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領土問題をめぐる議論のウソ(1) 「ダレスの恫喝」でわが国は4島返還論に転じたというウソ

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BLOGOSで

大前研一「日本人が知らない日本の歴史」について、話をしよう【前編】

という記事を読んだ。PRESIDENT Online から転載されたものだ。

 この記事で、大前氏は、

日本人の多くは、日ソ中立条約があったにもかかわらず、日本がポツダム宣言を受諾して無条件降伏した後にソ連軍が侵攻を続け、北方領土を不法に占拠し、以来、実効支配しているのだ、と思い込んでいる。しかし史実は異なる。

と述べた上で、北方領土問題の経緯を語っている。
 しかし、氏が語る経緯の中には何点かウソが含まれている。

 大前氏に限らず、わが国の領土問題をめぐる議論において、ウソが語られることがあるのを私はこれまでしばしば見てきた。
 領土問題については、何もわが国政府の見解が唯一絶対ではない。さまざまな主張があってよいと思うが、しかしウソはいけないだろう。
 そこで、とりあえずこの大前氏の記事中のウソをいくつか指摘しておこうと思う。

 まず、北方領土については、2島(歯舞諸島及び色丹島)の引き渡しで日ソが合意寸前だったが、米国がそれを阻止しようとわが国に4島(歯舞、色丹、国後、択捉)返還論を強要したため、こんにちまで領土問題が残ることとなったという主張について。
 大前氏の記事にはこうある。

1951年のサンフランシスコ講和条約において、早期講和のために日本は千島列島の領有権を一度放棄している。これを翻して、「放棄した千島列島に北方四島は含まれない」との立場を日本政府が取るようになったのは、日ソ共同宣言が出された1956年のことだ。サンフランシスコ講和条約にソ連はサインをしていない。したがって日ソの国交正常化は日ソ共同宣言によってなされるが、このとき平和条約を締結した後に歯舞、色丹の二島を日本に引き渡す二島返還論で両国は妥結寸前まで交渉が進んだ。

しかしアメリカがこれに難色を示す。東西冷戦が過熱する状況下で、領土交渉が進展して日ソ関係が修復することをアメリカは警戒したからだ。1956年8月に日本の重光葵外相とダレス米国務長官がロンドンで会談した際、ダレスは沖縄返還の条件として、ソ連に対して北方四島の一括返還を求めるよう重光に迫った。

当然、当時の状況下で四島一括返還の要求をソ連が受け入れるわけもない。結局、平和条約は結ばれず、同年10月に署名された日ソ共同宣言(12月発効)では領土問題は積み残された。

 しかし、この説明は正しくない。
 重光-ダレス会談の前に、重光葵外相はソ連との国交回復交渉で、2島返還は受け入れられないと表明しているからだ。

 日ソ国交回復交渉は1955年1月、その前月に内閣を発足させた鳩山一郎首相のもとにソ連の駐日元代表部(占領期にソ連の代表部が置かれたが、サンフランシスコ平和条約の発効により法的根拠を失い「元」代表部と称された)首席代理のドムニツキーが書簡を届けたことに端を発した。
 ドムニツキーは当初外務省に接触を図ったが、重光葵外相により拒否されたため、やむなく鳩山首相に接触したのだった。

 1955年6~9月と、ロンドンで、松本俊一(衆議院議員、元駐英大使、元外務次官)全権とヤコブ・マリク(駐英大使、元駐日大使)全権らによる交渉が行われたが、領土問題で交渉は決裂した。領土については交渉中に日本側に方針転換があったが、これについては別の機会に述べる。
 1956年1~3月に松本とマリクによる第2次ロンドン交渉が行われたが、進展はなかった。
 1956年4~5月には河野一郎農相が訪ソし、漁業問題についてイシコフ漁業相と交渉し、日ソ漁業協定を締結した。しかし協定の発効は国交回復が条件であり、7月末までに国交交渉を再開することとなった。
 日本側の全権には重光外相が就くこととなった。
 松本の回想録によると、鳩山首相はソ連との国交回復に非常に熱意を持っていたのに対して、重光外相はすこぶる熱意がなかったという。
 重光の訪ソに同行した産経新聞の久保田正明が後に著した『クレムリンへの使節』(文藝春秋、1983)によると、外務省では彼らの頭越しに交渉を開始した鳩山への反発が強く、交渉への態度はおおむね重光と同様だったという。
 重光は第二次世界大戦中にも外相を務め、戦後A級戦犯の1人に指名され、東京裁判の被告の中では最も軽い禁錮7年の刑を宣告されたが、重光がA級戦犯に指名されたのはソ連の要請によるものであったという。

 同年7月に重光は首席全権としてモスクワに赴き、シェピーロフ外相と交渉した。松本も全権として同行した。
 重光はソ連側に対して強硬姿勢をとったが、領土についてソ連側から妥協を引き出すことはできなかった。
 すると重光は豹変し、やむを得ずソ連案(歯舞、色丹の引き渡しによる平和条約締結)をそのまま呑む以外にはない、しかも自分は全てを任されているから日本政府への請訓の必要もないと言い出した。
 松本の回想録によると、松本は、第1次ロンドン交渉において重光から国後、択捉をあくまで貫徹せよとの訓令を受けてこれまで苦労してきた経緯や、政府の規定方針、自民党の党議、国民感情等を考慮してこれに反対し、重光もしぶしぶ請訓することに応じたという。
 請訓を受けた鳩山政権の閣僚、党3役は到底受諾できないとの意見で一致し、鳩山首相はソ連案を拒否するよう重光に返電した。交渉はまたも決裂した。

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