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「台湾人アイドル謝罪事件」の読み解き方 -野嶋剛

韓国で活動する16歳の台湾出身アイドルが、台湾の国旗を振ってテレビに出て「私は台湾人です」と語ったことで謝罪させられた騒動は、台湾総統選挙の投票前日に謝罪映像が発表されるというタイミングもあって、一気に政治問題化した。中台関係の観察という意味でも、台湾人の主体意識の分析という意味でも、非常に興味深い部分があり、また、中台関係や台湾の国家主権の問題は処理を誤ると一見小さな問題でも大きな代償を払うことを認識させられる事件だった。

衝撃的な映像

 この台湾人アイドルは台南出身の周子瑜(ツウィ)という少女で、13歳で台湾を離れ、単身、韓国に渡った。3年のトレーニングを経て、韓国のアイドルグループ「TWICE」としてデビュー。メンバー唯一の台湾人であり、グループのセンターを任されることも多く、スタイル、美貌とも図抜けていることが分かる。2015年には世界で最も美しい顔100人の13位に選ばれている。ちなみに、このグループのメンバーは5人が韓国人で、3人が日本人。昨今流行している韓台日のハイブリッドアイドルである。

 発端は昨年秋、デビューしたばかりの「TWICE」の宣伝で、ほかのメンバーと一緒にベッドにねそべって韓国と中華民国の国旗を振っているシーンが韓国や台湾のテレビで流れたことだった。これに対し、台湾出身の黄安というタレントが中国版Twitterの『微博』で「台湾独立を支援している」などと批判。やがて中国のネットで騒ぎとなり、「TWICE」の中国での活動が凍結されたり、映像がテレビから消えたりした。

 そうした騒動の流れで放送された謝罪映像は衝撃的だった。周さんは、乱れた髪でカメラの前に立ち、こう語った。

「みなさん、こんにちは。私は周子瑜です。すみません、もっと早く謝るべきでした。(中略)中国はただ1つだけです。(台湾)海峡の両岸は一体です。わたしは、自分が中国人であることに誇りを感じています。1人の中国人として外国で活動しているとき、間違った行動によって、両岸(中台)のネットユーザーの感情を傷つけました。とても申し訳ないと感じています。恥ずかしさ、やましさも感じています」

 最後に周さんは、深々と90度まで頭を下げた。

 衝撃的な映像であり、最初に見た瞬間に「なんてひどいことを」という風に誰もが思うだろう。台湾の人々もそう思った。そして何より問題は、そのタイミングだった。

中国政府に責任なしとは言えない

 所属事務所の「JYP」がYouTubeと微博に謝罪映像をアップしたのは、1月15日の20時ごろ。この日は台湾総統選挙戦の最終日だった。法定運動終了時刻の直前でもあり、メディアが一斉に各候補者に映像についてのコメントを求める。その映像は一晩中、台湾の人々が見る。そして翌朝には、選挙戦の情勢分析など脇に追いやられる大ニュースになり、選挙の動向にも結びつく別次元の問題に発展したのである。台湾の選挙には、2004年の陳水扁総統を襲った2発の銃弾、2010年の統一地方選での連勝文氏への銃撃事件など、投票日前日に何かが起きるジンクスがあるが、今回もまた、前日のこのハプニングが人々の心を大きくざわつかせた。

 本来は、そこまで大きなニュースになるべき話ではなかったかもしれない。この件で中国政府が特に意図をもって周さんに謝罪させたわけではない。中国市場での閉め出しを恐れたJYP事務所が過剰に反応し、不当かつ拙速な方法で周さんに謝罪を強要した形の危機管理上のミスである。もちろん台湾総統選への影響など露ほども予想しなかったはずだ。

 だが、この事件は、図らずも中台における「幻想」を打ち破る結果となった。それは「1992年コンセンサス」のなかの「中国は1つだが、両岸でお互いの解釈の違いは尊重する」という考えに基づき、中国と国民党・馬英九政権が積み上げてきた交流の8年間が、まるで無駄だったように思える心理的効果を生んだことだ。そして「両岸一家親(両岸は一家の如く親しい)」を独自のスローガンとする習近平政権の台湾政策も、「一家親」なら、台湾の旗を振った程度で少女に謝罪させるなどおかしいとの批判を受けた。

 前述のように、中国政府が周さんに謝罪させたわけではない。だが、中国が「台湾は中国の一部」という思想を国内で徹底することを通して「台湾人」という呼称を罵倒させる“台湾認識”を作り上げた教育や宣伝が問題の下地にあるのも確かで、中国政府にまったく責任がないと言うことはできない。

「台湾人の心」の領域

 一方、この問題は、台湾における「中華民国と台湾人」の関係も浮かび上がらせた。周さんは中華民国の国旗を振りながら「私は台湾人」と語った。蒋介石・蒋経国の時代の「中華民国民=中国人」がいまは「中華民国民=台湾人」になっているのである。それは、中華民国が中国の正統政権であるというフィクションを放棄し、「台湾に存在する中華民国」に生まれ変わったことを意味する。

 この問題に対する馬英九総統をはじめ国民党の批判は「我が国の国旗を振って批判されるいわれはない」という、中華民国の主権否定に対する批判を主軸とする言い方となった。一方、民進党の蔡英文主席のほうも、総統候補の建前としては国旗のことを挙げたが、民進党側やその支持者の反発の焦点は、国旗よりも「台湾人が自分を台湾人と言って何が悪い」というところに置かれていた。つまり、国民党と民進党との間では、不満を感じているポイントが違うのである。それは、台湾社会の分断をも意味しているが、実際は後者の方がより幅広い人々の感触だったと私は思う。

 この問題に対して、台湾のテレビ『TVBS』が大変面白い街頭インタビューを放送していたので、食い入るように見てしまった。周さんの謝罪文を、街頭で台湾の人々にも読み上げさせるのである。マイクを向けられ、謝罪文を印字した紙を渡された若者たちは、文章を読むなり首を振って「読めない」と拒否したり、読む途中で「もうダメ。耐えられない」と中断した。周さんがうつろに読み上げた謝罪文の一言一句が、尊厳を傷つけ、口にすることも汚らわしいものであるかように反応しているのである。

 この映像こそ、今回の謝罪事件で、中国側がもっとも深刻に受け止めなければならないものかもしれない。なぜなら、「1つの中国」という建前のもとで中台が付き合ってきたこの8年の中台の交流が、ほとんど市民レベルの対中意識には何ら積極的な作用がなかったことを示しているからである。

 同時に、こうした現実こそ、総統選挙が導入された20年前は小政党に過ぎなかった民進党がこの選挙で立法委員の3分の2近くを有するようになり、蔡英文をもって300万票差の勝利を成し遂げさせた真相の1つだと言える。それは、大国となった中国の経済や軍事の力量でも容易には変えられない「台湾人の心」の領域なのである。(野嶋 剛)

執筆者プロフィール
野嶋剛 野嶋剛
1968年生れ。ジャーナリスト。上智大学新聞学科卒。大学在学中に香港中文大学に留学。92年朝日新聞社入社後、佐賀支局、中国・アモイ大学留学、西部社会部を経て、シンガポール支局長や台北支局長として中国や台湾、アジア関連の報道に携わる。著書に「イラク戦争従軍記」(朝日新聞社)、「ふたつの故宮博物院」(新潮選書)、「謎の名画・清明上河図」(勉誠出版)、「銀輪の巨人ジャイアント」(東洋経済新報社)、「ラスト・バタリオン 蒋介石と日本軍人たち」(講談社)、「認識・TAIWAN・電影 映画で知る台湾」(明石書店)、訳書に「チャイニーズ・ライフ」(明石書店)。

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