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パソコン、若者には不要?

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IT mediaビジネスONLINEのサイトで『「PCが使えない学生が急増」の問題点』と題した記事が掲載された(8月4日、甲斐寿憲氏)http://www.itmedia.co.jp/business/articles/1608/04/news084.html)。要約すると「PCを使ったことがない新社会人が急増している。社会人の必須スキルとしてのPCを使えるよう、高校生や大学生のうちに所有したり、使ったりすることが必要」と主張するものだ。

大学教員としてメディア論を専攻し、また学生たちをずっと観察してきた人間からすると「これ、ちょっと、違うかなあ」という印象を抱いた。むしろ「いや、パソコン、若い頃は持ってなくてもいいんじゃないの?」と思えないでもない。かえって無駄じゃないの?これをメディア論的に考えてみよう。

昔の学生はパソコンスキルに長けていた?

氏の議論は「昔の学生はそうでなかった」という前提に基づいている。40~50代は10代ではマイコンブームがあり、「少年たちは雑誌に掲載されたプログラムを入力してゲームがしたいがために、親に頼んで高価なマイコンを購入してもらった」。また、学生時代はPCに触れる機会がなかったが「社会人になってから、会社の研修などを通じてPCのスキルを磨い」た。「アラサー世代は1990年代のWindows95、98、XPブームを経験している。学生時代にPCを買って、ワードの使い方などを習得した人が多い」という。

これ、ウソでしょ。自分はマイコンブームにハマり、BASICを学び、自腹で高価なパソコン(「PC」と表記するとMacが除外されているとみなす御仁もいるので、以降カタカナで「パソコン」と表記)を購入し、ゲームもプログラムした経験があるけど、こんなヤツはオタクなマイノリティだった。パソコンなんか高くて買えません(NECのPC9801を使えるようにいろいろ取り揃えると40万くらいした。しかもそれで使えるワープロはほとんどクソで、ワープロ専用機を別に所有していた)。費用対効果が低いから、当時の若者でも購入した層はマイノリティーだったはず。第一、ゲームしたいならプログラムするよりファミコン買えば手っ取り早かったわけで、話が完全に矛盾している(これは80年代の話です)。アラサー世代がWindowsブームに熱狂したという話も、正直言ってききません。僕が大学生を教え始めたのは90年代初めくらいからだけれど、実質的にはネットに繋げない(可能だけれどコンテンツはショボく、通信速度は遅く、通信料は高く、接続もそれなりに知識が必要で、一般には親密性の薄いものだった)。パソコンに興味をもっている人間なんて、やっぱりマイノリティだった。これは自分がパソコンユーザーだったゆえに実感がある。

ゼロ年代がパソコンを所有する理由は「インターネットに接続できるから」だった

でも90年代末くらいから、学生たちはパソコンを所有するようになる。理由は二つ。プッシュ的な要因は、大学に入学したお祝いとして親が買い与えたから。で、これはどう使われるかというと、ほとんど「寝たまんま」という状態になる。稼働するのはレポート作成時のみというのが一般的。つまり、もっぱらWORDを使うだけの「ワープロ専用機」の「お勉強道具」。「EXCEL?それってなんですか?」「EXCEL=出来れば触れたくない、勉強に特化されたソフト」「表作るだけ。でも計算の必要ないからWORDでできる」という認識の方が強い。ただし21世紀に入ってインターネット使用料が安くなると、ネットを使うというプル要因が登場する。つまりネットブラウザとして活用するようになっていった。ただし、これとてブログをやるとかショッピングをするとかという時代ではなかった。また、ゲームをやってもよいけれど、パソコン用のゲームというのはギャルゲーみたいな、ある程度マニアックなイメージが付着していたことも確かだろう。ゲームをするというのは一般のゲームハードを使用する方が普通だったはずだ。つまり、当時からあまりパソコンなんか使っていないのだ。だって、原則、勉強以外は必要ないんだから。

スマホでパソコンは限りなく不要に

で、「パソコンいらない」に拍車を駆けたのが事実上2008年に出現したスマホだった(ここではiPhoneの発売をもって「スマホの出現」とみなす)。パソコンに頻繁にアクセスする動機はインターネット接続だけ。ところが、スマホはこの環境をパソコンよりもはるかに簡単、しかもウェアラブルなかたちで実現した。また、ここにはゲームもカメラもついている。便利なアプリもついている。動画も自由に見ることができる。GPS搭載だから待ち合わせや店探しも簡単。加えてソーシャルメディアが加わった。これら新しい機能はハードを持ち運びできる点で圧倒的にアドバンテージが出てくるわけで、だったら当然チョイスされるのはパソコンではなくスマホになる。結果、スマホは様々なメディアをブラックホールのように呑み込んでいった。ゲームしかり、カメラしかり(もはや単体カメラを持ち歩くというのは一眼レフで趣味としてという場合に限定されつつある。中堅デジカメ市場はほぼ壊滅状態)、カーナビしかり、タウン情報誌しかり。

パソコンもそうだった。パソコンはインターネット機能にあまりお呼びがかからなくなり、お勉強道具、ワープロ専用機に戻ったのだ。だったら、そんなもん、要りません。IT mediaの記事は、若者にとってパソコンは高いというイメージがあると指摘しているけれど、これもウソ。Netbookはそれこそ3万円くらいからある。記事によれば「高い」と認識しているのは、パソコンでも唯一付加価値のついているMacBook(とりわけMacBookAir)だけは欲しいと思い(ドヤリングが出来るからか?)、それがノート型だとまあ10万円くらいから始まるので「高い」ということになるのだとしているのだけれど、ポイントはそこにはない。Netbookがパソコンに思えないところが問題なのだ。つまり、パソコンは「アウトオブ眼中」(「死語の世界」です)。MacBookは「パソコン」ではなくて「MacBook」という認識なわけね。

さらにWORDの存在だってアブナイ。今、スマホでワープロというかワード使えますよ。フリック入力でレポートを作成し、これをプリントアウトしたり、メール送信したりして提出する学生も多い(フリック入力早いので長文も苦にならない若者多し!)こうなると、唯一残ったワープロの機能も危ういわけで。う~ん、オワコンか?

なんのことはない。パソコン、もうある意味ではオールドメディアになっていると考えた方が早いのだ。筆者の甲斐氏には「パソコン=必需品」という無意識の前提がある(ま、氏はそういった世代なんでしょう)。もちろん、社会人としては、そうだろう。就職した瞬間、デスクの前にはパソコンが置かれているはずだから、そういった主張自体は理解できないでもない。社会では必需品であることは言うまでもない。だからといって中高校時代からそんなものを無理矢理やらせても意味がないし、よって「お勉強道具」のパソコンを与えても、ほとんど効果はないはずだ。やらされる時間が終われば、すぐさま彼らはスマホに持ち替えるはずだから。馬を水飲み場(=パソコンの前)まで連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない。すぐ横にはもっと美味しいジュース(=スマホ)がある。言い換えれば甲斐氏の無意識の前提は、いわゆるコーホート効果、つまり同年代に経験したものについての相対化がなされていないことに由来している。自らの世代の共通認識が必ずしも一般性、普遍性を備えているとは限らないことの省察を欠いているのだ。

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