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子ども食堂は、貧困者にとって「敗北」

■子ども食堂は一種の「敗北」

貧困問題とは、実は「増殖するマイルドヤンキー問題」でもある。

エグザイルやワンピース人気もこの流れの上に乗っていると僕は思い、その線から当欄で記事を書いてみた(たとえばこれ→ヤンキーは「海賊王」がすき~階層社会の『ワンピース』)。

そのヤンキー層にとっては、実は「子ども食堂」は一種の「敗北」でもある。

一部の貧困層にとって「生活保護を受給することはダメなこと」と捉えるのと同じ意味合いで、子ども食堂のような「福祉的サービス」は、社会からの落ちこぼれ層が得るサービスだとしてラベリングされる。

そのこと自体はよくあることで、例の「弱いものがさらに弱いものをたたく」(ブルーハーツ「トレイン・トレイン」)の構図だ。

皮肉なことに、子ども食堂を提供する人々はどちらかというとミドルクラス=中流層中心で占められており、「子ども食堂」が醸し出す「人にやわらかい社会包摂的なイメージ」にミドルクラスは惹かれる。

この、みんなが平等に「食べる」というサービスを共有・シェアして助けあうというイメージは、文化資本や社会関係資本やもちろん経済資本(P.ブルデュー)などをある程度持っていなければ、生活に余裕がなければおそらく好むことはできない。

それら(文化・社会関係・経済)資本が「痩せて」いれば、文化資本や社会関係資本の具体的サービスである「子ども食堂」を、よいもの・すぐれているものとは直感できず、その意味の豊かさを残念なことに把握できない。

生活保護の受給日を「福祉の日」と自己卑下的に表現することと同じで、食事サービスを無料あるいは安価で受ける子ども食堂は「恥」となる。

それを恥と思う思考展開は、言い換えると貧困による余裕のなさが生み出すとも言え、「敗北」は貧困がつくるとも表現できる。

■ 教師によるヤンキー層へのすり寄り

中流から貧困層へのアプローチとしては、子ども食堂のほかに、たとえば「教師によるヤンキー層へのすり寄り」などもある。

貧困層が少数派の時代、学校では、教師がヤンキーに「すり寄る」(ヤンキーの価値や言葉遣いに「乗る」)ことはそれなりの効果があった。教師はヤンキーことばをあえて使い、ヤンキー価値観を否定することなく、その世界観のなかでコミュニケーションする。そのコミュニケーションの積み重ねがやがてヤンキーの警戒を解き、徐々に「学校」を受け入れていく構図は、70年代後半から80年代にかけたツッパリもののドラマなどではよく見かけたし、現実の高校でも展開されたと思う。

が、貧困層が4割となり数的にメジャー化した現在、教師のすり寄り作戦は、学校全体のマイルドヤンキー化を後押しすることになる(言いかえるとヤンキーになれない少数派が学校に来れなくなる+ヤンキー高校が増殖する/している)。

虐待や育児放棄をしないよう、貧困連鎖の中にいる若い親たち、つまりは20歳前後の親たちとその予備群(高校生と重なる)へと伝えるには、おそらく子ども食堂のような「中流価値からのアプローチ」は2次的アプローチだ。

また、教師による「すり寄り作戦」が有効なのは貧困層が少数派の階層構成の社会であって、ヤンキーが4割から過半数になってしまった学校(多くの「困難校」)においては、単なる「権力(ヤンキー)への媚びへつらい」になってしまう。

■こどもの里

もうひとつ、思いもかけない罠もある。

それは、貧困エリアでの特筆すべき素晴らしい取り組み(たとえばあらゆる子どもや女性でも24時間受け入れる駆け込み寺的居場所)があったとして、そうした個別で特別なサービスが注目されることで逆に、その特別なサービスを受けることが(たまたま)できなかった多くの「貧困被害者」を覆い隠してしまうという皮肉だ。

そのひとつに、大阪市西成区にある有名な「こどもの里」がある。

最近は映画になったことで話題で(映画「さとにきたらええやん」公式サイト)、僕も高校生支援を通じて間接的にだが実際にお世話になった施設だ。

こどもの里は、「さと」として、西成区内や大阪市で子ども支援をしている者であれば誰でも知っている。「さと」があるから、我々は仕事ができる、いざとなったら「さと」と連携すれば緊急避難はできるという意味で、大阪市南部の支援者にとっては非常に心強い存在だ。

が、「さと」はある意味「特例」として受け取られてしまうという危険性がある。あれは「さと」だから、あれはSさんという「巨人」がいるから行なうことができるサービスなのだとして特別視される。

皮肉なことに、貧困層へのこうしたある意味「特例」サービスを強調することは逆に、「特例になれない多数派=〈さと〉と出会えない多くの貧困層/ヤンキー層」を大々的に潜在化させていくという皮肉を生む。

「さと」の奇跡が強調されることで皮肉にも、貧困層の「今ここにあるリアル(虐待や暴力や育児放棄)」が隠されてしまうのだ。こうした構図に哲学的「問い」をあえてたてるとすると、「〈さと〉に来れないことはダメなことか」という問いが出現する。

■「覚醒」と「チーム」

だから僕は、子ども食堂(ミドルクラスからのアプローチ)やこどもの里(特例的なすばらしいサービス)は実は貧困層へのアプローチとしては二次的なものだと思っている。

やはり王道は、日本中にたくさんいる専門家たちを「覚醒」させ、「チーム」形成させることなんだと思う。

具体的には、

1.若者と最も近い人々(教師とパラ福祉職員〈NPOや社協〉)にソーシャルワークを伝え、

2.地域・行政の支援者とのネットワークを構築する

ことだ。こうした地味な、個別スキル向上とそれらのネットワーク構築を各地で展開することが、結果として子ども食堂のさらなる拡大へとつながり(貧困層とつながり)、第2第3、いや全国に1,000の「さと」をつくっていくことにつながる。★

※Yahoo!ニュースからの転載

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