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ハンセン病回復者の祈り「若い人たちにお願いしたい。忘れないでほしいと」

20年前まで残っていた「らい予防法」

「ハンセン病」というと、どんなイメージをお持ちだろうか。「昔の病気?」「治るけど、後遺症があって大変そう?」「患者たちは長らく差別を受けてきた?」。いずれも正解だが、実際に罹患された方々のお話を聞くと、そうした「漠然としたイメージ」は薄れていく。不当な差別のもとで隔離され、家族からも涙ながらに引き離され、絶望と希望の中を生きたその「生」に、圧倒される。

ハンセン病は「らい菌」による慢性の感染症で、95%以上の人が免疫力を持っている。第二次大戦中から薬の開発が進み、今では完全に治る病気だ。私は昨年から、毎年1月最終週に設定されている「世界ハンセン病の日」をきっかけに、「THINK NOW ハンセン病」と称した日本財団のキャンペーンを取材している。手応えは感じるが、回復者が高齢化していることなどから、まだまだ「よく知らない」人も多いように思う。

若者にも関心をもってもらうため、「読書界のスポーツ」とコラボレーション

撮影:北条かや
今年は、 らい予防法が廃止になって20年の節目。まだ20年ともいえるが、これを機に、より多くの若者たちに知ってもらおうと、今年はハンセン病文学(ハンセン病患者・回復者が書いた本や、ハンセン病についての記述のある本)をテーマに、学生らにも人気の文学イベント「ビブリオバトル」が開かれ た。

一般公募で選ばれた「バトラー」5人が、書評を各5分で発表。その後2~3分の質疑応答を経て、会場全員が投票する。最も読みたくなった「チャンプ本」が決まる瞬間は、ドキドキと胸が高鳴る。

5人が取り上げた作品は、回復者である故・近藤宏一『闇を光に ハンセン病を生きて』(みすず書房)、ハンセン病患者がキーとなるサスペンス文学、石井光太『蛍の森』(新潮社)、断種手術も行われていた中で生まれた患者の子供が著した、宮里良子『生まれてはならない子として』(毎日新聞社)、昨年、映画化され話題になった、ドリアン助川『あん』(ポプラ社)、そして大物作家・遠藤周作『わたしが・棄てた・女』(講談社) の5作品だ。

若者はハンセン病文学をどう読んだか

参加したのは、大学生を中心とした若者たち。ゼミでの経験や、塾でのアルバイトを通して他者と触れあうなかで、自然と「『差別=社会が人と人の間に線を引くこと』に思いを馳せた」との声もあった。

撮影:北条かや
バトルは熱かった。5人がそれぞれ、「この本に惹かれた理由」や、「最もおすすめしたい読みどころ」などをプレゼン。故・近藤宏一『闇を光に ハ ンセン病を生きて』(みすず書房) を選んだ学生は、「これまでハンセン病は遠い存在だったが、近藤さんが僕の生まれた時期にまだ生きておられたという事実に衝撃を受け、一気に彼の存在が身近に感じられた」と語った。遠い存在だった差別が、文学を通して身に迫るものになったのだ。文字が与える想像力は、ハ ンセン病患者たちの生きた数百年、いやそれ以上の歴史をやすやすと超える。

どの作品がチャンプ本になるかは、その場で投票され、スペシャル・トーク「文学とハンセン病」の後で発表となった。

回復者・森元さん「ハンセン病文学なんてジャンルがあっていいのか迷ったことも」

撮影:北条かや
続いて行われたトークセッションは、ゲストに下記3名を招いて行われた。

森元美代治氏(ハンセン病回復者)
ドリアン助川氏(作家、ボーカリスト)
中江有里氏(女優、作家)

世界45カ国で上映が決まった映画『あん』の原作者、ドリアン氏はもちろん、女優の中江さんも卒論でハンセン病文学を扱って以来、積極的に啓発活動に参加している。トークでは、回復者の森元さんを中心に、ビブリオバトルの感想なども話題となった。

司会者がまず、森元さんにバトルの感想を尋ねた際、彼が迷わずこう述べたのが印象的だった。 森元さん「本当はね、ハンセン病文学ってジャンルがあってよいのか、ハンセン病患者の作品を芸術としてまとめることに違和感があったんです。そりゃあ、作ってもいいとは思う。たとえばこうしてね、若い皆さんが一生懸命、作品を読んでくれるということもあるから」

78歳となった、森元美代治さんによると、8割の患者は10代で発症するそうだ。彼も14歳で医師の診断を受けた。母親は医師の前で泣き崩れ、 「どうしてうちの息子が」とうなだれたという。「私と代わって下さい」と懇願した母親を、医師は「戦前と違って、今は療養施設に入れば1年で治る病気です から」と諭した。

そうはいっても、これからハイティーンとなる多感な時期に、森元さんは3年間、療養施設で過ごして治療に専念したわけだ。施設での生活は「思った 以上に地獄」だったという。治療薬がなかった戦前に入所した人のなかには、薬害の影響もあり、皮膚がただれたり失明したりと、体が不自由になっていく患者 を多く見た。「20代なのに70代に見える方を目の当たりにして、絶望を感じた」一方で、スポーツや音楽など、楽しみもあったと森元さん。

戦前と戦後でだいぶ見方が変わった。それでも残る差別

ハンセン病は、初期には皮膚がまだら模様になり、治療が遅れると、徐々に神経がやられていく。80年代には完全に治る病気になったにもかかわら ず、日本では96年まで「らい予防法」という、隔離政策を正当化する法律があった。森元さんの語り=「地獄」との表現は、決して誇張ではない。

森元さんは言う。

「神経がやられていく一方で、最後まで残るのが舌の神経なんです。これはもう、神様が、食べる楽しみを最後まで取っておいてくれたのだ、これが生 きるということの絶望と希望かと思いましたよ。『闇を生きる』の近藤さんもそうだけど、舌の神経があれば、点字も読める。文字が、楽譜が読めるんです。もちろん並大抵の苦労じゃぁない。それでもそこに、生きる希望を見出だすのが人間なのだなぁと、生きるとはこういうことかと、つくづく思いました ね......」(森元さん)

「私は戦後に罹患し、治療もうまくいき、大学も出て結婚もできた。もちろん、結婚では差別もありましたよ。家族に1人、ハンセン病患者が出ると、 15人の親族が差別に苦しむといわれるんです。しかし、戦前にハンセン病になった先輩方は、もっと大変だった。自分とは比べ物にならないほどの苦しみを受 けてきた。申し訳ないと思うほどの差別だったんですよ。戦前と戦後で、ハンセン病への社会の目はだいぶ変わったから」

ハンセン病を、忘れないで

回復者として、決して語ることをやめない森元さん。名前を出して活動することで、失ったものもあるかもしれない。が、彼らのような方々のおかげ で、私たちは今も続くハンセン病の歴史を知ることができる。たとえ完治するようになっても、病というカテゴリを、社会は勝手に作り出していく。そのカテゴリに押し込められ、苦しんで、それでも生きる希望を見つけ出した人たちがいること。知る手段は、文学のなかにも沢山あるし、全国にある療養所を訪ねることもまた、社会が作り出した「差別という病理」を知る助けになるだろう。

森元さんは最後に付け加えた。

「若い人たちにお願いしたい。忘れないでほしいと。1回限りではなく、何度もハンセン病の歴史に触れ、資料館を訪れ、関わり続けてほしい」

今も発展途上国などでは、ハンセン病への差別が根付いている。私たちはこの現象を通じて、ハンセン病の特異な歴史を思うだけでなく、人が人の間に線引きする、その意味をこそ考えねばならない。社会から隔離され、必要のない存在と見なされた歴史がある。それでも生きた先人たちの「生」の意味とは? 

森元さんの語りに、会場は静まり返っていた。
[ PR企画 / 日本財団 ]

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