記事

「1998年の宇多田ヒカル」著者が語った"音楽ジャーナリズムの危機"

前回、『1998年の宇多田ヒカル』(新潮新書)の著者、宇野維正氏に、音楽制作を取り巻く環境の変化やビジネス状況について話を聞いた。本作は宇多田ヒカル、椎名林檎、aiko、浜崎あゆみという4人の”同期”アーティストの17年間を軸に、彼女たちの相互交流や変化も描くことで、デビュー時のイメージしか持たない読者に対して新たなアーティスト像を提示している。また、それと同時に、この一冊を通して、紙媒体の低迷とともに行き詰まりを見せている音楽ジャーナリズムへ向けた宇野氏の問題提起が流れているとも捉えることができるだろう。

今回は、宇野氏が長年身を置いてきた、音楽ジャーナリズムの現状について語ってもらった。【大谷広太・永田正行(編集部)】

前回記事『「1998年の宇多田ヒカル」著者が語った”音楽ビジネスの頂点と現在地”』はこちら

■日本の音楽ジャーナリズムは“だらしなかった”

ー『1998年の宇多田ヒカル』の中で、99年に宇多田ヒカルがホームページを立ち上げて情報発信をするようになり、それがニュースになっていくのを見て、危機感を覚えたと書かれていますね。

今では、アーティスト本人がTwitterやブログでどんどん情報発信ができますし、ファンクラブで囲い込むこともできますから、音楽雑誌はもう要らないんじゃないかという議論も出てきていると思います。


宇野:大前提として、音楽ジャーナリズムは大変重要です。それが完全に舐められています。舐められているのは、だらしなかったからです(笑)。貧すれば鈍する、という状況が続いてきたわけで、それに尽きるんですよ。

もちろん中には頑張っている方もいるので一概には言いたくないのですが、もしアーティストが発信したいことをただ代弁するだけだったら、それはアーティストのホームページでやるべきことで、音楽メディアである必要はない。

一方で、アーティストを前にジャーナリズムの姿勢を貫くのが難しくなっているのも現実です。メディアの力が弱くなったことで、インタビュアーの選定段階から事務所主導になっているケースがとても多い。一応、仕事としてはレコード会社、編集部・編集者を通ってはいるけれども、結局のところ事務所がライターに直接オファーしているのと同じ。芸能界では昔からそういうやり方が主流だったのかもしれませんが、だとしたら、今や音楽業界は芸能界のルールに完全に飲み込まれてしまっている。

芸能界では、あらゆる局面において誰かが分断を図ります。分断そのものが、事務所の仕事になっている。これは一例ですが、とある大手事務所の若手俳優にインタビューをしたとします。そこで、彼や彼女が大きな影響を受けた外国映画の話をする。昔は、そういう発言がきっかけになって、そのファンの文化の横断が生まれていたわけですが、その俳優がビッグスターであればあるほど、そういう要素はカットされてしまう。それは、事務所が宣伝に利用されるのを過度に気にするからです。ビジネスのことしか考えたことがないから、すべてがビジネスの話に思えてしまうんでしょうね。それに似たようなことは、音楽業界にもたくさんあります。

そうなると、もうどこまでがそのアーティスト本人の人格なのかわからなくなる。スタッフも含めてそのアーティストの人格だとわりきらないと、精神的に疲弊してくる。きっと、短期的なビジネスとしてはそれが正解だったりもするんでしょうけど、そこには批評的視点や歴史的視座が入り込む余地がなくなっていく。

僕はこの本の中で「音楽ライター」と「音楽ジャーナリスト」は本質的に違うものだと書きましたが、それは、もはや「音楽ライター」の仕事が「音楽パブリスト」になってしまっているからです。自分自身、それを全否定するつもりはなく、自分が好きなアーティストに関してはその役割を担うことはあります。でも、そうして音楽メディアからジャーナリズムが消えていくのであれば、今回ように一般に広く開かれた新書を書くというのも音楽ジャーナリズムのひとつの方法論だと思ったんです。

世の中に、批評の役割を理解できない表現者がいるのはこれまでも肌で感じてきました。批評というのは、批評される側に「あの批評を読んであの作品を読もう、聴こう、観ようと思った」というような体験がないと理解できないものだと思うんですよ。批評が機能不全を起こしてきたことで、そういう体験そのものがないアーティストが増えているとしたら、それはとても悲しいことですし、その状況にはできる限り抵抗をしていかなければいけないと考えています。

自分自身は、音楽家や映画監督に心を動かされてきたのと同じくらいの頻度で、若い頃に蓮實重彦や渋谷陽一などの批評にガツンとやられてきましたからね。批評によってものの見方が代わり、見識がより深まっていく。それなくして文化の発展はあり得ません。もちろん批評は表現よりも上にあるものではありませんが、決して下にあるものでもない。映画や音楽を広める上で、そして次の世代へと伝える上で、なくてはならないものです。

■より広い範囲の地図を提示できなければ、文化がやせ細っていく

ー「このアーティストにはこういうルーツがあって…」とか、「このフレーズはここからの引用だとかオマージュだ」とか、そういうことを本人が語らないとするならば、音楽ジャーナリズムがその見取り図を示してあげることで、ファンはより掘り下げて楽しむことができると思います。そういうことができていないと。

宇野:現状は紙媒体に限らず、ほとんどの音楽メディアで、アーティスト自身も気づかなかった新しい視点を投げかけたり、繋がりを見出したりといった作業がほとんど行われていないんですよね。

音楽に関して書かれているもので、今の世の中に溢れているのは、言うなれば地図を拡大して見やすくする、それだけなんですよね。つまり、対象アーティストしかそこにはいない。宇多田帝国、林檎帝国、aiko帝国の地図、もっと言えば、AKB帝国、EXILE帝国、ジャニーズ帝国の地図、という具合に(笑)。でも、本来我々はいろんな風習や思想を持った町や村に隣接しているところに住んでいるはずなんです。なのに、その町や村に行くための道が書いてある地図がないんです。

もちろん、作り手は隣接する町や村のこと、そしてその歴史のことを考えています。それを考えないと、いいものなんて出来ませんからね。近藤真彦が『ブルージーンズメモリー』のサビの最後で「青い稲妻」と歌ったからこそ、SMAPの『青いイナズマ』という曲が出来るわけですよ。作詞者や作曲者が違っても、作り手はジャニーズの歴史を意識しながら作っていますし、歌っている側も、そういうことが少しずつわかってくるわけです。ただ、作り手のそういう意識が受け手にどんどん共有されなくなってきている感じがするんですよ。本にも書きましたけれども、作り手の"肉声絶対主義"の弊害もあると思います。

僕らはもっとアデルと宇多田ヒカルを比較して考えるべきだし、リアーナと浜崎あゆみを比較して考えるべきなんですよ。だけどそういう言説はどんどん削ぎ落とされて、あれだけ本人同士が仲の良い宇多田ヒカルと椎名林檎でさえ並べて語られることがほとんどなく、本人たちの口から出ることを聞くだけで、誰もそれについて語らない、質問を投げかけない。

もちろん音楽にはビジネスと文化の両方の面がないといけないわけですから、ビジネスの論理で動いてしまうのものもわかるんです。アーティストの側も、ファンクラブを作って皆を囲い込もうとする。そこに集まってファンに優先的にチケットを売って、客が集まれば成り立ってしまいますからね。映画はまだ一期一会の世界なので、作品ごとにプロデューサーと監督と役者との交流がありますが、音楽の場合、一度出来上がったシステムはそのままビジネスとして独立した存在のまま長期的に持続できてしまいます。批評とかジャーナリズムは、そこに対してより広い範囲の地図を提示するのが仕事なんですよ。それがなければ、その文化はやせ細っていくばかりです。

■宇多田ヒカルや椎名林檎の「強い意志」と「変化」を伝えたかった

ー一方で「歴史的な文脈なんて知らなくても、今、楽しめてるからいいじゃん」とか、「それって半ば啓蒙してやろうという"上から目線"じゃない?」と思うような人もいるかもしれません。読者が批評を求めているのかどうかも、難しいポイントですよね。

宇野:いや、文化には歴史の側面があるというのではなく、文化=歴史なんですよ。ポップ・ミュージックは歴史です。そういう視点を"おせっかい"と言うのであれば、文化を文化として受容する力がないと言わざるを得ない。優れた音楽をやっている人で音楽をあまり聞かないという人にはほとんど出会ったことがありません。幅広く聴いてはいなくて、特定の音楽に精通しているという場合もありますが、音楽好きじゃない人にいい音楽が作れないことははっきりしています。少なくとも宇多田ヒカルにせよ、椎名林檎にせよ、aikoにせよ、彼女たちは古今東西の音楽にめちゃくちゃアンテナを張り続けています。それは宇多田ヒカルのラジオ番組を聴けばわかるし、椎名林檎ほど熱心にデビューしてからも小さなライブハウスにこっそり通っていたミュージシャンを自分は知りません。彼女たちの音楽が他よりも優れているのは、彼女たちが他のアーティストよりも熱心に他者の音楽やその歴史に向き合っているからだと言ってもいい。

しかし、彼女たちの活動自体は"帝国化"し、結果的にファンが囲い込まれたことによって、熱心なファン以外は『Automatic』や『丸の内サディスティック』でイメージが止まっているという状況が生まれてしまいました。自分がこの本を書いた動機の一つには、多くの人の中で2001年あたりで止まっている宇多田ヒカルや椎名林檎のイメージを更新させたいというのがありました。彼女たちがどれだけ強い意志をもって変化をし続けてきたか、それを伝えたかったのです。

(うの・これまさ)
1970(昭和45)年、東京都生まれ。映画・音楽ジャーナリスト。「ロッキング・オン・ジャパン」「CUT」「MUSICA」等の編集部を経て、現在は「リアルサウンド映画部」で主筆を務める。編著に『ap bank fes official document』『First Love 15th Anniversary Edition』など。

Twitter
宇野維正×常見陽平×柴那典「”奇跡の1998年”から”激動の2016年”へ 。Jポップの未来はどこにある?」『1988年の宇多田ヒカル』刊行記念 -本屋 B&B


1998年の宇多田ヒカル (新潮新書)
宇野維正
新潮社
売り上げランキング: 429

あわせて読みたい

「ジャーナリズム」の記事一覧へ

トピックス

ランキング

  1. 1

    小池氏の演説を見守る「ある人物」とは?

    PRESIDENT Online

  2. 2

    19人刺殺の容疑者"今時珍しい良い青年"

    キャリコネニュース

  3. 3

    19人刺殺 愛国心や右翼思想過熱化の危なさ

    弁護士 紀藤正樹 Masaki kito

  4. 4

    おときた都議 週刊文春の記事でコメント

    おときた駿(東京都議会議員/北区選出)

  5. 5

    世界的な「ポケモンGO旋風」に焦る韓国

    WEDGE Infinity

  6. 6

    美容師の悪すぎる待遇 平均年収は284万円

    キャリコネニュース

  7. 7

    ニートが教えてくれた"お金より厄介なもの"

    PRESIDENT Online

  8. 8

    語学留学しても英語の達人にはなれない理由

    新井克弥

  9. 9

    正直楽じゃない 地方移住はよく考えてから

    キャリコネニュース

  10. 10

    全国エリア別 通勤電車の混雑率ランキング

    マンション選び研究所

ランキング一覧

ログイン

ログインするアカウントをお選びください。
以下のいずれかのアカウントでBLOGOSにログインすることができます。

コメントを書き込むには FacebookID、TwitterID のいずれかで認証を行う必要があります。

※livedoorIDまたはYahoo!IDでログインした場合、ご利用できるのはフォロー機能、マイページ機能、支持するボタンのみとなります。