさん読んできました。
 この『競馬の世界史』は、かなり長い年月を一冊にまとめているので、近代、とくに太平洋戦争後の日本競馬、海外競馬については、世界史の授業の現代史のようにサラッと流している、という感じで、「最近の日本の名馬について知りたい」という人には、あまりオススメできません。
 でも、そういう本は、他にもたくさんありますから。


 この新書の特長は「近代競馬ができるまで」どのように競馬が行なわれてきたのか、というのが、かなり詳細に紹介されていることです。
 紀元前8世紀に、詩人・ホメロスが書いたものが古代の馬についての最古の記録だと著者は述べています。

 ときは前12世紀、トロイアに攻め入ったギリシア軍の名将5人は手柄をあげ、この追悼競技でそれぞれ二頭立ての戦車を御して競い合う。広大な野原を駆け抜け、折り返し地点の墓石を回って、ふたたび出発点に戻ってくる。優勝馬ディオメデスには美しい耳形の飾りのついた鼎(かなえ)と奴隷女性、2着のアンティロコスには身ごもっている牝馬が与えられた。
 さらにまた、戦車競争は古代オリンピックの花形であった。とはいえ、戦車競争がオリンピックの種目に加わったのは、前680年の第25回大会のときからである。それは4頭立ての戦車競争だった。折り返しの標柱が目立つだけの簡素な競馬場だったが、そこを周回する厳しい闘いに群衆は興奮した。
 それに加えて、前648年の第33回大会のときから、騎乗馬による競争もはじまった。だが、ギリシア人は鞍も鐙も知らなかったので、裸馬にまたがっただけの競馬は戦車競争に比べて迫力に欠けていたらしい。その後も二頭立ての戦車競争や仔馬の競技などが追加され、ヘレニズム期の前3世紀半ばには、競争種目は6種類になっていたという。しかし、なによりも人気を集めたのは、4頭立ての戦車競争であった。


 こうしてはじまった「競馬」は、中世のヨーロッパで大きく「進化」していくのです。
 イギリスのヘンリー8世の時代、1540年にイングランド西北部のチェスターに最初の競馬場が造設されました。
 このチェスター競馬場は現在でも最小規模の競馬場として残っているそうです。
 小回りコースで乗り方が難しく、「チェスター・スペシャリスト」と呼ばれる馬もいるのだとか。
 日本でいえば、「小倉巧者」みたいな感じでしょうか。


 17世紀後半のイギリスの競馬の記録によると、当時は、現在よりもずっと長い距離が「基本」だったのです。

 このころ、ニューマーケットでもほかの競馬場でも、競馬の規定はまちまちだった。プレート競争(楯あるいは金杯・銀杯を争奪する競争)だけが正式の規定をもっていた。ある貴族二人が持ちよった馬の「マッチレースは距離がわずか1マイル半であった。あまりにも短距離すぎたので、公正な発馬をするという条件で、数千ポンドが王宮中で賭けられた」という。マッチレースは4マイル(約6400メートル)が通常であり、それ以上の長距離レースもあったから、1マイル半(約2400メートル)は例外的な短距離レースであった。今では、ダービーもキングジョージも凱旋門賞もこの距離で行なわれているのだが。


 いまの日本では、3200メートルの春の天皇賞も「距離が長すぎて、時代に合わないのではないか」と言う意見が出ることもあるのです。
 すでに、秋の天皇賞は2000メートルに短縮されていますし。
 

 競争馬がその生涯をはじめる年齢は、時代とともに変化してきた。18世紀までは、5歳か6歳にならないうちに出走するのは異例だった。4マイルもの長距離レースが通例だったから、その過酷さに耐えて完走できるのは成熟馬だけだった。
 やがて距離をより短くした競争が広く行なわれるようになると、競争開始年齢も引き下げられる。18世紀後半に開始されたセントレジャー、オークス、ダービーは出走資格が3歳馬に限定されていた。とはいえ、規制が緩かったし、強制力も欠けていたために、馬齢限定戦に、より高齢の馬が出走するという不正が少なくなかった。
 悪名高い1844年のダービーには、全出走馬の歯を検査した結果、2頭が4歳馬であると判明した。うち1頭が優勝馬だったので、もちろん失格になった。ジョッキークラブにとって、このような不正行為を取り締まることは大きな課題となった。

 不正を行なう人はいつの時代にもいるもので、公正な競馬というのは昔から大きな課題だったのです。
 また、競馬の歴史、とくに近代競馬においては、出走馬の年齢がどんどん若くなり、距離が短縮されているんですね。
 昔は、今の競走馬であれば引退してしまうくらいの馬齢で、ようやくデビューしていたのです。
 1823年にアメリカのユニオン競馬場で行なわれた、9歳馬アメリカンエクリプスと4歳馬ヘンリーのマッチレースは、ヒート競争形式といって、二頭の馬が4マイル(6400メートル)を何度か走り、2レース先取したほうが勝ち、というルールでした。
 これを一日でやっていたのですから、いまの競馬ファンからすれば、ものすごい酷使ですよね。
 オグリキャップのマイルチャンピオンシップとジャパンカップの連闘なんて、昔の競争馬に比べたら、まだまだ甘い。
 いまの競馬のスピード化を考えると、昔は距離が長くて出走間隔が短いから馬に負担がかかっていた、と一概には言えないのかもしれませんが。

 この本のなかに、イギリスの『レーシングポスト』紙に掲載された「20世紀のイギリス馬100頭(アイルランド馬を含む)」というのが紹介されています。
 第1位が、1968年生まれのブリガディアジェラード、という馬だったのは、ちょっと意外だったというか、僕はこの馬のことを知らなかったので驚きました。
 ヨーロッパ屈指の名マイラーだったそうで、日本では、凱旋門賞などの中長距離路縁の欧州馬が語られることが多いのですが、現地の専門家は、マイラーなどのスピードがある馬を評価しているのです。
 

 僕たちが観ている日本の競馬というのは、長い歴史の積み重ねの上に成り立っているのだな、ということがよくわかる好著だと思います。  競馬ファンにとっては、まさに「世界史の教科書」のような新書です。

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