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危険な誤報。

昨年大筋合意に辿り着き、先日は、とうとう署名にまでこぎつけた環太平洋経済連携協定(TPP)。

分野によっては、今後、国内法制化に向けて更なる摩擦を生みそうなものもあるのだが、懸念されていた知財関係条項に関しては、昨年までの議論を通じて、大きなインパクトはないのでは…という期待が何となく醸成されていたところだった*1

しかし、今朝の新聞に掲載された記事を見て、「ギョッ」と戦慄を覚えた人は決して少なくなかったことだろう。
「政府は偽ブランドなどで知的財産を侵害された場合に最低額の補償を受けられる新たな制度を設ける。被害額の算定が難しい場合でも侵害行為を立証できれば最低額の賠償金を受け取れる。権利者の泣き寝入りを防ぐ狙いで、商標法と著作権法の改正案の今国会への提出を目指す。補償額は商標で1万~3万円。著作権では1件当たり数百円から数万円となる見込みだ。」(日本経済新聞2016年2月14日付朝刊・第3面、強調筆者)

自分は、商標法に関してどういう議論がなされているのかは今一つ把握していないのだが、少なくとも著作権については、「最低額補償」を新たな制度として設ける、という動きはなく、上記記事は明らかな誤報か、ミスリードの類だろうと思っている。

つい先日、公開の場で行われた文化庁所管の審議会においても、現在の114条3項の存在をもって「法定賠償制度の趣旨を満たしている」と解し、新たに設ける規定の内容は、同項の「受けるべき金銭の額」の立証負担を若干軽減するレベルのものに留めるという方向性が示されていたはずで、上記の記事にあるような、「最低額の補償」をわざわざ規定化するような動きにはなっていなかったはず・・・。

どこかから本当に横やりが入っているのか、それとも、記事を書いた記者が良く分からずに書いているだけなのかは自分の知るところではないが、昨年決められた「基本的な考え方」では、「填補賠償原則など我が国の法体系に即したものとなるよう留意すること。」というフレーズが明確に書かれているし、先日公開されたばかりの明治大学シンポジウムの議事録*2の中でも、「損害額に下限を定める」ことについては、民法学者からも知財法学者からも、「填補賠償原則と整合的に説明できない」という趣旨の批判が相次いでいる*3

まさか、このような状況で、日本の法体系を歪めるような規定を新たに設ける、ということまでTPP推進派が考えているとは思いたくないのだけれど、ここで打ちあがった“誤報”に限りなく近いアドバルーンに好意的な食いつきが相次ぐようだと、変な方向に動き出さないとも限らないわけで・・・。

今の国際情勢、特に米国の国内事情に鑑みれば、TPPが発効までこぎつけるのはそうたやすいことではなく、ここで時間をかけて議論しても、ただの“頭の体操”になってしまう可能性も高いのだけれど、「どうせ発効しないのだから・・・」と安易に妥協することなく、日本の法律には曲げられない筋がある、ということを、関係者の方々には矜持をもって示していただきたい、と思う次第である。

*1:昨年の大筋合意後のエントリーは、http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20151010/1444618455だったが、著作権条項に関しては、昨年11月の時点で比較的謙抑的なhttp://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/chosakuken/hoki/h27_07/pdf/shiryo_1.pdfの案などもまとめられていたことで、何となくみんな安心していた。

*2:http://www.kisc.meiji.ac.jp/~ip/=Archive=#20151206

*3:特に、森田宏樹教授は、「法定した金額と現実損害との乖離という問題が必然的に生ずることになります。そのような乖離は、特に損害額に下限を定めた場合には、合理的に評価してそれだけの損害がないにもかかわらず、実損に比して過大な損害賠償が認められることになり、塡補賠償の原則に反することになるという不都合が生ずることになります。」(19頁)という指摘をした上で、どうしても定めないといけないのであれば、「いちおう下限を規定するけれども、よく見ると実際には下限になっていないとか、その種のほとんど意味がない規定をアリバイ作りとして意図的に置くということが考えられます。しかし、それはあまりに恥ずかしいことですし、他の局面にも波及していくと大変ですので、そのような改正はしないほうがよいと思います。」(46頁)と手厳しいコメントを残されている。田村善之教授も、(上限はともかく)「下限については絶対反対」というスタンスを貫かれている。

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