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義足トップアスリートのリオ五輪出場を阻んだ「悪魔の証明」とは - 野口俊晴 ファイナンシャル・プランナー  

■「悪魔の証明だ」


さる都知事選のさなか、ある候補者が週刊誌で自身の女性問題について報じられた時、この言葉を発したといいいます。「悪魔の証明だ」。つまり、痴漢冤罪と同じでやっていないことを証明することは不可能である、ということを言いたかったようです。

本稿はもとより、都知事候補について書くものではありませんが、この言葉で、はたと今回の五輪に思い至ったのです。義足のジャンパーにしてトップアスリート、走り幅跳びのマルクス・レーム選手(ドイツ)のことです。彼は、2015年に8メートル40の記録で優勝したにもかかわらず、リオデジャネイロ五輪の出場資格を与えられませんでした。この記録は北京(2008年)、ロンドン(2012年)の金メダル記録を超えるものでした。それなのに義足装着の優位による記録ではないかと言われ、国際陸上競技連盟から、リオ五輪に出場するには自費(最低でも約3,800万円)で科学データを集め、義足の効果を否定することを条件とされたのです。

■「ない」ことを証明するのは至難


ここまではすでに報じられたことですが、これを知った時、非常な違和感を覚えたものです。これが、「悪魔の証明」だったわけです。ここではレーム選手の五輪出場の是非について論じるつもりはありません。この証明法がどのように作用し、どう対処したらいいのか、レーム選手の件を通して考えてみたいと思います。というのも、この詭弁的な論法が意外と日常生活や仕事、資産設計などで通っているからです。それについては最後にまた触れます。

そこで、言葉の意味について簡単に説明しておきます。「ない」(存在しない、所有しない、行為しない)ことを証明することは、「ある」(存在する、所有する、行為する)ことを証明することに比べはるかに困難である、このことを「悪魔の証明」といいます。「ある」ことを証明するには、たった1つでも存在する証拠を見つければすみますが、「ない」ことを証明するためには、地球上はては宇宙くまなく探しまくってどこにも存在しない証拠をつかまなければならないからです(例えば宇宙人の存在)。そんなことができるのは悪魔(神?)だけです。

■証明義務はどちらにあるか


話を戻すと、マルクス・レーム選手の記録が健常選手に届かないうちは、「義足なのによくやった」という感動と称賛の声がありました。両脚義足ランナー、オスカー・ピストリウス選手(南アフリカ)がロンドン五輪で準決勝まで進んだのと同じ現象です。しかし、ひとたびこの義足のジャンパーが健常選手を抑えて優勝すると一転、器具を使って勝利したのは「ズルイ」と非難の声が上がったのです。「器具のドーピング」とさえ言われました。ドイツ陸連は、健常選手32人と障害者選手1人(レーム選手)の跳躍前と跳躍後のデータを比較して、義足が有利に働いたのではないかという疑問を抱いたわけです。しかし、それは正しい「証明」だったのでしょうか。データを比較するのであれば、少なくとも健常選手と同じ人数の障害者選手が必要だったはずです。

これを受けて国際陸連は、義足について優位性が「ない」ということを証明しなければ五輪の出場資格はないと通告したのですが、明らかに論理が逆です。五輪出場を拒否するなら、証明義務は通告した主催側にあり、義足が有利に働く効果が「ある」ことを立証しなければならないはずです。

■「悪魔の証明」を立証する義務はない


レーム選手はその後、研究チームの協力により自身を実験対象として詳細な科学データを積み重ねてきました。この様子は「NHKスペシャル ミラクルボディ」という番組で放送されました(7月20日)。そして、この結果に対する国際陸連の裁定は「有利とも不利ともいえない」、つまり義足の効果が「ない」という証明が不十分であるとし、五輪出場の資格はないとされたのです。

ここには明らかな矛盾があります。そもそも主催側が義足に優位性が「ある」と立証できなければ、選手側に優位性が「ない」ことを証明する義務はありません。そうでないと「悪魔の証明」に陥ってしまいます。レーム選手はこれ以上のデータは困難であるとし(当然ですが)、今大会の参加申請を1ヵ月前に辞退せざるを得なくなりました。ここでごたごたしていると、五輪どころかパラリンピックに出場することにも影響すると判断したのでしょう。結局、最終結論は次回の世界選手権、五輪へと持ち越される格好となりました。

■まずは相手に証拠を出させよ


義足の優位性が「ない」ことを証明するのに、レーム選手はほかにどうすればよかったのでしょうか。本人自身が体力と能力を意図的に低下させ、実験データの記録を落とすしかないのではとさえ思えてきます。しかし、そんなことをしたら記録そのものが五輪出場の標準記録を突破できなくなり、元も子もなくなります。

あるいはまた、障害を持つあるあらゆる選手の身体にあらゆる器具を装着し、そのすべてについて健常選手に対して劣っていることを証明すればいいのでしょうか(「悪魔の証明」はそれを求めています)。しかし、たとえ99,999人の選手のデータが健常選手に劣っていたとしても、たった1人のデータが健常選手に優っていたら、それは義足の効果「あり」と裁定されてしまうでしょう。それが器具によるものではなく、レーム選手自身の身体能力の卓抜性ゆえであったとしても。

じつは、「ない」ことを証明するにはたった1つ、「ある」ことの証拠を反証すれば足ります。まずは、疑義を呈した側(訴訟であれば原告側)に具体的で明確な証拠を提示させ、それに対して疑義を呈された側(被告側)は、原告側の証拠が不十分であると論破しさえすればいいのです。そうでなければ、被告側は常に「悪魔の証明」につきまとわれることになります。つまり、提出された科学データが「どちらが有利かは言えない」という国際陸連側の結論を引き出した時点で、レーム選手側の「勝訴」だったのです。

■理不尽な論理で権利を失うな


このように、論理の筋が違うのに自分の大切な権利が失われてしまうことが、世間にはけっこうあるものです。例えば、金融商品の販売についても言えます。金融機関などの販売業者から投資リスクについての説明を受けずにリスク商品を購入し、その後大きな損失を被っても、以前は損害賠償の訴訟で勝つのは困難でした。販売者側からリスク説明が「なかった」ことを投資者が自分で立証しなければならなかったのです。いくらリスク説明が「なかった」と投資者が言っても、相手側が説明は「あった」と言えば済んでしまいます。説明が「なかった」という証拠を見つけろと言われても至難だからです。法改正後、説明が「あった」ことを立証する責任が販売者側に移りましたが、本来、証明義務のない投資者に立証責任を負わせること自体が間違っているのです。

訴訟に至らないまでも、義務がないのに証拠を求められ、自分の正当の権利を失うことがよくあります。「やってないなら、やってないという証拠を見せろ」と言われたら、何の手立てもないのか。そういう時に「ない(NO)」ことを主張するならば、先に相手側に「ある」ことの証拠を出させ、その1つ1つを突き崩していくしかありません。決して「悪魔の証明」に付き合う必要はないのです。

【参考記事】
■自動運用「ロボアドバイザー」で資産を増やすために必要なこと (野口俊晴 ファイナンシャル・プランナー)
http://sharescafe.net/49200141-20160802.html
■転職貧乏で老後を枯れさせないために個人型DCを勧める理由 (野口俊晴 ファイナンシャル・プランナー)
http://sharescafe.net/49061150-20160714.html
■定年退職者に待っている「同一労働・賃下げ」の格差 (野口俊晴 ファイナンシャル・プランナー) 
http://sharescafe.net/48662599-20160524.html
■リストラする側の構造と「リストラ候補者」の心的対策 (野口俊晴 ファイナンシャル・プランナー)   
http://sharescafe.net/48383659-20160419.html
■道義なきリストラは最大のパワハラだ 「ローパー」と呼ばれる人たちへ (野口俊晴 ファイナンシャル・プランナー) 
lhttp://www.tfics.jp/

野口俊晴 ファイナンシャル・プランナー TFICS(ティーフィクス)代表 

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