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薬物依存と運転免許の問題

元スター選手Kさんが免停の処分を受けたそうです。新聞記事の中には、「警視庁は今後、薬物事件で立件された人への免停処分を強化する方針」と報じたものもあります(朝日新聞デジタル2016年7月29日19時57分)。

<ニュースから>*****
●K元選手を免停処分―覚醒剤使用で事故の恐れ
東京都公安委員会は29日、道交法に基づき、プロ野球のK元選手(48)を180日間の運転免許停止処分とした。過去に覚醒剤を常用しており、今後も使用して重大な事故を起こす恐れがあるとしている。

・・・警視庁は裁判資料などから検討し、K選手が覚醒剤を常用していたことや、今後も車を運転する可能性があることから免停処分が相当とし、都公安委員会が了承していた。

47ニュース[共同通信]2016/7/29 18:44
*****

覚せい剤取締法違反の裁判で執行猶予付の有罪判決を言い渡されたKさんに対して、運転免許の停止が検討されていると報じられたのが、今年5月末のこと。この時から、私には気になってならない点があって、最終的な処分決定の報道を心待ちにしてきました。気になっていたのは、免許停止の処分を下すにあたって、道路交通法のどの条項を根拠にするのか、という点です。

重箱の隅をつつくような話で、いささか気が引けますが、闘病のかたわら、疑問について簡単にまとめてみました。よろしかったらお付き合いください。

●何とも中途半端な薬物中毒者に対する免許の制限規定

今回のKさんに対する処分は、Kさんが過去に覚醒剤を常用しており、今後も使用して重大な事故を起こす恐れがあることから、免許の停止が相当と判断されたといいます。

道路交通法103条1項は、免許を停止しまたは取り消す対象を具体的に列記していて、そのなかには、「アルコール、麻薬、大麻、あへん又は覚せい剤の中毒者であることが判明したとき」という、一見すると極めて明快な規定があります(同3号)。

ところが、今回の処分では、その根拠として、いわゆる危険性帯有者(将来的に道路交通上の危険をもたらす恐れのある人)に対する運転免許の取消しや停止を定めた、同8号が適用されたようです。

8号は、「前各号に掲げるもののほか、免許を受けた者が自動車等を運転することが著しく道路における交通の危険を生じさせるおそれがあるとき。」というもので、1から7号までで具体的に列記してきたもの以外を捕捉するために、この項の最後に置かれたものです。3号に明確な規定がありながら、あえて8号を適用するというのは、実に不可思議な事態だと言わざるを得ません。

2014年、危険ドラッグ使用者に対する免許停止が話題になりましたが、この時に登場したのが、8号の危険性帯有者条項です。3号は「アルコール、麻薬、大麻、あへん又は覚せい剤の中毒者」に対する規定であり、同じ薬物とはいっても、この規定から外れる危険ドラッグに対しては、8号を適用するのは、ごく自然な成り行きだったと思います。

しかし、今度は覚せい剤が問題になっているというのに、またしても8号が適用されたのです。

どうやら、「アルコール、麻薬、大麻、あへん又は覚せい剤の中毒者」(以下「薬物中毒者」といいます)に対する免許の取消し・停止を定めたこの規定には、実際の適用をためらわせる事情があるようです。

●薬物中毒者についてはガイドラインが示されなかった

道路交通法は、2001年改正、2013年改正を経て、車の運転に支障を及ぼすおそれのある一定の病気等にかかっている人たちに対して、運転免許を制限する規定を体系的に整備してきました。

具体的には、てんかん、統合失調症、再発性の失神などによって運転に支障を及ぼす恐れのある一定の症状がある場合に、免許の拒否あるいは取消処分の対象となることが定められています。なお、関連の法令や行政文書では、これらの病気にアルコール、麻薬中毒者を加えて、「一定の病気等」と呼んでいます。

この手続きにおいて、免許の取消しや停止の判断基準になるのは、病名ではなく、病気によってもたらされた症状です。「一定の病気等」について、関係者の共通理解を確立するために、法の整備と歩調を合わせて、警察内部では、運用基準の改定が重ねて行われました。

現行の警察庁の通達「一定の病気等に係る運転免許関係事務に関する運用上の留意事項について」には、「一定の病気等」について、症状ごとの具体的な運用基準を明示した文書が添付されています(下記参照①)。

ところが、ここで法103条1項3号の適用例として挙げられているのは、アルコール中毒者のケースだけです。法は、「アルコール、麻薬、大麻、あへん又は覚せい剤の中毒者」を対象と規定しているのに、麻薬、大麻や覚せい剤の中毒者に関する記述は見当たりません。

また、医師の見解でも同じような現象が起きています。

この手続きでは病状が問題になっているのですから、当然、医師の診断も重要な手続要素となります。医師は、診察した患者が「一定の病気等」に該当するときは、診断結果を公安員会に任意に届け出ることができるとされ、また、具体的な免許の制限の判断においても、医師の診断書が重視されることになりました。

法の整備に並行して、関連の医学会では、届け出のガイドライン策定が進み、2014年9月に日本医師会が医師から公安委員会への任意の届出ガイドラインを発表しました(下記参照②)。ところが、ここでも、麻薬中毒者に関するガイドラインが含まれていないのです。アルコール中毒者(医学の分野では「アルコール依存者」と呼びます)については明確なガイドラインが示され、ICD-10に基づく診断基準や、届け出のプロセスなどが提示されているのに(下記参照③)、なぜか、薬物依存については、項目さえ見当たりません。

●科学的、合理的な判断基準が確立していないのか

なぜこんな事態になっているのでしょう。私なりに、考えをめぐらせてきました。以下は、私の私見です。

私が繰り返して指摘してきたように、法は、薬物中毒者に対する免許の取消しなどの処分を定めているものの、これまで、この条項が積極的に使われることはありませんでした。薬物乱用者対策として、免許に関する行政処分の強化が叫ばれることもありましたが、その都度、別な対応策が示されてきたのです。

たとえば、警察庁の通達文書は、麻薬等薬物中毒者の行政処分について、次のような見解を述べています(下記参照④)
「麻薬、大麻、あへん、覚せい剤、シンナー及びその他の薬物(以下「麻薬等」という。)の中毒者については、法第103条1項による免許の取消しに該当する場合もあるが、短期間で治ゆすることもあり、これを適用することは困難であるところから、過労運転(法第66条)として行政処分を検討することとする。」
法103条1項3号には、よほど、実際の違反事例に適用しにくい事情があるのでしょう。考えてみれば、法律の文言は単純明快ですが、では、麻薬、大麻、あへん又は覚せい剤のそれぞれについて、「中毒者」とはどんな状態をいうのか、また「中毒者」であることが自動車運転の危険性とどう結びつくのか、共通見解が定着しているとは、とても言えません。

本来は、「一定の病気等」について検討する過程で、この問題についても掘り下げる必要があったのでしょうが、なぜか、この条項は宙に浮いたまま放置されてきたように思われます。

言い換えれば、この条項については、科学的、合理的な判断基準がまるで出来ていないのです。これまでの適用実績が乏しいことから、判断事例の積み上げも出来ていないことでしょう。これでは、実際の場面で適用することは難しくなります。

この問題を整理しないまま、迂回路として、同8号の危険性帯有者条項を積極的に使って、覚せい剤取締法ですでに処罰を受けた人たちに対して、運転免許の停止という追い打ちをかけることは、どう考えても、上品なやり方には見えません。

薬物依存と自動車運転の問題が整理されるまで、あくまでも便法として、8号で対処しているのですから、目に余るケースに対して、自制しながら適用していくことを忘れてはいけないのではないでしょうか。

[参照]
①警察庁通達の別添文書
「一定の病気に係る免許の可否等の運用基準」一定の病気等に係る運転免許関係事務に関する運用上の留意事項について・別添文書(2015 年8月3日)
https://www.npa.go.jp/pdc/notification/koutuu/menkyo/menkyo20150803-1.pdf

②日本医師会のガイドライン
「道路交通法に基づく一定の症状を呈する病気等にある者を診断した医師から公安委員会への任意の届出ガイドライン」2014年9月
http://www.jsts.gr.jp/img/todokede_gl.pdf

③日本アルコール関連問題学会のガイドライン
「一定の症状を呈するアルコール依存症者を診断した医師から公安委員会への任意の届出ガイドライン」
http://www.j-arukanren.com/news/pdf/20150313_guideline.pdf

④警察庁の通達
「運転免許の効力の停止等の処分量定基準の改正について(通達)」2013 年11月13日 http://www.npa.go.jp/pdc/notification/koutuu/menkyo/menkyo20131113-1.pdf

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