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野生動物のサンクチュアリに? 29年後のチェルノブイリ - 関屋泉美

ウクライナ北部で29年前に放射能事故が発生したチェルノブイリ原発をめぐり、このほど、米科学誌に、原発周辺の立ち入り禁止区域内でシカやイノシシ、オオカミなどの野生動物の生息数が大幅に増加しているとする報告書が発表された。

 英紙ガーディアンは「この調査結果は、放射能による被ばくは、長期にわたり野生動物の生息数に影響を及ぼすとする当初の仮説に反駁している」と指摘。事故前はこの地域でみられなかったヨーロッパオオヤマネコやヨーロッパバイゾンも繁殖しているという。理由は自然環境に大きな負荷を加える人間がいなくなったこと。共同著者の1人は「人間がさまざまな原因で立ち去ったとき、その地域は野生の王国となる。たとえ史上最大の原発事故だったとしても」と話している。

 原発事故は1986年4月26日、ウクライナの首都キエフから北方約120キロ、ベラルーシと国境を接するチェルノブイリ(ウクライナ語:チョルノーヴィリ)で発生した。試験運転中に4号機が制御不能となり爆発、大量の放射能物質が放出された。ロシアを含む旧ソ連や欧州各国などに汚染地域が広がった。

 原発事故の深刻度を示す国際評価尺度は東京電力福島第一原発事故と並ぶ最悪の「レベル7」。原発職員や事故処理作業員が急性放射線障害で死亡した。原発の半径30キロ圏内が強制避難の対象となり、33万人が移住させられた。
来年で事故後30年となり、放出された主要放射性物質の1つ、セシウム137の半減期を迎える。4号機を覆う「石棺」が老朽化し、放射性物質が漏れている恐れがあったことから、現在、石棺にかぶせる鉄製アーチの建設が行われている。

 野生動物の調査は米英の研究者が中心となり、ベラルーシ側の立ち入り禁止区域内で行われてきた。その調査結果はこのほど、米科学誌「カレント・バイオロジー」に掲載された。

 研究者チームは当初の10年ほどはまだ放射線量が高いため、冬季に上空をヘリコプターで飛行し、野生動物の足跡を調べてまわった。20年が過ぎた2008年ごろからは地上に入り、野生動物の痕跡を採取するなどデータを集積、その上で、原発周辺で汚染被害が少なく、立ち入り禁止措置がとられていない地域との比較を行った。

 これまでも他の研究者により、チェルノブイリ周辺の区域では、以前はみられなかったオジロワシが観測されるなど、「生物多様性の聖域と化している」という報告がなされていた。今回の論文では「個々の動物には潜在的な放射能の影響があるにもかかわらず、チェルノブイリ立ち入り禁止区域が、豊富な哺乳類群集を作り出すことをサポートしているのが初めて示された」と指摘した。

絶滅の恐れのあるヨーロッパバイソンも調査で発見
増大したオオカミ

 調査結果によると、立ち入り禁止区域内では、オオカミやシカ、イノシシ、エルカ、オオヤマネコなどの生息数が増大し、周辺の非汚染地域と同等のレベルまで回復していた。地域一帯は肉食、草食動物が生息する〝王国〟となり、原発事故前には、周辺のウクライナ・ベラルーシ国境地域の森林地帯ではみられなかったヨーロッパオオヤマネコ、ヨーロッパヒグマなども生息されていることが確認された。さらに、モウコノウマや絶滅の恐れのあるヨーロッパバイソンも調査で発見された。

 人の手が加えられなくなったことで、チェルノブイリ一帯は植物が覆い茂るようになった。研究者は「10年ほど前までは、木々がはびこっている街という感じだったが、今ではいくつかの建物を飲みこむ1つの森というようになっている」と話す。

 顕著な増大数が確認されたのはオオカミだった。オオカミは周辺地域よりも7倍の生息数に膨れあがっていた。研究者は「狩猟者がいないことが最大の原因だ」と分析している。オオカミの生息数は生態系の健全性を示す1つのキーになるという。捕食動物が多ければ、その分、自明の理として、えさとなる被食動物が十分であることがわかるからだ。

 調査を行った英ポーツマス大学のジム・スミス教授(環境科学)は英メディアに対して、「この調査結果は、狩猟や農業、林業といった人間の生活行動による野生動物への影響が、史上最悪の原発事故よりも大きいということを意味する」と話す。つまりは、「人類の人口圧力が環境をいかに破壊しているかということがわかるのだ」という。

 これまでの仮説では、放射能による汚染が長期的、慢性的な効果をもたらし、野生動物の生息数に影響を及ぼすとされてきただけに、この調査結果が今後の研究に与えるインパクトは大きいとも言える。

 しかし、この報告書には科学的見地からさらなる調査が必要との声が専門家からあがっている。パリ第11大学のアンダース・パペ・モラー氏はチェルノブイリ周辺での野生動物の増加割合が、欧州全体の状況と比べてどうなのだろうか、という疑問をなげかける。

 モラー氏は1991年より、チェルノブイリ周辺での個体群調査をふまえ、放射能汚染が鳥類や昆虫にどのような影響をもたらすかを研究してきた。生き物の違いによる相違を想定する理由はない、と指摘している。

 モラー氏は英紙ガーディアンに対してこう語った。

 「大きな哺乳類の生態数は、ここ10年の間に欧州全域で増加している。故にチェルノブイリでも相違はない。興味深い疑問として、チェルノブイリでの(動物の)増加数が、ドイツやフランス、スカンディナビア半島での増加数よりも多いかどうかということがあげられる」

 実際、被曝量の高い、立ち入り禁止区域内では、事故直後、動植物に様々な急性作用を与えた。針葉樹や土壌無脊椎動物、そして哺乳類の死亡率が上昇し、死産を含む動植物の生殖不全もみられた。

 しかし、被曝線量が年々、低下するにつれ、さまざまな生き物も急性の放射性作用から次第に解放されていった。そうして、動物たちの集団における生存能力は生殖と、近隣の地域からの移動により、著しく回復した。水中の生き物に関しても同じ事が言え、これまでの調査で、川魚の体内に蓄積されたセシウム137の放射能濃度も事故直後に比べ8分の1以下に低下していることが確認された。

 また、森林のエコシステムが放射能を〝リサイクル〟し続けるため、キノコ類やベリー類に放射性物質が高濃度で取り込まれていることもわかっている。こうしたものを餌にして内部被曝する動物の放射能汚染は長期にわたり、続く可能性がある。

放射能が野生動物にとって良いということではない

 今回の論文を作成したポーツマス大学のジム・スミス教授も「この報告書は、放射能が野生動物にとって良いということを意味しない」と話す。

 一方で、米サウスカロライナ大学のティム・ムソー教授は、チェルノブイリ周辺の放射能汚染がどうなっているかは、狩猟など人間の生活行動への影響が少ない鳥類や小型哺乳動物、そして、昆虫たちの生息数を調べなければならないと課題をあげる。

 ムソー教授は、「この研究が表わしていることは、大部分の生き物というよりもむしろ、人間の狩猟の抑圧にさらされている大型哺乳動物にのみあてはまる」と述べている。そうして、今回の研究成果の意義を評価しながらも、「チェルノブイリの動物が、狩猟や補食から守られている他の地域に頻繁にみられるような生態数の増加を達成しているかどうかは何の証拠もない」と断言した。

 原発事故から30年が過ぎようとしているチェルノブイリ周辺の動植物の調査は、福島第一原発事故後の影響を調べる国内外の研究者にも学術的な知見を与えるに違いない。

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