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【起業家が見た日中の違いとは?】百度が注目した中国人留学生社長の起業術 日本は中国よりチャンスに開かれている - 程涛(popIn代表取締役)

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たった一人での日本留学、お金も頼りもない若者が起業に挑んだ。東大大学院時代のベンチャー創業、そしてM&A。新世代のメッセージ
文藝春秋SPECIAL


 昨年六月、中国最大の検索エンジンを運営する百度(バイドゥ)が、東京大学発のベンチャー企業を買収し、話題を呼んだ。買収金額は十数億円と報じられた。中国からの留学生、程涛氏(33、次頁写真)が二〇〇八年、大学院生の時に起業した「ポップイン(popIn)」である。

「私が育った頃、すでに中国は高度経済成長が始まっていました。しかし、私はむしろ日本の方がチャンスに恵まれた社会だと感じています」

 今も東大構内の一角にあるオフィスで、話を聞いた。

フェアではなかった受験戦争

 私は一九八二年、河南省に生まれました。人口は一億人近く、農業が盛んで、一言でいえば田舎です(笑)。私の父は市の職員、母は会計士で深圳に働きに出ていましたが、暮らし向きはごく普通で、両親ともに日本に行ったこともなかった。そんな私がなぜ日本に留学することになったのか。それは大学受験で、大きな壁を痛感したからです。

 日本でもよく知られていますが、中国の受験戦争は非常に過酷なものです。普通高校招生全国統一考試(高考)という一回の試験で、進路がほぼ決まってしまう。高三になると、誰もがこの試験の準備に入ります。一日数時間ほど休憩しますが、あとは勉強し続けの毎日です。深圳で働いていた母も、一年だけ私の世話をするために戻ってきたほど、家族ぐるみの戦いなのです。

 しかし問題は、これほどまでに厳しい入試が、必ずしもフェアな競争とはいえない点にありました。これもよく知られていますが、中国では大学のある都市部と、それ以外の地方とでは、合格に必要な点数が異なります。志望校だった北京大学の場合、河南省から合格するには、七百点中六百六十点か六百七十点必要でした。しかし、北京市内ならば四百点台でも受かる生徒がいる。つまり、政府関係者、党の幹部の子弟などが多い大都市優先の制度なのです。私の高校は地域では一番の進学校でしたが、有名大学に入るため、二浪、三浪は珍しくありませんでした。

 さらに、運良く北京大学に入っても、次は就職です。人気のある職は、良いコネのある学生から決まっていく。そうなると、河南省の田舎出身で、特別なコネのない自分はどうなるのか。そんなことを考えながら迎えた高考の本番、私は得意な国語の小論文で失敗してしまったのです。

 落胆している私に、留学を勧めてくれたのは父方の伯父でした。伯父は工場を経営していて、むしろ海外で勉強した方がチャンスが広がる、と背中を押してくれたのです。

「何を学ぶか」はすでに決まっていました。コンピュータ・サイエンスです。小学六年のとき、母が働く深圳で生まれて初めてパソコンを見て、心を奪われました。ねだり続けて中学になったとき、ついにパソコンを買ってもらえたのです。地元では一番早かったと思います。その数年後、インターネットに出会い、一カ月分のおこづかいをネットカフェにつぎ込んだりしました。特に衝撃だったのはチャットで、こちらが書き込むと、福建省や北京などの人たちからリアルタイムで返事がくる。技術はこんなにも世界を広げ、生活を楽しくするのか、とこのとき感じたのです。友達何人かでお金を出し合い、何度も通いました。

 また私はソニーの大ファンでした。ウォークマン、VAIOの美しさはまさに憧れでした。ソニーのパソコンの広告が載っているというだけでパソコン雑誌を買ったほどです。日本への留学を決めたのも、それが大きかったのかもしれません。

 留学にかかった費用は、およそ二百万円でした。家賃と日本語学校の学費、それから生活費を一括して先に振り込まなければならなかったのです。当時の中国の貨幣価値でいうと、一千万円ほどになります。父母は預金をすべておろし、足りない分は伯父に借りました。

 はじめの二年間は、大阪の日中語学専門学院で日本語を学びました。大学の受験勉強はすべて独学です。留学生仲間数人と同じ部屋に下宿して、朝九時から十二時まで学校へ通い、一時から九時までラーメン屋さんなどでアルバイト、帰ってご飯を食べてから午前三時頃まで受験勉強です。しんどくはありましたが、バイト先でも親切にしてもらいました。大阪の人たちは面白いですね(笑)。

 そして東工大に合格し、希望どおり、コンピュータ・サイエンスを学ぶことになりました。ここでとても良かった授業は、秋葉原で部品を買ってくるところから始めて、パソコンを組み上げ、それをサーバーにして、自分のホームページを公開するというものです。ハードとソフト、そしてネットの仕組みを一から学ぶことができました。

 そこで私が夢中になったのが、当時、流行していた「フラッシュ」という動画技術でした。コンピュータ画面で絵が動くだけで感動していましたが、これをマスターすると、いいアルバイトになることにも気がついたのです。ラーメン屋で働いても時給千円にも届かないのに、大好きなパソコンをいじって何倍かの収入が得られる。やがて一本三十万円という仕事を請け負うようになり、一般のサラリーマン並みの収入になることもありました。

 働きながら学びたいと考えた私はアルバイト先にできるだけ異なる業種を選ぶようにしました。サーバー監視会社のバイトをすれば、数百台のサーバーの構築の仕方がわかります。プレゼン用の企画書の書き方を知りたければ、営業のバイトに応募する。そうやって我流ながら仕事の仕組みを学んでいったのです。

アルバイト先で経営を観察

 大学在学中に、十社ほどのベンチャーに出入りしましたが、その後、成功したのはわずか一社でした(現在、フリークアウトとして上場しています。代表取締役CEOの本田謙さんにはポップイン設立の際に取締役に入ってもらいました。私の師匠です)。そこでわかってきたのは、会社経営で何をしてはならないかということ、そして人材の使い方でした。

 ベンチャー企業の多くは、数人から十数人。ひとつの部屋で作業をしているところがほとんどで、他の人が何をやっているかわかる。私はバイトをしながら、会社の経営を観察するくせがありました。すると、駄目になる会社はやっぱりわかる。

 まず組織が複雑すぎる会社。たかだか働いているのが十数人なのに、管理職、中間管理職、平と階層が三つも分かれている。当然、仕事の判断も遅くなります。採用計画のデタラメな会社もありました。人材募集のサイトが値引きキャンペーンをしているので「うちも二、三人募集しますか」。必要もないのに人を増やすのは良くないと参考になりました。私の会社は今も最小限の人員をキープすることを心がけています。

 また多くのベンチャーで働いていると、出来る社員やアルバイトの見分けがつくようになります。ベンチャーは人材の宝庫でもあり、起業するとき、そのうちの何人かに声をかけ、中核を担ってもらいました。おおげさなことを言うようですが、私は自分の会社にはグーグル並みの技術者に来て欲しい。でもグーグルのような高給はとても払えません。しかし、たとえば十日間に限定して、できる限りの時給を払うことならできるかもしれない―。そう考えているのです。これは、コンピュータ・サイエンスという仕事の特殊性もあるかもしれません。この仕事で最も重要なのはアイデアであり、仕事の見通しをつけることです。それは労働時間とはあまり関係がない。短期間でも、優秀な人材をあてられるかが勝負なのです。

東大の制度をフル活用

 大学院は、東京大学大学院情報理工学系研究科創造情報学専攻という長い名前のところを選びました。それは、この「創造情報」こそ、まさに私がやりたいことにぴったりだったからです。特に「実践工房」というカリキュラムなしには、今の会社はなかったと思います。

 これは一言で言うと、実践的にウェブサービスをつくり、創造的技術者を育成するプログラムでした。大企業の技術者(東芝の方でした)がメンター(助言者)につき、アイデアを具体化する上でのアドバイスをくれます。そして完成したプログラムを翌年、シリコンバレーで発表する。このとき、私が作ったのが、のちに会社名ともなった「ポップイン」というサービスでした。ウェブの記事の単語を選択すると、それに関連する記事や言葉の意味を瞬時に検索して閲覧中のページから離脱することなく、そのページ内に表示するというものです。今ではこのようなサービスは一般に普及しましたが、これを発表した二〇〇八年には、新しいアイデアでした。当時、サン・マイクロシステムズの技術者が絶賛してくれたことを覚えています。

 このとき私が考えたのは、このポップインというサービスをいかに買ってもらうか、ということでした。こうした小さい技術はベンチャーが抱え込むよりも、大手が使って世界に広がったほうが有意義だと考えたのです。それを当時の担当教員だった田中久美子准教授(現東京大学先端科学技術研究センター教授)と、東大のベンチャー向け投資ファンド「東京大学エッジキャピタル」(UTEC)の郷治友孝社長に相談すると、いますぐ動いたほうがいいという意見でした。そこでまず特許を申請することにしたのです。

 特許の権利は東大に譲渡し、私(ポップイン)は専用実施権という独占的な使用権をもらうという仕組みにしました。特許で厄介なのは、似た技術を作られるなどの権利侵害の問題です。そのとき、東大が主体であれば、きちんとした対応を取りやすい。しかもUTECからの資金は融資ではなく投資なので、失敗しても借金にはなりません。また、私は一人で日本にやってきて、親戚もなく、お金もない外国人です。事業を進める上で、東大と連携することは、とてもありがたいことでした。さらに言えば、当時、私は博士課程にも合格し、入学後すぐに休学手続きを取り、三年以内に事業が失敗したら博士課程に戻れるという条件もあったのです。素晴らしい制度でしょう(笑)。私はこの制度の恩恵を最も受けた人間だと思います。

 創業時の社員は私だけで、あとはバイト。その後、社員は増やしましたが、それでも十二人程度です。留学生には積極的に声をかけていて、いまは中国、日本、アルゼンチン、イギリスと四カ国の人間が働いています。一時期、フランス、アメリカ、インドネシア、ベトナムと八カ国の多国籍軍だったこともありました。

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