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精神科医の岩波明さんをマル激にお呼びして昨今の「炎上」についてトークしました

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昨年『他人を非難してばかりいる人たち バッシング・いじめ・ネット私刑』を上梓された昭和大学医学部教授で精神科医の岩波明さんとトークしました。宮台発言の一部を抜粋。全体は『サイゾー』5月18日発売号(6月号)を御覧下さい。


宮台◇ 大学でも、今世紀に入る前から、授業開始が5分遅れると「授業料を返せ」と言ってきたり、ゼミで報告の仕方を注意すると「人格を傷つけられた」と事務に泣きついたり、欠席者を放っておくと親が怒鳴り込んできたりと、クレイジークレーマーが目立ち始めます。十年前、事務から「ゼミを3回以上休んだ学生については、担当の教員が連絡を取ること」という申し入れがあり、「ここは幼稚園か」と発言すると、「お気持ちは分かりますが、どこの大学はそうしています」と。こうした変化は1996年頃から各大学でストーカーが目立ち始めた動きとシンクロしていると感じられました。

宮台◇ 芸能人スキャンダルも昔と違う。かつては皆でネタを共有して非日常的に盛り上がる明るいお祭り。そもそも芸能人のポジションが今より高く、スター扱いでした。昨今のスキャンダル叩きは、日常を生きることで生じる仄暗い怨念がそのまま表出されている。

 初期ギリシャでは、アリストテレスの議論に見るように、パトス──感情を含めた「降りかかってくるもの」──を制圧し、ヘタレな恐怖心や浅ましい嫉妬心を乗り越える存在が、“英雄的”“立派”とされました。それを踏まえたカントも、感情や欲望の赴くままに振る舞うのでなく、逆に感情や欲望を意志の力で抑える際にだけ、人は自由だとしました。

 その意味で、昨今ネットで「道徳的」批判を繰り出す類は、“立派”どころか、自分も欲望が赴くままに振る舞いたい輩が、欲望通りに振る舞える他者に、嫉妬しているだけ。芸能人に“立派”であることを求めているはずもない。<感情の劣化>現象の露呈に過ぎません。

宮台◇ 外的要因と内的要因を分けると、外的要因としてはネットやSNSを誰もが利用可能になり、ネガティブな思いを表出をしやすくなったことがあります。<脳内ダダ漏れ>です。昔なら日記で留まったものがネットに露出して「見える化」した面もあるけど、かつて日記を書いたとはいえ、昨今のネットの書き込み程じゃありません。

 同じく外的要因として、岩波先生がおっしゃる「社会の許容度」の縮小があります。昔あった企業や地域による「包摂」が消えて放置された人が、ネットやSNSでの攻撃的な書き込みを通じて炙り出されたことが大きい。

 加えて内的要因です。大学では二十年前から変なクレームをつける学生や親が増えます。平成不況深刻化が始まった97年とシンクロして見えますが、クレーマーやストーカーが目立ち始めたのはその直前。先の外的要因とは別の原因で人々が不寛容になり、道徳や法に準拠すると見えて実は浅ましき俗情の表出に過ぎない営みを、始めたのでしょう。

 95年はインターネット元年。97年からの平成不況深刻化よりもそちらの方が効いているかもしれません。ネットの御蔭で、かつてのように他者たちの視線や社会の常識を参照しなくても、表出できるようになったのです。この時期が<脳内ダダ漏れ>の出発点です。

宮台◇ 90年代後半に転機があったとはいえ、80年前後の動きを見逃せません。77年に奈良県で「隣人訴訟」が起こります。隣人に子供を預けて出かけたら、その間に池に落ちて死んだので、親が隣人を訴えた。すると日本中から非難が殺到。最終的に訴訟を取り下げるまでに追い込まれた一件です。

 ところが83年に結審するまでの間、隣人側を叩く世論が次第に盛り上がり、何かというと管理者責任や設置者責任を問うタイプの訴訟が連発します。行政官僚は「リスク回避」のマクシミン戦略が第一原則だから、公園から箱ブランコや回旋塔を撤去、屋上や放課後の校庭をロックアウト、全ての小川や運河を暗渠化・鉄柵化していく。

 昔なら「子供か死んだらどうする!」といったクレーマーの噴き上がりは、地域共同体のコモンセンスで囲い込まれ、行政を動かすに至りませんでした。ところが地域共同体の空洞化を背景に、正論じゃないとは言えないクレーマー発言が、地方議会での問題化などを通じて行政を動かすようになります。この空洞化は、80年代半ば以降、全国の人口20万以上の町なら例外なくテレクラが林立するようになった状況に、象徴されます。

宮台◇ そう[=管理化の正体は行政の力だと]思います。昔は共同体が問題を解決し、今ほどシステム──市場と行政──に依存しませんでした。ところが共同体が空洞化すると、共同体が問題解決できないぶん、システムに依存しがちになります。トックヴィルが言うように、共同体が国家から自立していないと、個人は国家から自立して行動できない。だから、共同体が行政官僚に依存するほど、個人も行政官僚に依存せずにはどう行動すべきか分からなくなります。だから何かというと「行政は何をしてるんだ」と噴き上がります。

宮台☆ パラフレーズします。「主人と奴隷の弁証法」と呼ばれるヘーゲル図式があって、奴隷になりたがる人がいるから主人が生まれるとします。さて人は誰の奴隷になりたがるか──社会によって答えが違います。

 日本人は「世間の奴隷であるべきだ」と考え、共同体内の「横の」眼差しに服します。キリスト教など一神教の文化圏は、地付きの共同体が空洞化しつつあるところを、信仰共同体で埋め合せた──そのぶん地付きの共同体を超えた普遍性を持つ──歴史があるので、「神の奴隷であるべきた」と考え、超越者の「縦の」眼差しに服します。

 「縦の」眼差しに服する文化圏は、フーコーが言うように、神が死ねば、「縦の」眼差しの機能を内面化、「自分が自分を見ているからちゃんとする」となります。要は「人が見ている」から「神が見ている」を通じて「自分が見ている」とシフトします。

 日本では、「縦の」眼差しならぬ「横の」眼差しだけだったのに、「横の」眼差しを可能にする共同体が空洞化しました。なのに、「横の」眼差しを意識して右顧左眄する行動原則は変わらないので、相変わらず世間を参照点として持ち出します。すると、ネットでバッシングに興じる人々は、実際には少しの仲間しかいないのに、ネットでは「同じ穴のムジナ」の書き込みばかりが目立つから、「世間は自分の味方だ」と思いやすい。

宮台◇ そこ[=自分から見える世界が全てだと思うこと]がポイント。昔と遜色ない濃密な共同性を生きる人々は今もいますが、荒しを恐れてネットからは<見えないコミュニティ化>しています。ネット空間を居場所とする人々からそれを見ると、そのぶん社会全体が劣化して見え、味方が大勢いると感じるのです。一口で言えば「見たいものしか見えない馬鹿」です。目に見えるインターネット上の発言をベースに、「ほら世間はこんなに怒っているじゃないか」と妄想性障害的に思いやすくなっています。

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