記事

第2のシリコンバレーへ 日本から最も近い西海岸シアトルは起業パワー都市(1) - 江藤哲郎 (ベンチャーキャピタリスト)

なぜシアトルで起業したのか? とよく聞かれる。シリコンバレーではないの? とも。実際私が1984年にアスキーの新入社員として初の海外出張で行ったのは、シリコンバレーとシアトルであった。自分としては両方に思い入れがあり、今日の様に発展して当たり前とも思っていた。特にシリコンバレーは人と技術と資本が集約され、世界のIT、いや今や新産業全体の中心と言って良い。ただし近年は沸騰状態にあり、物価や地代は鰻登り、ホテルも取り辛く、交通渋滞も酷い。人材確保のための引き抜き合戦は、過熱する一方だ。

 一方、シアトルはまだ成長カーブの端緒にある。全米で第2のシリコンバレーを目指す他の三都市NY、ボストン、テキサスとの競争が始まっているが、シアトルは環境の良さ、食べ物の旨さ、多様な文化などの魅力に惹かれ“クオリティ・オブ・ライフ”を求める人々と企業が全米から集まっている。

人材確保ために企業がシアトルに集まる

 アップル、イーベイ、フェイスブック、グーグル、オラクル、セールスフォース、ツイッター、ヤフー、スペースX。全てシリコンバレーの有力企業だが、近年シアトルとそのイーストサイド(レドモンド、ベルビュー、カークランドなど)に進出し研究開発や業務の拠点を築いている。なぜか? ひとえに人材確保のためである。進出した各社はもちろん1名単位の面接もするが、それでは需要に追い付かないため、主にマイクロソフトとアマゾンからレイオフされた事業部門、スピンアウトしたスタートアップなどを買収している。日系の任天堂アメリカ、独系はTモバイルもアメリカではシアトルに本拠を構えているため、ゲームや通信のスペシャリストが辞めて起業する例も多い。シリコンバレーで面接や引き抜き合戦をやるより、極めて効率的に優秀な人材をまとめ買いできる。慢性的な人材不足に悩む各社にとって、シアトルはシリコンバレーをも惹きつけ、人材獲得のブルーオーシャンとなっているのだ。

 ここでシアトルの歴史をその代表的企業群と共に少し振り返ってみたい。19世紀に港湾が発達し、日本から最も近いアメリカ西海岸の港として交易が栄えた。神戸市は姉妹都市だ。20世紀にボーイングがその本社と工場を置いた事で海と空のロジスティックスが強化され、関連する産業の裾野が広がり人材も多く集まった。コストコがカークランドの1号店を皮切りに世界に進出したのもこのインフラがあったからこそで、アマゾンがこの地で起業して大成長したのも地の利を十二分に活用したからと言える。

シアトルの港湾があったからこそ生まれたスタバ


パイク・プレイス・マーケットにあるスターバックス1号店

 海岸に近いパイク・プレイス・マーケットは築地を彷彿させる賑やかな市場だ。そこにスターバックス1号店がある。そもそもシアトルでコーヒーの木を植えているという話は聞いたことが無い。豆は全て南米などから船で持ってきて、ここで焙煎してブレンド後スタバ・ブランドで全世界に向けて出荷する。シアトルの港湾機能とロジスティックスをフル活用したビジネスモデルだ。



 スタバが最近市内の流行発信地キャピトルヒルに開店したロースタリー&テイスティングルームは体育館ほどの規模の戦略店舗で、巨大なロースターでローストしたばかりの豆を、ブラックエプロンにブレンドして貰いながら堪能できる。豆はもちろんスタバのグッズも勢揃いで、ファンにとっては1号店に続く新たな聖地となるかもしれない。


ロースタリー&テイスティングルーム

 私は9月にワシントン州インスリー知事の貿易ミッションの一員として東京でのセッションに参加した。当社Innovation Finders Capitalは同州カークランドを本拠とするベンチャーキャピタルでシアトルの優れたスタートアップ技術をまず日本企業に紹介する。


ワシントン州インスリー知事と筆者

 目玉はAI(人工知能)技術だ。期間中、品川マリオットホテルで開かれたレセプションパーティの場で改めて当社の説明を知事にしたところ、直後のスピーチで私を紹介してくれた。TPPの交渉も大詰めだったが着地点も見えており、多分知事もご機嫌だったのだろう。ワイン、ポテト等ワシントン州の特産物の多くが関税撤廃の恩恵に浴する。今後シアトル名物のポップコーンやチョコレートも、どんどん日本に入っていくだろう。

 話を1984年に戻そう。その年はイギリスの作家ジョージ・オーウェルが全体主義的ディストピアを描いた小説のタイトルでもあり、それに感銘したデビッド・ボウイが7枚目のアルバム「ダイアモンドの犬」で収録している曲名でもある。ビッグブラザーをディスラプトするCMをスーパーボウルでオンエアし、華々しくデビューしたアップルのマッキントッシュに比べ、マイクロソフト・ウィンドウズは同年に1.0を発表するも未だ普及前であった。

 その年アスキーに入社した私は、恩師古川享(当時同社取締役、マイクロソフト本社副社長を経て現慶大教授)の命を受け、シリコンバレーに3週間出張する。任務は主に提携先のインフォミックスで製品内容の研修を受け、日本での製品化の準備をする事であった。当時はデータベースの黎明期で、インフォミックスはオラクルやdBASEと激しく競合していたが、パソコンから大型汎用機まで同じソフトが使えるなどの特徴を備え優れた製品群であった。後にこの分野は、巧みなマーケティングで勝利したオラクルが市場を押さえる事になるが、正直その時点では勝者を予想できなかった。と言うより、今思えば入社一年目にして彼の地での激しい市場競争に、いつのまにか自分自身も参戦していたのだ。

1984年 ハリウッドからシリコンバレーへ

 滞在中のある日の夕方、同社幹部で私のメンターでもあったボブ・マクドナルドが映画に誘ってくれた。見たのはインディー・ジョーンズだったが、本編は終わりスタッフロールが始まると、ボブは特撮のスタッフを指さして「彼は友達だ」「彼とは一緒に仕事をした」と語り始めた。ボブは以前ハリウッドで特撮のプロダクションにいたのだ。パロアルトで夕食に選んだ小さな中華料理店でムッシュポークを頬張りながら、私はボブに聞いた「ハリウッドで仕事を続けていた方が面白いのでは?」と。ボブは笑いながら、でも強い眼差しで答えた「いや違う。今やシリコンバレーはハリウッドよりずっとエキサイティングだし、これからアメリカで一番成長するエリアだ。だから僕は移ってきた。全米から多くの人材が集まり、ここでの競争は激しい。君も日本から来てその戦場の真っただ中にいるのだ。」初めてアメリカに来て、暫くぶりのアジア飯で寛ぎかけていた私は不意を突かれたが、その時シリコンバレーが人を惹きつけるパワーを知った。

 後日談がある。帰国後、アスキーの社員総会で簡単な出張報告を求められた私は、このパロアルトの中華料理店での話を披露し「アスキーも日本のパソコン業界も今最もエキサイティング。私もその成長に賭ける。」と締め括った。まばらにパチパチ…と拍手が起きて消え「滑ったかな?」と思った瞬間、前列にいた西和彦(当時同社副社長、現須磨学園長)が「おーっ!いいぞ、江藤」と一際大きな声で盛り上げてくれた。熱い人だった。

 ボブとの会話の翌週、私は出張の最後の目的地シアトルに移動しなければならない。マウンテンビューで当時まだ一泊50ドルほどだったベスト・ウェスタンというモーテルのオヤジに別れを告げ、3週間毎日ひとりで食べる朝食の友だった地元紙サンノゼ・マーキュリー・ニュースの束を全部処分してくれと頼んだ。荷物を持って振り返ると、映画バグダッド・カフェばりに寂れた看板にvacancy(空きあり)のネオンが灯っていた。

 私はすっかり乗りなれたハーツ・レンタカーの日産セントラに乗り、目の前のエル・カミーノ・リアルからサンアントニオ・ロードを通ってフリーウェイ101号を北上しサンフランシスコ空港に向かった。前日インフォミックスでもう一人のボブ、ボブ・コーチェに「マイレージプラスを知っているか?」と言われ予約をユナイテッド航空に変えていた。まだ日本には無くアメリカでも始まったばかりのプログラムだ。その後親交を暖める事になる彼に「テツはこれから出張が増えるだろうし、太平洋線に乗るのだからマイルを貯めなきゃ損だよ」と教えられ、その後レンタカーでもホテルでも熱心なマイラーとなる。サンフランシスコ空港を飛び立つと眼下にフォスター・シティの街並みが眩しく、イヤフォンからはチャカ・カーンのスルー・ザ・ファイアが流れていた。

小さなビルにあったマイクロソフト

 シアトル・タコマ空港に着くとまずレンタカーを探した。ハーツ、エイビス、ダラー、バジェットを全部見たが日本車は無く、仕方なくクライスラー車を借りたらハンドルの右横にギアが付いている車種だった。その頃既にシリコンバレーもシアトルも日本車は多かったが、レンタカーで見つけるのは至難の業だった。今はアメリカではウーバーに乗るので借りることは皆無になったが、シアトルでウーバーXを呼ぶと殆どの場合プリウスが迎えに来る。車に限らず日本贔屓で、環境意識が高い土地柄だ。

 ぎこちない運転でインターステート5号線に乗ると、20分ほどで地平線からダウンタウンのビル群と共にスペースニードルが頭を擡げた。1962年シアトル万博以来のシンボルタワーだ。ドラマのダーク・エンジェルでジェシカ・アルバ扮するミュータントがちょこんと座っている建物、といえばわかる方もいるかもしれない。街並みに見とれていては乗り換えを間違えると焦りながらハンドルを切り、520号に乗り換えワシントン湖にかかる橋を渡ってすぐにノースアップウェイの出口に到達した。「ここがマイクロソフトか……」。思ったよりオフィスの建物は小ぶりで、ラマダ・インというモーテルとバーガー・マスターのサインの方が大きく見えた。世界を席巻することになるIT企業の本社は、その頃はまだベルビューのダウンタウンからも離れた小さなビルにあった。

あわせて読みたい

「IT業界」の記事一覧へ

トピックス

ランキング

  1. 1

    眞子さまカメラ拒絶に心配の声

    NEWSポストセブン

  2. 2

    日大監督の「自供」を文春が公開

    文春オンライン

  3. 3

    巨乳使い元首相に取材 記者告白

    PRESIDENT Online

  4. 4

    日大前監督・コーチが緊急会見

    AbemaTIMES

  5. 5

    よしのり氏「日大の選手は正直」

    小林よしのり

  6. 6

    世の常識に抗えた日大選手の若さ

    企業法務戦士(id:FJneo1994)

  7. 7

    安易に脱ぐな 現役グラドル警鐘

    倉持由香

  8. 8

    日大「誤解招いた」は最悪の謝罪

    おときた駿(東京都議会議員/北区選出)

  9. 9

    上場企業の平均年収ランク 1位は

    キャリコネニュース

  10. 10

    ネトウヨ活動に走る中高年の実態

    キャリコネニュース

ランキング一覧

ログイン

ログインするアカウントをお選びください。
以下のいずれかのアカウントでBLOGOSにログインすることができます。

コメントを書き込むには FacebookID、TwitterID のいずれかで認証を行う必要があります。

※livedoorIDでログインした場合、ご利用できるのはフォロー機能、マイページ機能、支持するボタンのみとなります。