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母子手帳はなぜ親子を強くするのか?モンゴルでも活用が進む - 森 臨太郎

母子手帳の海外展開が検討されている。日本に住む子の親ならだれでも知っている母子手帳、すでに多くの国で導入されている。また、さらに多くの国において導入が検討されている。

 母子手帳の特徴は、

 1) 妊婦と子ども個人の健康に関して書きこむこと
 2) この情報を医療従事者と家族が共有すること
 3) 家族がそれを持つこと

 となっている。

何の役に立つのか?


モンゴルで使用されている母子健康手帳。ピンクブックと呼ばれている。

 日本では当たり前の母子手帳だが、別の国で導入が検討されるとなると、「なんの役に立つのか」「それはコストに見合うのか」といったような真剣な検討がされる。

 10年近く前、モンゴル国を訪れる機会があり、同国の保健省(日本でいう厚生労働省)の母子保健担当者と意見交換をする機会があった。その際、日本の母子手帳に大変興味を持っている、というお話をいただいた。

 ただ、政策として導入するには、「単なる手帳」といえども、印刷代や研修費用など、導入のためにはコストもかかる。そこで、母子健康手帳は役に立つのか、立つとすれば、どのように役に立つのか、検証する必要があるという意見もあった。

 実は日本の母子手帳は、この時まで、「本当の役に立つのか」ということに関して、保健医療分野では当たり前となっているランダム化比較試験という質の高い手法を用いた検証をされたことがなかった。

 そこで、モンゴル国と日本の母子保健に関する関係者が一丸となって、母子手帳が本当に役に立つのか、ランダム化比較試験で検証しよう、ということになった。

 ボルガン県というモンゴルでは平均的な県が、その検証の場として選ばれた。ボルガン県の面積は、関東地方よりも大きい4万3730平方メートルに、人口は約5万4000人。モンゴルの首都ウランバートルから約500キロ、車で7時間ほど西に向かったところにある。

保健医療関係者の意識の高さ


モンゴルでの研究で、ランダム化の結果に一喜一憂する医療センターの医療従事者たち

 ボルガン県の中心ボルガン市に、すべての村からの関係者に来てもらって、研究の意義に説明させてもらった。ボルガン県にある村をくじ引きで半分に分け、半分の村は、今すぐ手帳の配布が始められ、残りの半分は、研究終了後(約一年後)に配布が始められる。みな、早く母子手帳を配布してほしいと思う一方、研究をすることの意義も充分に理解してもらった。保健医療関係者の意識の高さには感銘を受けた。

 モンゴルの村には、2000〜3000人ほどの住民がおり、村ごとに必ず医療センターがある。ここには数名の家庭医や医療従事者が常駐しており、実は村の住民をすべて把握している。基本的な保健医療はすべて無料であり、医療サービスは先進国の先端医療とはくらべれないものの、一般的には信頼も高い。社会保障番号(マイナンバー)も何年も前から導入されている。

 妊婦健診や出産も、原則、村の医療センターで行われる。産後の健診は、家庭医が自宅を訪問して行う。モンゴルでは多くの住民が遊牧民で、テント(ゲル)による生活を送っているが、基本的には、季節的に移動するものの、移動する場所は大体決まっており、それも家庭医たちは把握している。

 妊娠がわかったら、医療センターを訪れる。配布が決まった村では、その際に、母子手帳が配られ、その使い方も含めて説明される。

 出産は原則、村の医療センターで行われるのだが、何らかのリスクがあると、県病院やウランバートルの医療施設に紹介されるため、さまざまな理由から四分の一の妊婦さんが、別の地域の病院で出産する。それでも、自宅分娩はほとんどない。

 村で母子手帳を受け取った妊婦さんをすべて把握するため、研究チームでは、家庭医が自宅訪問する産後健診に合わせて、お母さん側と医療施設側の双方から必要な情報をいただいた。遅れて配布する村でも、同じように産後健診の際に情報をいただいた。

 その結果、母子手帳を受け取ることで、妊婦健診の受診率が改善することがわかった。また、妊娠中の合併症がより多く見つかること、受動喫煙の割合が減ることも同時に観察された。これらは、妊婦健診の受診率が向上することの副次的な効果だと考えられた。

 妊婦健診の受診率は、実は母子保健はおろか、住民の健康にとっては最重要である。なぜなら、住民が制度側に来て初めて、すべての必要な保健・医療サービスが提供できるのであり、妊婦健診は人生で一番最初に(胎児として)、制度側を訪れる機会だからである。逆に言えば、妊婦健診をしっかり受診することが、ワクチンなどその後の必要な保健医療サービスの普及につながるのであり、多くの途上国ではこれが最優先課題となっている。

妊婦健診の必要性が認識されていない


研究を行った施設での出産直後のお母さんと赤ちゃん

 ただし、貧困層の家庭の場合は、妊娠がわかっても医療センターを受診するという割合が減ってしまうため、結果的に母子手帳を受け取らずに、妊婦健診も受診しないまま、施設における出産を迎えてしまうということがあり、こういう意味で効果が薄れてしまう傾向があることも分かった。貧困層の家庭の妊婦健診受診率が低いのは、妊婦健診が無料であることからも、財政的な理由というよりは、その必要性が強く認識されていないことによると考えられる。

 この結果は、英語で多くの研究者が読む雑誌に掲載され、
 http://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0119772

 さらに、この結果は、グローバルレベルで標準的な保健や医療の方針を提示しているコクランレビューにも収載された。
 http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/14651858.CD002856.pub3/abstract

 これらの結果を踏まえて、世界保健機関としても、推進することを検討していると聞いている。

 この研究、後日談がある。

 この研究に参加してもらった子どもたちが、3歳になった時に、それぞれの家族にもう一度声をかけて、子育てや子どもの発達について、いろいろ情報をいただいた。これらを分析してみたところ、母子手帳を配布された場合、子どもの発達がよりよく促進されるという結果になった。

 母子手帳には子どもの発達記録を記入するところがあり、これらに記入していくことで、わが子の発達をより正確に把握することになり、親子の関係性がより濃密なものになるということのようである。

 なぜ、母子手帳を受け取ることで、妊婦健診の受診率が高まるのだろうか。母子手帳にはどういう意味があるのだろうか。こういったことに関して、研究に協力してくれたモンゴルや日本の専門家、そのほか広く関係者と討議してきた。

 母子手帳の特徴は、

 1) その家族固有の情報が入っており、
 2) 同じその情報を医療側と家族が共有し、
 3) その情報は家族が保有している

ということになる。

 個々の家族によって、健康の情報は当然異なる。母子手帳には、どの家族でも共通の一般的な情報も含まれるが、何よりも「わたし」の妊娠や子育て情報がかかれている。母子といったひとくくりではなく、自分の名前で呼ばれるのと同じように、固有の情報に基づき、医療や健康に関する方針が決められることは、その家族の医療や健康制度へのかかわりをより深めることになる。


村の医療センター

医療の受け手の能動的役割を高める

 その同じ情報が、医療側と家族側で透明性を持って共有されているということは、市民(家族)側のサービス提供側(医療)への信頼を格段に増すことになる。意思決定の共有(shared decision making)ということが言われ始めて久しいが、我が国の母子保健には自然とこういった文化を醸成する仕掛けを持っていた。

 そして、「わたし」にとっての固有の健康情報を、医療従事者や制度側と共有しつつ、最終的に保持しているのは、市民(家族)側であるというもの、医療の受け手の能動的役割を、自然に高めることになる。

 発展途上国において今後最も重要なのが、未来を担う女性や子供たちが自ら制度に積極的にかかわり、責任と権利を強く意識していくことである。母子手帳は、実は、このための自然で効果的なエンパワーメント・ツールであることがわかる。

 国という枠組みではなく、一人一人の個人という観点からの安全保障、すなわち「人間の安全保障」という言葉に、これほど似合うツールはない。

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