記事

映画・テレビ・ラジオの『表現の自由』の封殺は阻止できるのか?

何と、脆いものか。「表現の自由」を封殺するのにはあまりたいした手間は要らない。
そして、それを実感するのにもあまり手間はかからない。
たった1本の映画を見に行くだけで良い。

日比谷のその映画館は平日にもかかわらず、30代以上の大人で熱気に溢れていた。
ご察しの通り、その映画とは「トランボ~ハリウッドで一番嫌われた男」である。
名脚本家の名前をほしいままにしたダルトン・トランボは米下院非米活動委員会による「赤狩り」によって「共産党員」であることからハリウッドから追放された「ハリウッドテン」の一人である。

追放はあらゆる手を使って行われた。大手スタジオMGMの大立物ルイス・E・メイヤーは才気あふれるトランボと独占契約をしようとしていたが、強大な権力を持つ女性映画コラムニスト、反共の旗手ヘッダー・ホッパーの圧力によって契約を断念せざる負えなくなる。(当時、一部の映画評論家は映画興行を大きく左右する権力者だった。)委員会の聴聞会はラジオで生放送されニュース映画で公開される。仲間の共産党員達の実名を述べ仲間を売ったのは、名優エドワード・G・ロビンソンたち。あの大物俳優ジョン・ウェイン全米俳優協会の愛国者・権力者として強烈な反共圧力をかけて来る。上院議員のジョセフ・マッカーシーを中心として当時下院議員だったリチャード・ニクソンや俳優のロナルド・レーガンもこの「赤狩り」で名を上げようとしている。トランボ達はそれに屈しないが、仲間はハリウッドでの仕事が無くなり、ヨーロッパへ逃げたり、転業したり、東海岸に逃亡したり、挙句の果てには絶望して自殺する者も現れる。トランボもその茶番の如き聴聞会に毒付き法廷侮辱罪で投獄され屈辱を味わう。

その後、出獄したトランボは反骨で実にタフで苦境に立ってもユーモアを忘れない。家族を養っていくためB級映画(このB級映画会社の社長も映画の中では反骨の塊だ。)でシナリオドクター(迷路に入ったクズの様なシナリオを直す仕事)を務めたり、偽名でハリウッドの大作の仕事をしたりする。そしてトランボ・オリジナル脚本の「ローマの休日」はアカデミー賞最高脚本<原案>賞を受賞する。

その後「赤狩り」の影がまだ厳然とある中一人の男が現れる。名優カーク・ダグラスだ。どうにもならない脚本をトランボに全面改訂してもらう様に依頼しに来たのだ。スタンリー・キューブリック監督の「スパルタカス」だ。彼の擁護や「栄光への脱出」の巨匠オットー・プレミンジャーの手で除々にハリウッドに復帰してゆく。

後年、反戦映画の傑作「ジョニーは戦場へ行った」やスティーブ・マックイーンがゴキブリを食って生き延びる執念の反骨脱獄映画「パピヨン」を書き、1976年にトランボは亡くなった。
このある種、汚辱のハリウッド裏歴史をスタッフは時々笑える要素も盛り込みテンポよく見事な物語に仕上げてゆく。・・・
それにしてもよくこんなハリウッドのバックステージ(舞台裏)ものの企画が通ったものだと思う。しかも「赤狩り」で「脚本家」の話だ。製作者の「表現の自由」を担保しようという「志」だけではもちろんないとは思うし、あの強烈な名作テレビドラマ、「ブレイキングバッド」貧乏と病気の高校化学教師が高品質麻薬製造でひと儲け物語の主演ブライアン・クランストンがあの伝説の脚本家「トランボ」を演じると言うので米国では話題になり、ビジネスになると踏んだのかも知れない。

だが「表現の自由」の為に闘った男トランボ・・・と一言で言うがそんな生易しいことではないのが、この映画でもその苦闘の様子で存分に描写される。仕事がない。家族を食わせてかなければならない。街はずれの小さな家に引っ越す。金がない。隣近所から強烈な意地悪をされる。でも、トランボは自宅に籠り1日18時間仕事をする。
確か米国ではこの映画「トランボ」公開時賛否両論で、「スターリン統治下のソ連などの共産党国家をユートピアに様に思っていたトランボは認識が甘かった。」などの論評も流れたと言う。(映画評論家・町山智浩氏のラジオでの発言より引用)

そして今、2016年の暮れはいよいよ米大統領選。候補のドナルド・トランプは「俺がアメリカだ。嫌なら出て行け。」等と発言している。アメリカも分水嶺に立たされているが、「表現の自由」と言う点については日本より自由だ。アメリカではトランプを笑うコント番組が花盛りだと言うし、またジャーナリズムの苦境を露骨に指摘するバラエティー番組がヒットしているのだが、日本ではそれはネットの役割になっている。

最近の私の体験談だが、放送作家諸氏やTVスタッフと盛り場のバー等で酒を飲んでいても、メディア批判、芸能界批判、政権批判などの話はほとんど出て来ない。確かに現在、私はネット界で働いているのだから、妙な所からその発言の情報や噂が漏れたら彼らは「メシの食いっぱぐれ」になる。しかも、この種の同調圧力はここ数年高まって来た様な気がする。確かに「反骨」は容易ではない。トランボの様に敵も作るし、最悪クビになるということもある。SNS等でも「余計なこと言わないほうがいい」という事になる。経験豊富な大物芸人でもデリケートになって、ある種の社会・政治風刺モノは滅多にやらなくなって来ているのを実感する。皮肉なのは昔から時々シニカルな毒を放つ「笑点」の存在がいまや貴重な番組である事だ。

佐村河内氏のドキュメンタリー「FAKE」の森達也監督のかつての名作「放送禁止歌」を見た時、なぎら健一、高田渡などのシンガーが歌う歌を紹介した後に森監督が「何で放送できないのか?」を色んなところに聞きに行くシーンがあった。調べてゆくと明確な指示はどこからも出ていないのに「放送禁止」とされていた曲が多かった。深い霧の中に可視化不能な犯人が複数隠れていて見えない様な状態だった。この作品はどこでだれが決めているのかわからない薄気味悪さを存分に表現していた。

一方、2015年に公開された映画「野火」は作家・大岡昇平のフィリピン戦における兵士達の極限状態を描いた壮絶な描写に溢れた戦争映画だが、構想20年の塚本晋也監督は資金調達に苦しんでいたが、複数の映画関係者と会っている間にこう感じたと言う。

「20年もやろうと思っていた映画なのに、今は時世というか機運的に作りづらい状況になっている。下手をしたら社会全体がこういう映画を受け入れない世の中に変わってしまうんじゃないかという恐怖と危機感ですね。今作っておかないと作品自体も生まれないし、自分が望んでいない時代になる前にぶつけて、何とか食い止める行為にならないかという気がしました」 確かに公開年の2015年は「永遠の0」の様な戦争賛美映画が日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞した年である。その年にひっそりと公開された映画「野火」には見えない「表現の自由」を阻止する力、あるいは「ビジネスにならない」と言う声で埋没させようという跡が感じられるといったら大げさだろうか。2016年の今、「野火」は評判を呼び各地で上映され続けているのが救いだが。

そして「トランボ」に戻ると「表現の自由」の最後の砦とも言える「映画」が政治的圧力に圧殺される様子がよく描かれているのがわかる。もっと言えば世界最大の映画王国ハリウッドと米国政府中枢のホワイトハウスの結託が無ければこんな事にならなかったかも知れないと想像されるのだ。そして「メディア・コントロール」がなされ、民衆やジャーナリズムはむしろ彼らを糾弾・弾圧する側に回り、資本主義の米国で「共産主義」と言う異端な思想を持つならば、その人物を不条理に弾圧し、彼らを助けようとする者がほとんどいなかった様子も感じられる。「表現の自由」というガラスの器は必死で守っていないと知らない内に崩壊してゆくものだと言うことをこの映画は極上のストーリーテリングで教えてくれるのである。 (了)

あわせて読みたい

「映画」の記事一覧へ

トピックス

ランキング

  1. 1

    「安倍晋三記念小学校」嘘と判明

    和田政宗

  2. 2

    希望維新の合流進めたい安倍首相

    NEWSポストセブン

  3. 3

    内田樹氏の安倍政権分析に納得

    マガジン9

  4. 4

    日本が核禁止条約に署名しない訳

    河野太郎

  5. 5

    よしのり氏 山尾氏の改憲案見よ

    小林よしのり

  6. 6

    名古屋は地元離れぬ下層民の楽園

    SeaSkyWind

  7. 7

    強姦が日常 元北朝鮮女性兵語る

    BBCニュース

  8. 8

    座間9遺体 容疑者とDMした女性

    渋井哲也

  9. 9

    詩織さん事件 超党派議連が追及

    田中龍作

  10. 10

    橋下氏「希望議員は文句言うな」

    PRESIDENT Online

ランキング一覧

ログイン

ログインするアカウントをお選びください。
以下のいずれかのアカウントでBLOGOSにログインすることができます。

コメントを書き込むには FacebookID、TwitterID のいずれかで認証を行う必要があります。

※livedoorIDでログインした場合、ご利用できるのはフォロー機能、マイページ機能、支持するボタンのみとなります。