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「音楽は反体制」という説教の息苦しさ。

フジロック・フェスティバルが、ザワザワしている。

今年、政治団体の代表が出る、ということでネット上では疑問や不満が出てきた。その反論が出て、まあ収拾がつくわけでもない。みんな、いろいろ勝手に言っていて、それ自体がフェスなんじゃないかと。

僕は、最初に違和感を感じた人の気持ちがわかる。それは、「音楽と政治的メッセージ」云々という話ではない。毎年楽しみにしている、フェスの場に余計な風を吹かせないで欲しいんじゃないかと。だって、音楽ファンが期待してなかった人が出てくるんでしょ。

そのうちに、いろんな記事を見るようになったけど、可笑しかったのは「音楽はそもそも反体制」という説教記事だった。

ジャズもロックも、あるいは能もコミックもすべてのアートはそもそも反体制という有難いご託宣だ。もちろん、歴史的にはそうだろう。「若い人は知らないかもしれないけど」というお話だ。

ただし、それは「そもそも」の話だ。あらゆる音楽は聴衆と関係を結んでいく過程で、段々と変化する。当初は反体制・反権威かもしれないが、当然のように変わる。

つまり、音楽や芸術は送り手の論理だけではできるわけではない。受け手と時間と空間を共有しながら、変化してきた。だから、「そもそもは反体制」という前提はあったとしても、「いま音楽を楽しみたい」人にとっては、余計な御託だ。だって歴史を持ち出した時点で相当権威主義だ。そういう人たちが「反権威」という時点でもうダメな空気が漂う。

そして「音楽はそもそも反体制」のお話は、どうして妙なのか?

一言でいうと、それは送り手、もう少し具体的にいえば生産・供給側の論理からだ。「そもそも反体制」という論理は、そう言った音楽製品を生産して供給したい人の理屈、あるいは頑張っているけどうまくいってない人の愚痴にしか聞こえない。
「創作者の論理」とは、敢えて書かない。ちゃんとした創作者は、そう言った小理屈をこねないで、今日も何かを創っているはずだから。

今回の話は、客が「こんなメニューはイヤだ」と言ったことに対して、「そもそもの文化は」と説教したことでややこしくなっている。

いつも行ってる飲食店が、なぜかエコに目覚めて有機野菜やら並べて、そのうち政治的な署名の協力を始めて店自体が消えたことを知っているんだけど、それに似ているなあ、と。

そしてこの騒動は、「違和感を感じるフツーの人たち」に対して、「ちょっと知識のある文化人(自称含む)」が、盛大に説教を始めた現象に見える。

もう一度書くけど、それは生産・供給側の発想で、そこに聴衆の気持ちはない。そして、聴衆は単なる消費者ではない。音楽を一緒に育ててきたパートナーのはずだ。

こういう話になると「モノが言えずに息苦しい社会」という決まり文句が出てくる。だとすれば、フェスを息苦しくしているのは一体誰なのか?「音楽そもそも論」を見ていると、息苦しさを通して、勝手に窒息しているようにしか見えない。

受け手を愚か者扱いした送り手は、やがて滅びてきた。フェスもその末席に連なるのか。

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