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「感動」するわたしたち──『24時間テレビ』と「感動ポルノ」批判をめぐって - 前田拓也

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『24時間テレビ』(日本テレビ)の裏側で放送された、『バリバラ』(Eテレ)が注目を集めている。「検証!『障害者×感動』の方程式」をテーマにした同番組では、24時間テレビを意識したフェイクドキュメンタリーを放送。「感動ポルノ」という言葉とともに、なぜ世の中には、感動・頑張る障害者像があふれるのか? と一面的な障害者の取り上げ方に疑問を投げかけた。

今回は、自身の授業で『24時間テレビ』について取り上げるという社会学者の前田拓也さんに、「感動ポルノ」はなぜ批判されているのか、また「感動ポルノ」批判の痛快さがもつ危うさについてお話を伺った。(聞き手/山本菜々子)

『24時間テレビ』と「感動」

――ご自身の授業で『24時間テレビ』について取り上げるとうかがいました。それはなぜですか?

大学では、ケアする人とされる人との関係性や、障害者を取り巻く社会的な困難について考える授業をいくつか担当しています。わたしの専門は社会学なので、「福祉業界」で働くことを目指している学生でもなければ、これまで障害者とさほど接点もなかったような学生たちを相手に話すことがほとんどです。

かれらにとっての障害者って、『24時間テレビ』でちょっと観たことがあったり、『五体不満足』の感想文書かされたよーとか、その程度のつながりだったりします。他でもないわたし自身もそういう大学生でしたからわかるのですが、かれらが障害者をイメージしようとすると、どうしても、メディアを通した「障害者像」に頼らざるを得ないですよね。こうした前提が、まずはあります (*1)。

だから、授業の導入というか、はなしのとっかかりとして、だれでも知っててわかりやすい24時間テレビについて、「あれ、うさんくさいよねー」「感動の押しつけでウザいよねー」みたいなはなしをします。それを受けて講義の感想を書いてもらうと、妙に印象に残っちゃうのか、「いままでなんとなく違和感あったけどやっぱりそうなんだ!と思いました」とか「自分もずっとそう思ってましたけど言っちゃいけないことだと思ってました!」とか書いてくれます。

24時間テレビといえば、”もう番組中何度目かわからないZARDの「負けないで」を歌いながら号泣する徳光和夫” という地獄のような絵ヅラをまっさきに思い浮かべてしまうわたしですが、どうやら24時間テレビというものが、よくもわるくも「障害者福祉」のステレオタイプとしていまだ機能してしまっている。

わたしの知人の障害者が、24時間テレビが放送された翌日に街を歩いていたら、番組に出演していたわけでもないのに、知らない人から突然「がんばってください!」と声をかけられたり、なぜかお金を無理矢理握らされたりしたことがあるというエピソードを聞いたことがありますね。「せっかくやからもらっといたけど……」と言ってましたが(笑)。でもやっぱりどこか気持ち悪いですよね。

――もらっといたんですね(笑)。今年も『24時間テレビ』は「盲学校&ろう学校の生徒がよさこい大パフォーマンス」「不慮の事故で義足になったサッカー少年 憧れの本田圭佑と交わした約束」「筋ジストロフィーの車いす少女“おひるねアート”でひと夏の大冒険」と、障害と感動をかけあわせようとする意図がタイトルから伝わってきます。障害者は「感動」と結びつきやすい状況なのでしょうか?

そうですね。わたしの大好きな映画に、フランスのろう者の暮らしをとらえた『音のない世界で』というドキュメンタリー作品があります。これは、ろう学級の子どもたちのようすを中心にしながら、ろうの当事者たちへのインタビューなどが挟まれていくという構成でつくられていて、いわゆる「泣ける要素」などいっさいない、非常に「静か」で、淡々とした作品なんですね。

でも、わたしの家の近所のツタヤでは、このDVDが「感動」という謎のジャンル棚に並べられていて、すごく驚いたことがあります。内容はどうあれ、障害者を扱った映画は、レンタルビデオ店では、自動的に「感動」という謎ジャンルに放り込まれがちなんですよね。障害者といえば感動的なやつ、泣けるやつ、ということになります。「余命宣告系難病モノ」と同じ枠なんですね。

「感動ポルノ」の衝撃

――今回、『24時間テレビ』の裏で放送された『バリバラ』では、その様子を「感動ポルノ」として批判していました。これは誰の言葉なのでしょうか?

「感動ポルノ inspiration porn」は、ジャーナリストでありコメディアンのステラ・ヤングさんの造語であり、TEDでのプレゼンテーションを通して知られるようになったものです。車椅子ユーザーの障害当事者としての経験を踏まえた彼女自身の語り口もあいまって、一躍キラー・フレーズになりました。

わたし自身も、彼女のスピーチをはじめて聴いたときには、「ほんまそれ!」「よく言ってくれた!」と溜飲の下がる思いでしたし、なにより、随所に仕込まれたギャグとともに、あくまでも笑えるスピーチのなかでそれを成し遂げたというのがたいへんスマートなやりかたであるように思えて、いたく「感動」しました。

京都に、芸術創作を通じた個性的な活動を展開しているNPO法人スウィングという団体があるんですが、理事長の木ノ戸昌幸さんも著書『Swingy days』の中で「これほどまでに痛烈でユーモアに満ちていて、尚かつ的を得た言葉に、僕はこれまで出会ったことがありません」(木ノ戸 2015: 8)と述べられています。いわゆる「障害者福祉業界」各方面に一定の衝撃を与えているようですね。ちなみにこの本の帯には「24時間TVの真逆らへん」という印象的なフレーズが書かれています。

「感動ポルノ」という日本語訳自体も秀逸なものだと感じます。原語は “インスピレーション inspiration” ですから、ひらめき、あらたな発想、刺激を与えてくれるもの、といったニュアンスなわけで、もちろん「感動させてくれるもの」もその一部に含まれるでしょうが、ある種の意訳が入っています。

けれど、日本語圏の者には、「感動」という訳が用いられるだけで、「ああ、あのへんの、あの感じね」と「ピンとくる」ものがある。そうした「あの感じ」の最たるものが、「『24時間テレビ』的なるもの」だと言ってよいのではないでしょうか。あるいは、「感動をありがとう」という言い回しに居心地の悪さを日々感じている人にとっても、「ピンとくる」ものであるかもしれません。

社会学者の北田暁大さんは、90年代以降テレビを席巻してきた「感動」志向について、(とりわけそれを嫌っていたとされるナンシー関のテキストに寄せながら)こんなふうに書いています。「ほぼ間違いなく視聴者を満足させることのできる番組演出の1フォーマット」である「感動物語」は、感動そのものが問題なのではなく、感動を媒体として築き上げられる送り手=受け手の共犯構造、テレビ的フレームによって世界全体を包摂し尽くそうという不遜な欲望こそが、問題なのだと(北田 2005: 181)。

「感動 “ポルノ”」と言うからには、やはり、観る側の自己満足/自慰行為というニュアンスや、送り手=受け手のメディアを介した共犯関係といったことも批判の対象として含意されているのでしょうし、そういう意味では、かならずしも障害者のメディア上の描かれかたをめぐる問題だけではなくて、今後、より汎用性の高い概念として用いられていく可能性もあるかもしれませんね。

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