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【寄稿】熊本地震 から4ヶ月。美しい熊本、暮らす人たち、壊れてしまったものも伝える写真展をすると決めた - カワバタマイ

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熊本地震で震度7の揺れに2度襲われ、大きな被害を受けた益城町。編集部では、その益城町で子育てをしながらカメラマン・着付師として活動するカワバタマイさんに寄稿いただきました。(前回の記事はこちら

助けられる熊本で…頑張れる人、まいっている人、少しずつ進む人、みな精いっぱい生きている。

隣りの家に倒れこんでいた電柱が抜かれていき、新しい電柱が立てられた。

地震発生から50日目の5月下旬、やっと避難先の実家から益城町の自宅に帰ってきた。ライフラインは復旧、でも自宅の隣りもお向かいも裏の家も…だれも住んでなくて夕方からはとても静かだ。朝からは…工事や土地調査、ボランティアの人が片付けにまわり、不安定な道路からは車で砂ぼこりが舞い、常に人のがやがやした気配、自宅の写真スタジオは…まだ開けられないなと感じた。

益城町は、年々人口が若い層も含めて増えている熊本市のベットタウンだ。子育て支援も手厚く、自然豊かで、市内にも近く交通機関も便利。なにより、ひとが良い。みんな親せきみたいに話して、初対面でも宴会だ。わたしは住んで7年目になるが、とてもこの町が好きでずっと暮らしていたい。道路事情が悪い、開発が進まない、いろいろと課題は山積みだが、「人口が増えているということ」確かな未来ある町だと、胸を張っていつも言っていた。

今の益城町は、地震前とは別の意味で人が多い町になった。震源地ということで全国から支援物資が届き、娘の保育園にはしばらく毎週お菓子が届いた。ボランティアが集まり、著名人が避難所に駆けつけ炊き出し、 住宅の全半壊が5600棟以上に及ぶ ため、重機と建築業者を見かけない日はない。「助けてくれているということ」とても有難く、うれしい。でも、思うことがあった。私たちは…助けられる立場、傷ついた町並みの対象、たくさんの命を失った悲しい町のイメージでしばらく止まってしまうのか?町の現状はたしかにそうだ。進まない罹災証明の発行、もう住めない家を前に国からの支援はなく不本意な結果に憤り、再調査。進まぬ先の生活、家の解体。助け合いたいのに、隣りと比べてしまう余裕のない気持ち。町内には、自分を奮い立たせて頑張る人、精神的にまいっている人、自分のペースを崩さず少しずつやろうとする人、いろんな人がいて、みんな精いっぱい生きていた。

美しい熊本、暮らす人たち、壊れてしまったものも伝える写真展をすると決めた


新しい楽しい思い出を作りたいと思った。益城町に気軽に遊びにきてほしかった。わたし達は被災して、これから長い支援をいただき、復興していかなければならない。つらい現実に直面して落ち込むこともある。でも日々は続き、ふざけて笑うことや何気ない日常を話したいのだ。その一方で熊本人は「心配せんでよか、うちは大丈夫だけん」とよく見栄をはる。それなら、心配してくれた人たちにも報告が必要だ。わたしが出来るその手段はひとつしかない。

うちのスタジオで写真展をしよう!地震のことを振りかえり、みんなで素直に涙をながして話をしたり、くつろいだりしてほしい。そう思うと、地震後はじめてワクワクした気持ちが芽生えてきた。さぁ働くぞ!あぁ、こうやって元気になっていくことがあると思いだした。そして、しばらくして考えた。どうせ作品を作るのなら、旅するように全国で写真展をするといいんじゃないか。お礼を言いたい、伝えたいことが、たくさんある。美しい熊本に、いつかまた会いにきてほしい。動機は充分だ、時期は早いほうがいい、そして、仲間が必要だ。広く伝えるために、様々な角度から撮った表現を見せたい、参加することでその人が元気になって、わたしも元気になりたい。

これから記すことは…5月から写真展開催の8月末までの、熊本地震後の日々の記録です。

自宅兼の花屋さんが全壊、ビニールハウスにテントをはり避難生活している

こわい思いもしただろう。でも、好きなみんなと一緒にいれば…。

4月末、SNSで写真展の被写体募集を呼びかけを始めた。 被災当事者だけでなく、何か伝えたいことがある人、家族写真を無くした人、損壊した自宅が自分で撮れない人、そんな人たちを撮りたいと思っていた。するとたくさんのお客さんや友人たちが会いたいと言ってくれて、写真を撮りに出かける日々が始まった。最初に訪れたのは、同じ町内のママ友の避難場所。義両親の家業の花屋であり自宅も兼ねている店舗は全壊だったため、ビニールハウスのなかテントをはり親類一同暮らしていた。昼間に行くと大人は彼女ひとり、子どもたちでいっぱいだった。事情を聞くと、店は全壊であっても親たちは仕事に出ている。葬儀など花を必要とするお客さまのため懸命に昼間は働き、まだ再開せず学校に行けない子どもたちを、たった彼女ひとりで見ていた。会社・職場が被災、ショッピングモールやチェーン店も多くはずっと閉店、ライフラインもまだ復旧せず勤めに出られない人たちもこの頃多かったが、震災だからこそ働くべき業種の人たちの子どもたちは…ボランティアや優しい人たちによって見守られ、過ごしていた。そして、子どもたちの屈託のない笑顔に、大人たちもまた救われている。大人も無理して笑うのでなく、しっかりと手をつないで一緒に歩いて生きていければと思いたい。

生まれた時から住んでいる友人の家、全壊判定。おめでとうと言う不思議。

夫の両親宅も全壊、こういう状況にならなければ、恥ずかしがり屋の義父たちの写真を見ることはなかっただろう。

熊本地震の特徴は、建物の損壊数がとても多い。 応急危険度判定 では、4月の時点で東日本大震災の時の危険度判定数を超えたという。チェーン店や大型ショッピングモールの天井はあっという間に落ちて、益城町や熊本市の趣きのある古い建物は損壊、地震には弱かった。なんせ震度7が2回も立て続けてきている。だけど規模からすると、死者数はすくないと言われる。それは、わたしは時間にとても助けられたと思っている。最初の地震は21時26分、本震は1時25分、多くの人たちは仕事がおわり、子どもたちは親もとへ。特に店舗被害がひどかったから、昼間に起きていたことを想像すると、信じなれないくらいの死者と怪我人が出ていただろう。そして、もう一つの特徴、一見すると住めるのではないかという家がもう住めないレベルで壊れている。国や保険から1円も貰えない一部損壊の判定をされてしまっても。だから、他人からの心ない一言で傷つく人も多かった。入るのが危険だと分かっていても、大切な荷物を取りにいく。解体が決まっていても、きれいな家の姿を最後にみたくて掃除をしにいく。家に対しての想いは、簡単に人は図れない。

友人の生まれた時から住んでいる家、築30年ほどだろうか、荷物を取りに帰るので、一緒にいき写真を撮らせてもらうことにした。罹災証明では全壊だと、もらえる金額が一番高い。今後の生活の見通しが全然違うのだ。だから、この頃の被災者の皆の会話はおかしかった。「家の判定どうだった?」「全壊だったよ!」「よかったね、おめでとう!」場所や人によってはもちろん不謹慎、不本意な結果の人たちも沢山いた。でも、この会話が大丈夫な人同士なら、喜びを感じて少しでも笑って気を緩めたかった。

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