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政府による食品の安全規制は正当化出来るか (1) - らくいち

現在世界の多くの国々で政府によって食品の安全にかかわる規制が制定され、さらに政府によってこの規制の遵守が監督されています。食中毒事件がニュースになるたびに、政府は規制をさらに強化しなければならないという意見が強く主張されるのも多くの国に共通の現象です。我々が購入する食品の安全は政府の規制によって保たれているというのが暗黙の前提として広く受け入れられています。

今回のコラムから数度に分けて、この暗黙の前提を吟味してみます。具体的には、政府による食品の安全規制は食品の安全性の向上を通して人々の生活の向上に貢献出来るのか、という問題を考えてみます。

市場への介入を含む政府の諸政策は、為政者によって特に正当な理由がなくとも導入されているのが現実です。ところが、我々の多くが住む自由な交換を生産と分配の基本とする社会では、少なくとも限られた資源の配分と生産物の分配に関する経済の視点からは、政府の市場への介入は、自由な交換に任せておいたら経済効率性が達成されないという「市場の失敗論」によって正当化されています。食品の安全性に政府による安全規制が認められている経済上の正当性も、ただ単に政府が食品の安全性を向上出来るからということではなく、自由な交換に基づく市場に任せておけば「経済効率性は達成されない」という議論が根拠となっています。

そこでシリーズ一回目の今回は、この「経済効率性」とは何かを説明し、なぜ食品の安全性が経済効率性にかかわる問題なのかを説明します。


人々は手に入れることが出来る資源を用いて、食品、住居、衣類、医療、教育、娯楽の確保など様々な必要を満たしています。ただ単に食品を確保するのではなく、安全な食品を確保するというのもその必要の一つです。人間の社会では、現在の技術で獲得出来る限られた量や種類の資源を使って、人々が手分けして必要を満たす物やサービスを作り、さらに生産された物やサービスを人々に分配するということが行われています。

そして、我々の多くが住む社会では、殆んどの物やサービスの生産と分配は、個々人が自由に自分の労働力を使って分業に従事して物やサービスを生産し、さらに生産した物やサービスは持ち主が自由に交換するという方法で行っています。

我々の社会がこの「自由市場」という生産と分配の方法を、紆余曲折や程度の差はありながらも、歴史上大きく変えることなく行い続けて今日に至っている一つの理由は、制約のある資源の量の範囲内で社会を構成する一人一人が一番満足出来るような物やサービスの生産と分配は、自由市場による生産と分配によってこそ行うことが出来るという理解が社会に存在することです。つまり、人それぞれ何の生産に従事出来るか得意分野も違うし、分配して欲しい物の好みや必要性も異なるという現実の中で、誰が何を使って何をどれだけ生産して誰が何をどれだけ使うかは、自由な交換を通じて社会を構成する個々人に勝手に決めてもらうのが、一人一人が満足するためには一番よいという理解があるのです。

資源の量の制約の範囲内で、社会を構成する一人一人が自由な交換を通じて一番満足出来るような物やサービスの生産と分配が行われることが、「経済効率性が達成された状態」の定義です。言い換えると、人々が自分の労働力や労働の成果を自分の意思で自由に交換出来るときに生ずる資源の配分と生産物の分配の結果を、「経済効率性が達成された」と呼ぶのです。

政府が取引の規制を設けて市場に介入するということは、人々の自由な交換を制限するということなので、上の経済効率性の定義から、政府の市場介入によって経済効率性が損なわれるという結論が生まれます。従って、市場が経済効率性を達成するという上記の理解が存在する以上、少なくとも経済の視点からは、政府の市場介入を認めるには何らかの正当な理由が必要です。そして、この理由として「市場の失敗」が挙げられるのです。市場が失敗しているかどうか、つまり政府による市場への介入が正当化されるかどうかは、市場において経済効率性が達成されているかいないかにかかっています。

経済効率性に関して注意しなければならないのは、経済効率性が達成された状態であっても、社会の構成員に同じ物やサービスが同じ量分配されるとは限らないということです。人それぞれ得意な分野や好みや必要性が異なるので、自由な交換の結果として必然的に、各人が様々な物やサービスを異なる量受け取ることになります。従って、物やサービスが人々に均等に行き渡っていないことをもって市場が失敗しているとは言えません。

また、「命は金に代えられない。食品の安全性は命にかかわる問題だ。だから、食品の安全性に関する議論に経済の視点を持ち込むのは間違っている」という主張があります。しかし、安全性を向上させることが資源を消費する、つまり金のかかる活動である以上、安全性を今よりも向上させるべきかどうかという問題は、経済の問題です。

人々の収入に限りがある限り、特定のリスクを減らすためには、食品、衣類、住居、教育など、何か他の必要性を満たすための支出を多少なりとも犠牲にする必要があります。値は張るが安全性の高い自動車の購入費用を捻出するために、家屋の防震対策を諦めるという人がいるかもしれません。この人の場合には、交通事故のリスクと、家屋が地震の被害に遭うリスクとを天秤に掛けて、自分の運転技能や収入、さらに家屋がある場所を考慮に入れて、交通事故のリスク対策を優先したことになります。たとえ意識していなくとも、人々は限られた資源の配分という経済上の計算を日常生活の中で行っています。要するに、安全性をより向上させることがより資源を消費する、つまりより金がかかる活動である以上、安全性を今よりも向上させるべきかどうかという問題は、実は資源の配分の生産物の分配にかかわる経済の問題なのです。

さらに、食品の安全性も含めて、人々の願望が叶えられる程度に、物やサービスが手に入らないからといって市場の失敗が起っているとは言えません。食品の安全性を高めようとすればするほど、衛生管理などに費用が嵩みます。食品の安全性を高めることで他のリスクを減らしたり、他の必要性を満たすことを犠牲にしなければならない人々は、食品の安全性がある程度達成されると、さらに資源を食品の安全性向上に割り当てることを止めて残りの資源を他に重視する必要性を満たすために使い始めます。人々の間に食品を完全に安全にしたいという願望があったとしても、食品の安全性向上のために資源を必要とする限り、人々の自発的な選択によっても食品が完全に安全になることはないでしょう。

食品の安全性の市場においても「市場の失敗」が起っているという議論があり、経済上は、政府の食品の安全規制はこの議論に基づいて正当化されています。次回のコラムでは、食品の安全についての市場の失敗論を紹介し、その問題点を指摘します。

--らくいち--
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