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手術が上手いだけの「手術バカ」はダメな理由

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順天堂大学病院長・心臓血管外科教授 天野篤
 構成=福島安紀 撮影=的野弘路


日常生活を手術のための修行と考えた

8月になってリオデジャネイロ五輪が開催し、日本選手たちのメダル獲得ラッシュが続いています。外国の名前がファーストネームの選手も増えてきて、日本のスポーツも国際化によって強化されてきたという印象がありますし、米国ではイチロー選手がメジャーリーグでの3000本安打を積み重ねて、米国人が諸手を挙げて祝福するという大変に嬉しいシーンも観ることができて、両方ともに心の中で拍手喝采の思いでした。オリンピックに出場するようなアスリートやイチロー選手と重ねるのは恐縮ですが、私のような心臓外科医も両者と似ているところが多いように感じています。

順天堂大学病院副院長・心臓血管外科教授 天野 篤


負けたら最後のトーナメントで相手を倒していって優勝するように、外科医としての実績は他院で断られた難しい症例を見事に手術して社会復帰させる個別評価と、通算安打数のようなコツコツと積み上げた手術経験で築かれた外科医としての生涯実績の二つに投影されるからです。特に後者はベテランという社会的信頼に置き換えられて、新人では得られない特別な評価になるのは言うまでもありません。

私は、関東逓信病院(現・NTT東日本関東病院、東京都品川区)で2年間研修医として働いた後、亀田総合病院(千葉県鴨川市)で手術の腕を磨きました。当時、同院では、アメリカで13年間手術をしてきた医師が心臓血管外科部長を務めており、遠方からその外科医の手術を受けるために患者が集まっていました。早く一人前の心臓外科医になりたい一心で同院の研修医となった私に、心臓外科部長とは別の私の指導医の一人は、手術の助手として経験を積む場を積極的に与えてくれました。当時、大学病院では年功序列で手術を学ぶケースがほとんどでしたから、入ってすぐにどんどん手術に入る機会を与えられたのは本当にありがたかったです。ところがある日、その指導医の先生に、「君は俺が指導する心臓外科医の中では、腕は10人中7番目だな」と言われてしまいました。

年功序列ではないわけですから、10人中7番目なら手術に立ち会わせてもらう機会が減ってしまいます。私は、指導医の先生の言葉をもっと頑張るようにという激励と考えるようにしました。そして、まずは1番を目指すのではなく、レギュラーになるために少ないチャンスを生かすことに徹するようにしました。野球で言えば、オープン戦の時、あるいは代打で出場した時に活躍しないとレギュラーにはなれませんよね。レギュラーになって4番手、5番手になればトップも狙えるようになります。そこで、私は、日常生活を手術のための修行と考えるようにしました。

一つは「糸結び」の訓練をすることです。アスリートで言えば、基本練習や本番前のアップのようなものかもしれません。外科手術では、臓器を制御する際に支配血管を止血しながら手術を進める必要があります。止血のために糸結びは基本手技として欠かせない操作です。特に心臓手術の際、血管や人工弁の縫合に使う糸の結び方は、基本的な結び方だけではなく、片手だけしか使えない時に行う結び方、深い場所での結び方など、さまざまな場面での結び方が想定されます。それを想定しつつ糸結びの訓練をするのです。糸結びの訓練の大切さは、大学6年生の夏休み、父が手術を受けた三井記念病院で1週間研修医の方々と一緒に仕事を学んだ時に、研修医の一人から教わりました。糸結びは練習すれば確実に早くなり、1分間に60回以上結べます。「安全で確実な」手術ができるようになったのは、糸結びの訓練などを続けてきた結果なのです。

なぜ自分の爪を切る時、ハサミを使うのか

もう一つの訓練は、自分の爪を切る時に爪切りではなくハサミを使うことです。手術の時には利き手である右手が使えない場合があるので、左手でも右手と同じように1回で正確に切れるように練習しました。手術に役立ちそうなことは何でもやっておきたいので、外科医になってから現在でも爪切りは使ったことがありません。

ただし、若い心臓外科医には、私と同じ訓練をすることは勧めません。私と同じことをしたのでは差は縮まりませんし、ましてや私を越えることはないと考えるからです。スポーツやデスクワークでも、ライバルと同じことをしていては、いつまでもトップは狙えないのではないでしょうか。

ここ数年、雑誌などの企画で、医療以外の分野で活躍するトップランナーと対談する機会が何度かありました。私は、学生時代から、プロレスで活躍したアントニオ猪木さん(参議院議員)の大ファンですが、猪木さんとも対談しました。その時、聞きたかったのは、心臓外科医と一流のプロレスラーとの共通点です。私は、手術中は頭を使って手術をするのではなく五感を生かすようにしています。手術中は予期せぬ緊急事態に陥ることがありますが、周囲のスタッフがパニック状態になったとしても、頭を一つ持ち上げるような感じで全体を俯瞰し、冷静に対処するようにしています。全体を俯瞰すると、もう一人の自分が指示を出し、難なく緊急事態を切り抜けられることがあるのです。猪木さんも、プロレスで真剣勝負をした時に、同じような感覚を味わっていたそうです。ものすごい歓声の中で闘っている自分を、カメラのズームレンズで見るようにもう一人の自分が見ていて、勝つ方法が見えたとおっしゃっていました。

猪木さんも私も、初めからそんなふうに冷静に試合や手術を重ねたわけではありません。猪木さんも最初のうちは一戦一戦無我夢中だったそうですし、私が、手術を俯瞰して見られるようになったのは、執刀医として責任を持って行った手術が5000例を超えたころからです。心臓外科医には、何が何でも負けは許されません。負けは患者さんの死を意味するからです。本当に一瞬の出来事が引き金となって、元気に退院するはずの患者さんの命を失うことがあります。手術中、同じチームのスタッフを鼓舞するために、「いつ何どき、誰の挑戦でも受ける」と猪木さんの名言を繰り返すことがあります。私にとってのゴールは、患者さんが手術後社会復帰を果たし、手術を受けたことを忘れるくらい元気になることです。

一方で、私は単なる手術が上手いだけの「手術バカ」ではいけないと、常々、自分に言い聞かせています。そのために、医療とは関係のない本を読み、新聞にもできる限り目を通すようにしています。私は毎年、数多くの手術を行っていますが、ここ数年来の医療安全の考え方から、まずは患者さんの安全を第一に考えて「手術が最良の治療選択肢」という判断を医療エビデンスから導き出し、さらに安全で確実に、どのような患者さんに対しても平等に実績が検証されている術式を遂行するようにしてきました。

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