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ボコ・ハラムの変容(上)「少女の自爆テロ」急増の背景 - 白戸圭一

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ナイジェリアでイスラム過激派「ボコ・ハラム」に拉致されたとみられる少女たち。いまだに200人以上が行方不明とされる[2014年5月12日に公開された映像から。撮影日時と場所は不明](C)AFP=時事

 ナイジェリア北東部ボルノ州のチボクという街で、200人以上の女子中高校生が同国のジハード・テロ組織ボコ・ハラムに集団で拉致された事件を覚えておられるだろうか。事件が起きたのは2014年4月14日深夜から15日未明にかけてだったから、発生からちょうど2年が経過した。さらわれた少女の数は当時はっきりしなかったが、最近は全部で276人が拉致され、57人が脱出し、今も行方不明になっているのは219人との見解が一般的になっている。

2000人を拉致

 事件発生当時は、ボコ・ハラムの指導者アブバカル・シェカウが犯行を認めるビデオ映像で「こいつらは奴隷だ。奴隷市場でこいつらを売る」などと得意顔で演説し、救出を求める米国内世論の高まりを受けたオバマ大統領が救出チームを派遣した。だが、219人の行方は今も分かっていない。 

 事件発生から2年を迎える今、ボコ・ハラムを巡って起きている出来事について考察しておきたい。それは、少女を利用した自爆テロの多発についてである。

 今年3月25日、ナイジェリアの隣国カメルーン北部の街リマニで、身に着けていた爆発物で自爆しようとしていた少女2人が住民の自警団に拘束された。そのうち1人がカメルーン当局に、「私は2年前にボコ・ハラムに拉致された女子生徒の1人だ」と供述していると報じられたことから、騒ぎが大きくなった。

 しかし、ロイター通信のその後の報道によると、拘束された少女は12歳で、2年前にチボクで集団拉致された少女の保護者らに写真を見せたところ、チボク出身の少女ではなかったという。とはいえ、この拘束された少女2人も、チボクの女子生徒たちと同様に、ボコ・ハラムによる拉致被害者だった。国際人権団体アムネスティ・インターナショナルの推計では、2014年初頭以降、ボコ・ハラムによって拉致された未成年者は2000人に達する。少年は戦闘を強いられ、少女は性的奴隷にされているとみられている。

自爆テロの8割が女性

 2002年に創設されたボコ・ハラムによる攻撃形態の変化に注目すると、組織の創設者であるモハメッド・ユスフが警察に殺害される2009年7月までは、メンバーがバイクに2人乗りし、小銃、ナイフ、火炎瓶などで警察署などを襲撃する形態が中心で、民間人を狙った無差別テロは稀であった。その後、2010年初頭にシェカウが2代目リーダーに就任すると、自動小銃で武装した集団が町や村を襲撃し、自家製の爆弾を使用するケースが急増した。

 記録に残っている最初の自爆テロは2011年6月16日、ナイジェリアの首都アブジャの国家警察本部に対する攻撃だった。しかし、この時は男のメンバーによる車を使った自爆テロであり、少女を使った自爆テロが報告され始めたのは、2014年後半からだ。顕著に増加し始めたのは2015年に入ってからである。 

 カメルーン国軍によると、ナイジェリアから越境してきたボコ・ハラムによる攻撃は現在まで336件発生しており、このうち34件が自爆テロで、14歳から24歳の女性による自爆が8割を占めるという。一般に少女や若い成人女性は犯罪者として疑われにくいために利用されているとみられるが、「自爆」とは言っても、自爆前に保護された少女の話から、彼女たちは「自爆しなければ殺す」と脅迫されたり、爆弾ベルトを巻かれて人混みに立たされた上で、遠隔操作で起爆されていることが多いという。

ブハリ新政権の掃討作戦

 まさに非道というほかない少女の自爆テロは、なぜ、増加傾向にあるのか。注目すべきは、ナイジェリア軍による掃討作戦が強化され、ボコ・ハラムによる領域支配が崩壊していくにつれて自爆テロが増えてきた点だ。

 少女を使った自爆テロが増え始めた2015年には、ナイジェリアで政権交代があった。2015年3月28日の大統領選挙で再選を目指した南部出身のグッドラック・ジョナサン大統領が敗北し、北部出身の元軍人でイスラーム教徒のムハマンド・ブハリ氏が当選を果たした。

 ボコ・ハラム対策を公約に掲げて当選したブハリ大統領は、当選から2カ月後の5月29日の就任早々、ボコ・ハラム掃討作戦の最前線に立つ政府軍の改革に着手した。ナイジェリアの軍は、兵士による住民への違法な暴力行使や戦闘任務の放棄など数々の問題を抱えた組織であり、軍の堕落が効果的なボコ・ハラム対策を妨げていることは火を見るより明らかだったからである。

 ブハリ大統領は、ボコ・ハラムの本拠地である北東部ボルノ州出身で現地情勢に精通したトゥクル・ブラタイ中将を新たな陸軍参謀総長に任命した。これに伴い、首都アブジャに置いていた掃討作戦本部をボルノ州の州都マイドゥグリに移し、司令部と前線の兵士との迅速な意思疎通を実現した。また、近隣国のカメルーン、チャドの軍との意思疎通も緊密化し、国境を越えて活動するボコ・ハラムのメンバーを各国軍が協力して追撃できる態勢を強化した。

狭まる活動領域

 現場の兵士の士気を高めるには、軍上層部の汚職体質にメスを入れることも重要であった。ナイジェリアの捜査当局は2015年12月、ジョナサン前政権でボコ・ハラム対策を統括していたサンボ・ダスキ前大統領顧問を兵器調達に関連して20億ドルを不正取得した疑いで逮捕した。

 構造化した軍の汚職体質や暴力的な精神風土が短期間で変わるはずもないが、矢継ぎ早の改革は一定の成果を上げたと思われる。ボコ・ハラムは最も勢力が強大だった2015年1月時点では、九州の1.2倍の広さに相当する約5万平方キロを支配していたが、軍が攻勢を強めた結果、マイドゥグリをはじめとする北東部の主要都市は2015年11月末までに奪還され、昨年末時点で、ナイジェリア国内のボコ・ハラムの組織的拠点は、カメルーン国境に近いサンビサという森林地帯のみになっていた。ボコ・ハラムがカメルーンに攻撃の拠点を移したのも、ナイジェリア国内で自由に活動できる領域が狭まったことに起因していると思われる。

 ボコ・ハラムのメンバーはナイジェリア北東部からカメルーンの都市や農村に分散して潜伏しているとみられ、それまでは車やバイクで移動していたボコ・ハラムのメンバーが、ガソリンが調達できずに馬で移動し、19世紀の旧式の銃を持ち歩くようになったとの情報が昨年末から筆者のもとに入ってくるようになった。(つづく)


白戸圭一 白戸圭一
三井物産戦略研究所国際情報部 中東・アフリカ室主席研究員。京都大学大学院客員准教授。1970年埼玉県生れ。95年立命館大学大学院国際関係研究科修士課程修了。同年毎日新聞社入社。鹿児島支局、福岡総局、外信部を経て、2004年から08年までヨハネスブルク特派員。ワシントン特派員を最後に2014年3月末で退社。著書に『ルポ 資源大陸アフリカ』(東洋経済新報社、日本ジャーナリスト会議賞)、共著に『新生南アフリカと日本』『南アフリカと民主化』(ともに勁草書房)など。

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