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フランスにイスラム政権が!? 問題作『服従』の挑発 - 野崎歓(仏文学者)

一作ごとに物議を醸してきた現代フランス人作家ウエルベックの最新作のテーマは、共和国精神とイスラムの葛藤だった。日本にいち早く作家を紹介した仏文学者が、作品の核心に迫る

 歴史の終わり―そんなタームが流行したのがほんの20年前だったとは信じられないくらいである。人々はソ連崩壊直後、民主主義と自由経済の最終的な勝利によって、歴史の歩みはついに完結を迎えた、もう「大きな物語」は終わったのだという感慨をひととき抱き得た。しかしそれはあまりに束の間の、「ポストモダン」的感慨にすぎなかった。21世紀の現在、ポストモダンどころか、モダン以前の物語が大手を振って回帰している。モダンの力によって解決を見たはずの問題の数々、とりわけ宗教をめぐる難問が激しい葛藤を生み出し、世界に深刻な混乱を引き起こしている。

 そうした激動にともなう苦悶のまっただなかにあるのがフランスだ。大革命以降、フランスは長い時間をかけて、公秩序と宗教を切り離すための努力を重ねてきた。紆余曲折に満ちたその道のりの到達点が、1905年に成立した政教分離法である。以後、聖職者の姿は公の場から文字どおり一掃された。もちろんこれは政治的制度の変革というだけのことではない。背景には18世紀以降、民心が徐々に、しかし確実に宗教から遠ざかっていったという事実がある。社会は決定的に「世俗化」したのだ。シャンソンの名曲「枯葉」の歌詞で知られる詩人ジャック・プレヴェールの詩には、こんな一節がある。

「天にましますわれらの父よ/天にとどまりたまえ」

 つまり地上のわれわれには神さまなどいりません、好きなようにやらせてもらいますというわけだ。ローマ教会の長姉をもって任じていたフランスは、教会勢力を締め出すことで誇らしく共和主義を完成させたのである。

 そうした国の市民にとって、イスラム信者の擡頭はあたかも歴史が逆行したかのような違和感を抱かせずにはいない。イスラム系移民の急増はそもそも、高度成長期の労働力として彼らを呼び寄せたフランス政府の政策によるものだが、彼らがまったく異質の文化的背景をももちこんできたことに人々は狼狽し、共和国精神が危機にさらされていると感じるのだ。学校でのスカーフ着用をめぐる論争や、パブリックスペースでのブルカ着用を禁じる法律の成立、施行といった動きには、世俗性の原理を必ずしも共有しない移民層に対するフランス社会の苛立ちが明らかだった。9.11以降いよいよ顕著になったイスラム過激派の脅威がそこに影を落としていたことはいうまでもない。その恐れが現実のものとなったのが、今年1月7日のシャルリ・エブド襲撃事件だった。

発売当日にシャルリ・エブド事件が勃発

 ここではシャルリ・エブド事件を検討するのではなく、襲撃事件の当日に刊行された一冊の小説に注目したい。ミシェル・ウエルベックの『服従』だ。ウエルベックは国際的にも注目される現代フランスきっての人気作家であると同時に、新刊が出るたびにスキャンダルを引き起こす人騒がせな存在でもある。今回の長編は、フランスでイスラム系の大統領が誕生するという驚きの内容とのふれこみで、またしても大評判は約束されたようなものだった。ところが刊行の日に衝撃的なテロ事件が勃発。その日に出たシャルリ・エブド誌では、『服従』刊行にあわせて、ウエルベックを描いた戯画が表紙を飾っていた。あたかも彼自身が狙い撃ちにされたかのようななりゆきである。しかも殺害された犠牲者には、彼の友人も含まれていた。ウエルベックはよほどの衝撃を受けたのだろう、新著刊行にともなうすべてのイベント企画をキャンセルし、しばし姿を消した。

 その間、『服従』に対しては一部マスコミからやや性急に、厳しい批判が浴びせられた。典型的な「イスラムフォビア」の産物であり、フランス社会が困難な状況にある中、憎しみや嫌悪をあおる認めがたい作品だというのである。ヴァルス首相までが「フランスはウエルベックの描くような国ではない」(1月8日のインタビュー)とコメントするなど、たちまちのうちにこの本は、およそ一冊の文芸書という域を超えた象徴的意味を担わされてしまった。メディア戦略に長けたウエルベックといえども、襲撃事件後の恐慌状態の中でここまで批判に晒されることになるとは予想していなかったに違いない。

 事件から三週間後、ウエルベックは早くも表舞台に戻ってきて強烈な発言をした。1月28日のインタビューでは、自分は何に対してであれ服従する気などないと述べ、「われわれには火に油を注ぐ権利がある」とまで明言。周辺警護がつけられた状態で、表現者としての絶対的不服従の姿勢を示した。その前日のインタビューでは、表現の自由を笠に着て他人の宗教を侮辱してはならないというローマ法王の発言に「ひどく落胆した」と述べ、私生活や個人の名誉を攻撃することは論外だが、宗教を攻撃することは許されるのだと述べている。

 つまりウエルベックは、イスラムをタブー化せず小説に取り込む自分の姿勢こそ、共和主義精神の根幹を護るものだと大見得を切ったわけだ。しかし私見によれば、彼の作家としての真価は、そうした果敢な挑発性が、まさしくフランス共和主義の限界をめぐる問題提起をはらんでいる点にある。

共和主義の神経を逆なでにする女性観

 大革命から共和国へと進んでいったフランスの足取りは、人間および社会には「改善可能性」があるとする啓蒙思想以来の哲学に裏打ちされていた。19世紀の政治思想家トクヴィルは、市民が宗教に支えられることなく革命を推進しえたのは「自分たち自身を信じていた」からであり、その信念と情熱が「一種の新たな宗教」の機能を果たしたからだと喝破した(『旧体制と大革命』)。宗教としての進歩思想に支えられていたからこそ、各自は「個人のエゴイズム」を捨て、社会変革のために団結して邁進できたのだというのである。

 だがそれ以後、人々の享受する自由が大きくなればなるほど、エゴイズムばかりが強まり、市民の連帯は失われてしまったのではないか。富と権力の一極集中に対する抑止は働かず、友愛に包まれた共同体など夢でしかなくなったのではないか。19世紀の偉大な作家たちは、共和主義のはらむそうした矛盾に警鐘を鳴らした。王殺しによってフランス国民はばらばらの孤児になってしまったと嘆いたバルザックがその典型である。そしてミシェル・ウエルベックとは、はるかな先達としてバルザックを崇め、ロマン主義への強い愛着を示す人物なのだ。

 そんな彼が、なぜ現代フランスきってのスキャンダラスな作家と目されるのか。端的にいえば、過去への追慕や伝統的価値への執着を振り捨てて、ひたすら自由と解放の御旗を振り続けてきたのが20世紀フランスの知的潮流であり、とりわけサルトル以降の文学だったからである。「人間は自由の刑に処されている」というのがサルトルの殺し文句だった。だれも自由から逃れられない、それが現代人の定めなのである。だがその結果、果てしない虚無と冷え冷えとした荒涼が社会に広まったのではないかとウエルベックは痛切に批判し、自由のイデオロギーによって追いつめられる者たちも存在すると訴える。その際、彼は男女の恋愛やセックスといった、もっとも生々しく本音がむきだしになる領域において、共和国的「自由・平等・博愛」の欺瞞を暴き立てようとする。世の中はこれほど性的な刺激に満ち、これみよがしに自由を謳歌する男女であふれているのに、なぜ自分の人生はかくも悲惨なのか―ルーザーたちのそうした叫び、負け組の怨念をえぐり出す筆づかいの仮借なさが、読者を驚かせ、震撼させたのだった。

 つまりウエルベックとは、何とも複雑なねじれを抱え込んだ作家なのである。共和国の保障する表現の自由をたてにとって、獰猛かつ酷薄な筆致によって共和国の個人主義や進歩思想に匕首をつきつける。そんな彼の存在を許しているという事実、それどころかおびただしい読者が彼の作品をむさぼり読んでいるという事実が、共和国精神の健在をあかし立てているとも考えられる。どんな批判に対しても自由を与えてこその共和主義であるからだ。

 だがさらに、ウエルベックにはフランス的共和主義の神経を真の意味で逆なでにする、まさに許されない部分がある。それは彼の女性観である。彼の作品には、女性の自由に異を唱え、フェミニズムのもたらした弊害を指弾する姿勢がうかがえるのだ。代表作の一つ『素粒子』の主人公は「異常な母親の犠牲者」として苦難に満ちた人生を歩む。「異常」というのは、次々に恋愛をして快楽の追求に打ち込む「現代的」女性ということなのだが、育児放棄された息子は孤独で悲しい子ども時代を余儀なくされ、一生その傷を抱え込むことになる。これはウエルベックの半生をそっくり投影した設定で、彼自身、母親に捨てられ祖母のもとで育った。ウエルベックの名は祖母の娘時代の姓をペンネームにしたものであり、女たちが自立し、社会に進出する以前の、祖母世代の女性への敬慕がこめられている。

 こうして、一方で西欧的自由の先端に立ちながら、他方で過度な自由のもたらす荒廃を暴き立てるウエルベックの姿勢は、女性問題をめぐって一見、きわめて保守的かつ反動的な色彩を帯びることになる。『服従』のもたらすもっとも強烈な驚きもそこにある。イスラム政党から大統領が誕生するというポリティカル・フィクションの核心には、もう一度女たちを家庭に戻らせ、「服従」させたいという、共和国では公言をはばかられるような欲望がひそんでいる。ウエルベックが引き起こしたスキャンダルといえば、『プラットフォーム』(2001年)刊行時の「イスラムはもっとも愚かな宗教」云々という発言だったのだが、ウエルベック研究の第一人者ブリュノ・ヴィアールが指摘するとおり、彼を「イスラム女性のヴェールの熱心な擁護者」(10月26日、東京日仏会館での講演)とみなすこともできる。ヴェールが象徴するイスラム女性の「恥じらい深さ」が、彼を惹きつけているのだ。イスラムに対し西欧の抱く大きな不信感の源が、イスラム諸国において女性の置かれた地位の低さにあることを思えば、『服従』におけるウエルベックの姿勢はきわめて挑発的である。同時に、それはイスラムの女性イコール不幸といった紋切型を覆す意味をもちうる。

 とはいえ、主人公の大学教授フランソワ(いかにも「フランス人」そのものの名前)がイスラム改宗を考えるようになる背景にあるのが、一夫多妻制への憧れであることを考えるとき、やはり際立ってくるのはこの小説を支える反時代的な女性観だろう。イスラムに改宗した同僚の家に招かれた彼は、無神論の「思い上がり」と西欧の行き詰まりを諄々と説く彼の言葉と同じくらい(いやそれ以上に)、40代と10代の二人の女性を娶った彼の家庭の幸福を垣間見て強く心を揺すぶられる。「献身的で従順」になるよう育てられ、男に喜びを与えてくれるイスラム女性というイメージが、大きく膨らみ出すのである。それが改宗へと向けて彼の背中を押すことになる。

 もちろん、そうした主人公の姿がそっくりそのまま作者自身の思想を示していると短絡的に読むわけにはいかない。逆にわれわれは、読後、作者の立場はどこにあるのかと大いに思い迷うことになる。ウエルベックの書きぶりは実に皮肉がきいていて、茶目っ気もあり、「文明の衝突」の深刻さを回避して、むしろ知的戯れの軽やかさを湛えているからだ。一夫多妻制のエピソード一つとっても、それがあまりに男にとって都合のいい制度として描かれていることは明白だ。そこに人生の新たな希望を見つけようとする主人公の中年男の背後で、作者は舌を出しているのではないか。また、それが一夫多妻制を許すイスラムに対する、西欧自由主義の立場からの侮蔑的な批判になっているわけではないことも確かだ。なぜイスラムの女性はヴェールをかぶり、夫に従順に従っているのか。それは古臭い宗教的因習にしばられた、蒙昧な精神の表れなのか。それとも、そこには現代西欧社会にとっては理解が難しいながら、しかし何か豊かな可能性を秘めた、まったく別の生のあり方が示唆されているのか。そもそも、常に男の目から見て魅力的であることを強いられる西欧の女性たちこそ、日々しんどい「服従」を強いられているのではないのか。

『服従』が、イスラム女性の現実を踏み込んで描いているわけではない。しかしときおり主人公が目にするヴェールをかぶった女たちの、意外にも快活で、どこかいたずらっぽい表情は、決して彼女たちが「服従」しているばかりではないのではないかとも夢想させるのだ。

作品に込められたウエルベックの希求

 おそらくこの小説にとって、シャルリ・エブド襲撃事件と同時の刊行となったのは実に不幸なタイミングであった。何しろISやそれに同調する者たちの脅威について、ここでウエルベックはほとんど何も触れていないのである。そのことは彼が以前、『プラットフォーム』でイスラム過激派による壮絶なテロを、その後世界で起こった数々の事件を先取りして描いていたことに照らすと興味深い。『服従』では、フランスはろくに抵抗も示さずイスラムに敗北する。そのことによって、暴力的対決という図式を離れ、イスラム的な文化と社会を正面から考える機会が作り出されているのである。『服従』は過激派の問題というアポリアにからめとられまいとする作家の希求に支えられた作品なのだ。

 大統領の所属政党に「イスラム博愛党」という名前を与えるあたりに、作者の諧謔と同時に、真剣な問題提起が見て取れる(邦訳では「イスラーム同胞党」)。「フラテルニテ」とは「自由・平等・博愛」の博愛だ。イスラムのむやみに排他的かつ狂信的なイメージばかりが西欧社会に広がる中、博愛を掲げるイスラムという設定はそれだけで強力な批評性と、問題提起の力をもつ。共和国のアイデンティティーの重要な一部をなす博愛の精神だが、それこそイスラム系移民に対する差別が示すとおり、実際には機能不全の部分がある。逆に、イスラムが共和国的価値観を取り入れたなら、フランス政界に激変を起こす可能性があるだろう。今のところ『服従』が空想の物語に留まっているのは、イスラム信者を束ねる政党の不在ゆえなのだ。

 こうして、イスラムを主題に据えるやいなや、フランス的現実は激しく揺さぶられ、未知の未来図が立ち現れてくる。その未来図に立ち向かう勇気をウエルベックが示していることは間違いない。彼のような作家が存在し、人騒がせな、しかも洞察に富む作品を発表し続けることが、共和主義を鍛え直し、そのこわばりを解きほぐすには必須なのである。

のざき かん 1959年新潟県生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科教授。文学・映画評論や翻訳、エッセイなど幅広い分野で活躍。著書に『アンドレ・バザン:映画を信じた男』(春風社)、『異邦の香り――ネルヴァル『東方紀行』論』(講談社)など。
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