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「日本国憲法=押しつけ憲法」論は理論に値するのか?(1):天皇が命じて審議され「改正」が公布された

はじめに

(1)“日本国憲法は、戦争で勝ったアメリカが戦争で負けた日本に「押し付けた」ものであるから、そのような憲法は無効である”または“自主憲法を制定すべきである”と主張する意見、いわゆる「押しつけ憲法」論があります。

(2)しかし、日本はアメリカなど外国に侵略され、その結果として”日本国憲法の制定”を強制させられたというわけではありません。
むしろ、逆に日本が侵略戦争をしてその戦争で敗北し、「ポツダム宣言」を受諾した結果として”日本国憲法の制定”がなされたのです。

私は、”日本国憲法の制定”の過程につき不満を一切抱いていないないというわけではありませんが、「押しつけ憲法」論は、そもそも理論に値するのか、大いに疑問に思っています。

また、財界が求める改憲論では「押しつけ憲法」論は軽視されていたので、改憲論の主流ではありませんでした。
ですから、改憲論の批判において、あえて重視する必要もありませんでした。

(3)ところが、財界政党である自民党は右翼化しているので、いまだに「押しつけ憲法」論を主張する勢力が存在し続けているだけではなく、それが自民党の見解になってしまっているようです。
時事通信(2015/04/28-17:22)
改憲、漫画でアピール=「押しつけ論」にも言及-自民

 自民党は28日、漫画冊子「ほのぼの一家の憲法改正ってなぁに?」を作成したと発表した。若者らに改憲の意義を訴えるのが狙いで、党のイベントなどで配布する予定。いわゆる「押しつけ憲法論」に言及しており、安倍晋三首相の意向を強く反映したとみられる。 
 一家の曽祖父が現憲法の問題点を家族に教える内容。「連合国軍総司令部(GHQ)が与えた憲法のままでは、いつまでたっても日本は敗戦国」と断じ、9条に関しては「戦争を放棄さえすれば戦争がないと思っとるのか」と疑問を呈している。
 ただ、具体的な課題については、他党の理解を得やすい大規模災害時の緊急事態条項制定や、環境権など新たな人権の創設を掲げた。憲法改正推進本部の礒崎陽輔事務局長は党本部で記者会見し、「どの世代でも読んでいただけるものをつくった」と語った。

(4)この漫画冊子に対しては、インターネット上で早速適切な批判がなされているようです。

たとえば、弁護士の渡辺輝人さんの「自民党の改憲漫画から「押しつけ憲法論」を考える」

(5)これを読んでいただければ、それで十分なような気もしますが、一応、私も私なりの批判をしておきましょう。
憲法改正の国民投票の最低年齢は18歳に引き下げられており、若者が自民党の漫画の間違った主張を信じ込んでしまいかねないので、私もこのブログで投稿して批判しておこうと考えたからです。

少し遠回りに思えるかもしれない言及・説明も行うので数回に分けて投稿しますが、宜しければ最後までお付き合いください。


1.日本国憲法は天皇が帝国議会に命じて審議・議決させ公布した憲法

(1)日本国憲法は、実質的には「制定」されたものと考えてよろしいのですが、形式的には天皇主権の大日本帝国憲法が定めている改正手続を通じて「改正」されたものです。
つまり、占領下においても大日本帝国憲法は形式的には存続しており、日本国憲法は、天皇が当時の帝国議会に命じて審議・議決させ、「改正」が成立したので、公布した憲法なのです。
ですから、日本国憲法が天皇(君主)が制定した欽定憲法であると解する見解が学会では少数意見ながらありました。
大日本帝国憲法
第73条将来此ノ憲法ノ条項ヲ改正スルノ必要アルトキハ勅命ヲ以テ議案ヲ帝国議会ノ議ニ付スヘシ
2 此ノ場合ニ於テ両議院ハ各々其ノ総員三分ノニ以上出席スルニ非サレハ議事ヲ開クコトヲ得ス出席議員三分ノ二以上ノ多数ヲ得ルニ非サレハ改正ノ議決ヲ為スコトヲ得ス

朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。
御名御璽
昭和二十一年十一月三日
内閣総理大臣兼 外務大臣 吉田茂
国務大臣 男爵 幣原喜重郎
司法大臣 木村篤太郎
内務大臣 大村清一
文部大臣 田中耕太郎
農林大臣 和田博雄
国務大臣 斎藤隆夫
逓信大臣 一松定吉
商工大臣 星島二郎
厚生大臣 河合良成
国務大臣 植原悦二郎
運輸大臣 平塚常次郎
大蔵大臣 石橋湛山
国務大臣 金森徳次郎
国務大臣 膳桂之助

ここでの「朕」は、昭和天皇です。

(2)こうして日本国憲法は1946年11月3日に公布されたので、その半年後の1947年5月3日に施行されたのです。
日本国憲法
第100条第1項  この憲法は、公布の日から起算して六箇月を経過した日から、これを施行する。

(3)実は、公布日について、当時の日本政府は1946年9月11日にすることを期待していたと言われています。
そうすると、施行日が翌1947年2月11日になるからです。
「2月11日」は、右翼的保守の勢力にとって重要な意味があります。
明治政府は、1870年代前半に「紀元節」=「神武天皇が即位した日」を「2月11日」と勝手に決めていたからです。
(ただし、その決定の少し前には、「神武天皇が即位した日」は「1月29日」とされました。
なお、「2月11日」は、1967年から「建国記念の日」とされてしまいました。)

(4)ところが、当時の政府は、1946年9月11日に公布できなかったので、同年11月3日としたのです。
「11月3日」は、明治天皇の誕生日だったからです。

当時の支配層が天皇・天皇制にこだわったことがわかります。

(5)そして日本政府は、日本国憲法の公布日(11月3日)と施行日(5月3日)には、昭和天皇も臨席して国家をあげて式典を行い、吉田茂首相は、日本国憲法の素晴らしさを讃えていたと言われています。

天皇や内閣総理大臣など公務員には、憲法尊重擁護義務がかせられているから、当然のことなのですが、当時の保守勢力も日本国憲法を受け入れていたのです。
日本国憲法
第99条  天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

ただ、この政府主催の式典は1952年の講和条約発行の年を最後に開催されなくなったそうです(ただし1976年の三木内閣を別)。

(6)このように日本国憲法は、特に形式的な点に注目すると、右翼的勢力にとって有難がって然るべき憲法なのですが、右翼的勢力は、その逆の態度をとり、日本国憲法を攻撃するのです。

(7)もっとも、形式ではなく実質の方が重要だとの反論もあるかもしれません。
そうすると、右翼的思考の一貫性はなくなると思いますが、それはさておき、右翼的勢力は、日本国憲法の内容つまり実質が気にくわないから、日本国憲法を攻撃していることになりそうです。

(つづく)

【関連記事】
「日本国憲法=押しつけ憲法」論は理論に値するのか?(2):日本国憲法の世界史・日本史上の意義

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