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日本に「報道の自由がない」は本当か、真の問題点を探る

国境なき記者団(RWB)が毎年発表する「報道の自由度ランキング」の最新版(4月)で、日本は72位と前年(61位)よりもさらに後退している。

この順位は民間メディアの政治的広告を禁止し司法権を縮小させ、「自由民主主義にはもう力はない。ロシアや中国やシンガポールのような独裁国家を目指す。」と宣言(2014年6月)したオルバン首相率いるハンガリーや中国本土からの情報及び人事工作の影響下にある香港よりも低い順位である。

少なくとも建前上は「報道の自由」が認められている日本がこの順位に位置するのはおかしい、という疑問は日本に住む人ならだれでも感じるのではないか。

RWBが指摘する日本の問題点は
①特定秘密保護法の成立
②調査報道の不足
③メディアによる報道の自主規制
だが、これらはリンクしている。

調査報道の具体例を引いて検討する。

調査報道とは公表される官製情報に頼らずにメディアやジャーナリストが独自に掘り起こしたニュースで、世界的に有名な例としては、1972年のワシントンポスト紙によるウォーターゲート事件(のもみ消し工作)の暴露、日本では1974年の文芸春秋(立花隆)による田中角栄研究、1988年の朝日新聞によるリクルート事件などが代表例として挙げられる。

さて、この調査報道とはどういった経路でニュースが出来上がるのか、これにはいくつかの経路がある。
以下、「放送研究と調査」(NHK、2009年4月)から引用する。

①1999年のKSD事件の例。
「古くからの友人から記者に電話がかかってきた」→週刊誌の独自取材→東京地検特捜部のフォロー(この時点で特捜部から週刊誌側に接触がある)→政界工作の暴露・参院の実力者村上氏の逮捕。

②田中角栄金脈事件の例。
立花らによる膨大な資料の整理→海外報道→世論の喚起→(日本の)報道各社の連鎖・追随→田中辞職。

③2005年の志布志県議事件(志布志警察署長と捜査員によるでっち上げ事件)の例。
テレビ番組「ザ・スクープ」による現地での被害者の取材及び顔出し証言の映像暴露→(捜査関係者による内部告発)→報道各社の連鎖・追随→2007年無罪判決→2008年冤罪事件防止策として警察庁「警察捜査における取り調べ適正化指針」を発表。

調査報道が「完成」するまでには情報の収集・整理、(対象者以外の)国家権力(地検特捜部)の介入、世論の喚起といった要素が必要だが、RWBには日本は特定秘密保護法や政治的圧力によって情報が隠され、報道が画一化された結果、シビアな局面での世論喚起の力が失われ、(他の)国家権力が介入する余地が狭くなった、と映ったのかもしれない。

かくいうRWBが「報道の自由」を謳うほどのものか、という批判もある。

RWBは1985年フランスで創設され、現事務局長含め歴代は全てフランス人。内紛もお家芸で、ドロワール現事務局長が就任してからは、大口スポンサーの撤退もあり、パリ本部の30人のスタッフのうち20人以上が交代し、クビになったスタッフは他誌でRWB批判に転じている。(「選択」5月号より)

人命の救援という確固とした目的の元に集った「国境なき医師団」が誰が見ても評価される国際的NGOに成長したのに比べ、「報道の自由」という評価軸の定まらない目的を標榜するRWBがなかなか信用されないのも仕方がないのかもしれない。

ただ、RWBの評価とは別に「国家権力の監視」が民主主義にとって非常に重要なのは確かではあり、日本において(というか世界的に)この部分が脆弱になっている面は否定しがたい。

アメリカの民主主義について論じたアレクシ・ド・トクヴィルは19世紀で既に民主主義の行き詰まりを指摘している。

「私の目に浮かぶのは、数えきれないほど多くの似通って平等な人々が俗っぽい快楽を胸いっぱいに想い描き、これを得ようと休みなく動き回る光景である。誰もが自分にひきこもり、他のすべての人々の運命にほとんど関わりを持たない。」
「この人々の上には一つの巨大な後見的権力がそびえたち、それだけが彼らの享楽を保障し、生活の面倒を見る任に当たる。その権力は絶対的で事細かく、几帳面で用意周到、そして穏やかである。」
(1835年「アメリカのデモクラシー」より)

確かにそんな感じだが、これの何が問題か。

「制度が複雑になり、個々人がバラバラになると、人々は「各市民が一つの固定した型に似ていて、唯一の権力によって統制される偉大な国家」を心に描くようになる。・・・これが自然に社会の諸特権に高い評価を与え、個人の諸権利に低い評価を与える。」

民主主義を構成する個人の権利が低めに設定されるのはよくない、と言っているようにみえる。

後年書かれた「アンシャンレジームと革命」(1856)ではもう少しわかりやすい批判を展開している。

「経済学者たちによれば、国家の任務は単に国民に命令するだけでなく、国民をある様式に従って形成することである。すなわち、国家の任務は、国家があらかじめ提案するある模型に従って市民たちの精神を形成することである。経済学者たちが想像しているこの巨大な権力は非人格的なモノであり、もはや王とは呼ばれないが、国家と呼ばれる。その権力は王族の世襲物ではなく、全体者の産物と代表者とであり、そして各人の権利はこの全体者の意志に従わねばならない。」

共同体が先か個人が先かという議論は後年ロールズやマッキンタイアが展開し、決着がつかず、まあ「好みの問題」と言えなくもないが、トクヴィルの慧眼は民主制においては有為の人材は経済界に流れると指摘している点だろう。

「一般に才能に恵まれ、情熱に燃えるものは(政治)権力から遠ざかり、富を追求する。往々にして、自分自身の仕事をうまく処理できないと感じる者だけが、国家の運命を左右する役目を引き受ける。」
(「アメリカのデモクラシー」より)

なので、経済的強者のみが「国家権力による精神形成」から逃れ、個人の諸権利を行使することができる、と言っているようにとれるし、これは何となく当たっているように思える。

では、民主制がうまく機能するために「(経済学者が指摘する)国家権力による精神形成」の罠から逃れた個人が諸権利を正当に行使できるようにするには何が必要か。

トクヴィルが結論したのは
①地方自治
「国土の各部分に政治の場を作り、市民が一緒に行動し、相互の依存を日々意識させる機会を増やす。」
「市民の関心を公共の利益に向けるには、小さな管理を委ねる方が、大きな事業の指導を任せるよりもはるかに役に立つ。」(前掲書より)
②出版・言論の自由
③(立法・行政権と独立した)司法権の拡大
④個人の権利
⑤正式な手続き
などだが、②、③、④は調査報道の在り方と関連している。

前述の志布志県議事件では②と④が世論喚起を促し、KSD事件では②と③が政界汚職を暴露した。

調査報道を構成する要素が民主主義を機能させるうえで重要であるなら、(この諸要素の減退という)RWBが指摘する日本の問題点は看過できないだろう。

ただ、こういった問題(権力による情報操作→精神形成)は日本に限らず世界的に並行的に起きているようにも見える。

例えば、膨大なパナマ文書に掲載されいているアメリカ人は200人程度で、大物は一人もいない。日本人(400人)やオーストラリア人(800人)より少ない。
アメリカ人が租税回避していないかと言えば、そんなことはなく、自国のいくつかの州で超優遇税制と守秘規定を(ヒラリー・クリントンを含む)多くの人物が利用している。
租税回避地で最も大規模(キャッシュフローが巨額)なのは、パナマやバージン諸島あるいはスイスではなくデラウェア州だという事実はなかなか庶民的には(イメージとして)すんなり入ってこない。

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