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人工知能に棋士が負けても悲観しなくていい - 茂木 健一郎

茂木 健一郎

グーグルが開発した人工知能のAlphaGoが、囲碁のトップ棋士を次々と破っていくニュースは、多くの人に衝撃を与えている。

囲碁は、将棋やチェスに比べると格段に複雑だから、人工知能が追いつくとしてもまだ先だと思われていたのが、この結果。

多くの人が、人間の存在意義は何か、これからの時代には、人間は何をしていけばいいのか、と悩み始めている。

私自身、さまざまな方から、「そのうち、人工知能にすべてとって代わられちゃうんでしょう?」と真顔で相談されることが、多くなってきた。

しかし、そこまで深刻に考える必要もないのではないかと思う。そのことは、今回のAlphaGoの快進撃の意味を考えると、見えてくる。

もともと、チェスや将棋、囲碁は、世界的に見ると「スポーツ」の一部だと見なされている。日本では、身体を動かすサッカーや野球、陸上といった競技だけが「スポーツ」だというイメージが強いが、頭脳を使うスポーツもあるのである。

スポーツとして囲碁などのボードゲームを見ると、人工知能が発達して、人間が負けるようになっても、実はその意義は変わらない。

「走る」ということには、かつては実際的な意味があった。例えば、伝令の役割を担う人が、速く走れるということには価値があった。

マラトンでのペルシャの大軍相手の闘いに勝利したことを伝えるために、マラトンから約40キロ離れたアテナイまで伝令が走り続け、勝利を伝えた後に息絶えたという故事は、速く走ることがかつて持っていた意味を象徴する。

時が流れ、今では、速く走るということ自体の意味はなくなった。自動車や列車、飛行機といった文明の利器を前に、速く走れる人が伝令になる、という需要は皆無である。

それでも、人々が走るのをやめたのかといえば、そうではない。100メートルからマラソンまで、オリンピックの「走る」競技は人気だし、最近ではランニング・ブームといわれるように、自ら走る人も多い。

人は、走ることの実際的な意味がなくなった後でも、走り続けるのである。

そう。スポーツとして。

「スポーツ」という言葉は、もともと、「余暇」や、「人間が楽しむためにやること」という意味から来ていると言われている。

自動車に乗れば、あっという間に着くことがわかっていても、その距離を人間はわざわざ走っていく。苦しくても、それを乗り越えることに意味があると考えるのだ。

同様に、将来的には、人工知能のほうが圧倒的に強いとわかっていても、人間が、その有限の記憶力、集中力、思考力を駆使して、囲碁などのボードゲームを楽しむ、ということの意味が失われるわけではない。

そうすることで、脳の回路が鍛えられるし、認知症の予防にもなる。

人工知能の発達によって、人間の思考から神秘さが奪われたとしても、スポーツとしての意義は変わらない。そう考えれば、必ずしも悲観することはないと思う。

将来、自動翻訳が普通になっても、人々は英語を学ぶだろう。スポーツとして。

むしろ、人工知能の発達により、人間は、スポーツとしての思考、外国語習得の純粋な歓びに目覚めていくのかもしれないのである。

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