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ビル・ゲイツ、孫正義 同時代を駆け抜けてきた 『僕が伝えたかったこと、古川享のパソコン秘史』に寄せて

江藤哲郎 (ベンチャーキャピタリスト)

 2015年12月、恩師古川享(元アスキー取締役、前マイクロソフト本社副社長、現慶大教授)が自伝『僕が伝えたかったこと、古川享のパソコン秘史』(インプレスR&D)を出した。ビル・ゲイツとの会話や経緯も知らなかった裏話が天こ盛りで、マイクロソフト日本法人の初代広報宣伝課長だった私も驚く様な内容もあった。


僕が伝えたかったこと、古川享のパソコン秘史

 タイトルの副題としてEpisode1アスキー時代とあるので、マイクロソフト時代、慶大時代と続くのかもしれない。発行元であるインプレスR&Dの井芹昌信社長のご厚意もあり私の事も少し取り上げて頂いているが、流石このお二人のプロジェクトらしく発行形態はPOD(Print On Demand)の先端を行くNext Publishingだ。発行に寄せて、部下であり黒子であった私の目から見たアスキー時代のインサイドストーリーも少し書きたい。

 1985年も暮れようとしていた頃、南青山骨董通りにあったアスキーの会議室では取締役ソフトウェア企画部長の古川享の招集で部下が集められ、皆が真剣な面持ちで話を聞いた。トップ・シークレットだった。「マイクロソフトとの提携を解消する」。えっ!? アスキーはどうなるんだ……。


古川享氏 ©Naonori Kohira

 年末年始の休みに、立花隆の『宇宙からの帰還』を読んだ私は、アスキーにとってのアポロ計画を立てるしかないなどと意気込み、新たな提携候補を探す準備をした。その頃アスキーは既に年商100億を超え株式の店頭公開の準備も始まっていたが、内外においてその信用を支えるのは、マイクロソフト極東総代理店という大看板だった。提携解消が明るみに出る前に戦略的な提携先を決めて、ビル・ゲイツにとって代わる大物外タレを招聘したかった。

ボーン・イン・ザ・USA

 ネットウェアというOS(オペレーティング・システム)でネットワーク・ソフトウェアの市場をリードしたノベルは、ユタ州にある。州都ソルトレイクシティから南に車で2時間ほど走ったオーレムという町に、当時まだその本社があった。道は真っ直ぐで両側は荒涼とした風景。ブルース・スプリングスティーンのボーン・イン・ザ・USAを聞くなら、こういう風景が一番マッチするだろう。86年になり、いよいよマイクロソフトに代わる大きな商材を探さねばという一念に駆られ、先輩の渡邊新治と共にその地を訪れ交渉したが、ノベルからソースコードは一切開示しないという駄目出しを喰らって商談は仕切り直しとなり、サンフランシスコまで一旦退却した。新たな外タレになるはずのレイモンド・ノーダのアポすら取れなかった。

 空港でいつも通り何気なくWSJ紙を買い、ページを捲るとマイクロソフトの見出しの少し下に副社長の西和彦の似顔絵が目に留まった。読むと、アスキーとの提携を解消すると書いてある。もうばれてしまった……どうするか、どうしようもない。当然ノベルにも知られてしまっただろう。私は空港にあったPacBellの公衆電話の受話器を取ると、KDDのハローカードの番号を伝え、東京で待つ古川にパーソン・ツー・パーソン・コールで報告した。「もう日経新聞の一面に出ているよ」と言われ、無力感に苛まされたまま帰路についた。


ビル・ゲイツ氏 ©Naonori Kohira

マイクロソフトへの転職

 代々木上原の自宅に戻りその日経を初めて見た「米マイクロソフト、アスキーとの提携解消」とあった。遂にその時が来たんだなと改めて思った。だがこの話はまだ終わらなかった、というより新たなストーリーが始まった。帰国後古川は私を昼食に誘い切り出した。「マイクロソフトの日本法人ができて、自分は社長で行くことになった。日本は研究開発拠点にもなる。君も来ないか?」。私は「お願いします」と即答したが、内心複雑なものはあった。マイクロソフトの社員になるという事はシリコンバレーでのイノベーション・ファインダーとしての活動は無くなるだろう。自分は今後一社のテクノロジーだけを追いかけるのか?

 私は大学卒業前、当時三田にあった東海クリエイトでアルバイトをしていたことがある。N88-BASIC(86) ベーシックで書いた販売管理システムのマニュアル制作をしていた。そこで成長目覚ましいパソコン産業があることを知る。アメリカではマイクロソフトのOSがIBMに採用され標準を押さえているらしい。日本ではキープレイヤーはどこかと調べると、マイクロソフトの総代理店アスキーとソフトウェアの流通最大手ソフトバンクだった。

 就職活動で皆が華々しく都市銀行や大手商社に内定を決める中、私は学生部に求人票も出ていないアスキーとソフトバンクの代表番号に電話して面談を申し込んだ。学生時代カシオペアというバンドのマネージャーをして全国ツアーをした等とずうずうしく自分をアピールしたせいか、幸い両社から内定を貰った私だが少し迷った。


孫正義氏 ©Naonori Kohira

パソコンの神童

 ソフトバンクを率いる孫正義はその頃パソコンの神童と呼ばれ頭角を現していたが、動静がよくわからなかった。最終面談で孫に会いたいという私にセコムから転じて社長となった大森康彦が答えた「会長は入院中で会えない」。肝臓を患っていたのだ。私は最終面談で郡司明郎社長と塚本慶一郎副社長に会えたアスキーに入ることにした。まだ会うかどうかもわからなかったビル・ゲイツという存在が後ろにある事も大きかった。後から考えると、その頃からマイクロソフトに入る流れだったのかもしれない。

 84年の4月はアスキーの定期採用の初年度となり、同期の30名と1カ月の研修期間を過ごした。社員番号は212番で、配属が発表され迎えに来たのが古川だった。その古川の下、2年後にはマイクロソフト日本法人設立に参加するとはその時は思ってもみなかった。

 後にトム佐藤等と共にWindowsコンソーシアムを立ち上げたのは1989年8月。ソフトバンクにその会長職就任を依頼した際、私は新宿のヒルトンホテルの中華料理店でビル・ゲイツと孫正義の初対面と握手を演出した。古川がその企画をバックアップしてくれたのも有難くまた懐かしい思い出だ。

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