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トップ・アスリートは「氏」か「育ち」か、運動能力をめぐる科学 『スポーツ遺伝子は勝者を決めるか?』 - 東嶋和子(科学ジャーナリスト・筑波大学非常勤講師)

リオ五輪では、ウサイン・ボルト選手をはじめとするアフリカ系選手の活躍が目立ったが、日本人選手も負けてはいなかった。とりわけ、抜群のチーム力で銀メダルを勝ち取った男子400メートルリレーは痛快だった。その興奮のさなか、手にしたのが本書である。


『スポーツ遺伝子は勝者を決めるか?──アスリートの科学』
(デイヴィッド エプスタイン 著,福典之 監修,川又政治 翻訳、早川書房)

 中継映像を見ていると、選手の背負った国旗がどこのものであろうと、陸上種目の上位は必ずといっていいほどアフリカ系の選手が占めている。近い将来、五輪をはじめ、スポーツ・パフォーマンスを競う世界大会は、アフリカ系選手ばかりになるのでは・・・・・・。

 そんな想像を膨らませつつ、競泳や体操、柔道、レスリングなどで日本選手が上位に入ると、種目によっては、ある種の体型が有利になるのかもしれない、と考えもした。

 本書は、「生物的資質とハードトレーニングが、相互にどのようにして運動能力に影響を与えるか」、要するに、運動能力は「遺伝か環境か」「氏か育ちか」というテーマに斬りこむノンフィクションである。

二つのまなざしでとらえた
スポーツ科学の最先端

 実のところ、運動能力は「遺伝か環境か」ではなく、「遺伝も環境も」であることは、広く信じられている。

 しかし、「遺伝と環境は、具体的にどのように相互作用しているのか? 成績に対するそれぞれの貢献度合いはどれほどか?」という突っ込んだ質問への答えは、まだない。

 ヒトゲノムの塩基配列が解読されて以降、「最先端の遺伝子研究の時代へと突入している」というスポーツ科学の現状を、トップ・アスリートたちの悲喜こもごもの物語をまじえつつ、著者なりの視点で検証を試みたのが本書である。

 著者自身、800メートル走の大学代表選手として活躍した経験がある米国人ジャーナリスト。本書執筆時には『スポーツ・イラストレイテッド』誌のシニア・ライターをしていたという。

 アスリートとジャーナリスト。二つのまなざしでとらえたスポーツ科学の最先端は、共感にあふれ、かつ客観的で、心を打つエピソードに満ちている。

「1万時間の法則」は本当か

 まず冒頭で興味を引かれたのが、「1万時間の法則(あるいは10年の法則)」だ。

 「誰がどんな分野のエキスパートになるのにも、必要かつ十分な時間」が1万時間である。つまり、「意図を持った練習」が「1万時間に足りなければ誰もエキスパートになれないが、1万時間に達すれば誰もがエキスパートになれる」。メディアによって喧伝された「法則」が事実か否か、検証することから本書は始まる。

 そもそも発端となった論文の内容はどういうものだったか、その後の研究の展開はどうか、さらには、自分自身を実験台にして「1万時間の法則」をテストしているゴルファーの生活まで紹介され、引き込まれる。

 技能習得に関するありとあらゆる研究を調べた結果は、じつに興味深い。食料品店のレジ打ちから航空管制業務にいたるまで、複雑な業務は、訓練によって個人差が縮まるどころか、むしろ広がった。

 <持てる者はさらに与えられて富み栄え、持たざる者はその持てるものさえも取り上げられるであろう>

 「マタイの福音書」の一節に由来する「マタイ効果」が、技能習得にもあるというのだ。

 「1万時間の法則」は「誰でも努力すれば夢はかなう」というスローガンのために利用されてきたようなものだった。どんな目的であれ、科学的事実をねじまげることには賛成できない、という著者の態度に私も賛成だ。

「戦士・奴隷」の血を引くボルト

 野球のメジャーリーグの選手たちは視力がものすごくいいとか、同じ身長の白人と比べると、黒人の重心(だいたいへそのあたり)は3%高い位置にあるとか、「目からウロコ」の話が、本書には満載だ。

 <メジャーリーグとマイナーリーグの選手を四年以上にわたって検査した結果、総勢三八七人の平均視力は一・五だった。野手は投手より視力が良く、メジャーリーグ選手はマイナーリーグ選手より視力が良かった。メジャーリーグ打者の右眼視力は平均一・八、左眼視力は一・七だった。>

 <重心位置が三%違うと、へその位置が高い選手(黒人)は走る速さが一・五%向上し、へその位置が低い選手(白人)は泳ぐ速さが一・五%向上する。>

 イチロー選手の視力はいくつだろう? 日本人競泳選手は、余程へその位置が低いのか? などと疑問がふつふつわいてくる。

 ほかにも、性差はどのように運動能力に影響するのかとか、ウサイン・ボルトやベロニカ・キャンベル=ブラウンらジャマイカのスプリンターたちは西アフリカから連れてこられた「戦士・奴隷」の血を引いているとか、同じアフリカ系でも長距離選手は東アフリカ、とくにケニアのカレンジン族に集中しているとか、興味深い話は枚挙にいとまがない。

社会要因や環境要因などが複雑にからみあう

 一方、遺伝的要因が有利に働くこともあれば、不利に働き、選手の命さえ奪うこともある。本書には、不運な選手たちの物語も紹介されている。

 トップ・アスリートの誕生には、遺伝的な要因のみならず、その国で何が人気種目であるかをはじめ、競技の歴史や伝統、文化的背景、高地居住などの立地条件、気候、トレーニング方法などの社会要因や環境要因が複雑にからみあう。

 著者は、アスリートたちの成功や失敗の物語にこうした要因も見出しつつ、最終的には、遺伝的に適した体質の選手が適切なトレーニングを行って初めて成功できる、という結論にたどり着く。

 成長に関する専門家であり、世界的なハードル選手でもあるJ・M・タナーの言葉を引いてこう言う。

 「すべての人間が異なる遺伝子型を保有している。よって、それぞれが最適の成長を遂げるためには、それぞれが異なる環境に身を置かねばならない」と。

 「最高のパフォーマンスを発揮するためには、それぞれの才能に合った努力の道すじを見つけることが決定的に重要である」という著者の言葉を肝に銘じて、とりあえずは試行錯誤の精神で、自分に合ったトレーニングを探し始めるとしよう。いくつになっても、「遅すぎるということは決してない」のだから。

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