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「最適者」はどこから来るのか? ダーウィン以来の進化の謎をコンピュータで解く 『進化の謎を数学で解く』 - 東嶋和子 (科学ジャーナリスト・筑波大学非常勤講師)

本書を紹介するのに、あまり多くの言葉を費やさないほうがいいだろう。

 なぜなら、これは名探偵シャーロック・ホームズや安楽椅子探偵の「隅の老人」といった頭脳派の探偵が、生命進化の謎という、人類最大にして最古の難題に挑んだ推理小説のようなものだから。謎解きの前にヒントや結末をほのめかすのは、本書の面白さを損なうことになりかねない。

「この世のすべての本が収められている万有図書館」


『進化の謎を数学で解く』(アンドレアス ワグナー 著、垂水雄二 翻訳、文藝春秋)

 タイトルが示すように、「進化の謎を数学で解く」過程が順を追って語られるのだが、だからといって数学の知識は必要ない。

 必要なのは、名探偵エルキュール・ポアロのように「灰色の脳細胞」をめまぐるしく回転させ、「この世のすべての本が収められている万有図書館」――しかも、四次元どころか途方もない次元でネットワーク化されている図書館ネットワーク――を脳内に構築し、その中を渉猟することのできる想像力だけだ。

 読者が渉猟するのは、「心の眼をもってしか見ることができない」数学的な概念の世界だが、著者は「万有図書館」のように、視覚化しやすい比喩をふんだんに用いて読者の心の眼を開かせてくれる。

 たとえば、こんな一節がある。
<それぞれの遺伝子型ネットワークが他の多数のネットワークに取り囲まれ、あらゆる側面から枝が入り込み、厚いネットワークの薄織物を形成しており、この薄織物はあまりにも複雑なため、どこをとっても同じようには見えず、一本一本が異なる表現型に対応している何百万本、何十億本、あるいはそれ以上の異なる糸からできている。もし一本一本が違った色をしていれば、この薄織物は、どの一本の糸を見ても何十億本もの別の色の糸が通っているという、入り組んだやり方で編まれていることになるだろう。高次元の空間だけが、そのような織物を収めることができ、その肌理は、私たちの理解力を超えたものであろう。>

イノベーションをめぐる二重のストーリー仕立て

 著者のアンドレアス・ワグナーは、エール大学で博士号を得て、スイスのチューリッヒ大学で進化生物学に本格的に取り組み始める。数学とコンピュータを駆使して生命の謎に迫る気鋭の生物学者である。

 想像上の万有図書館で、著者が旅を始めたときはひとりだったが、探索の段階を追うごとに強力な同行者や助っ人が現れて、謎解きを手伝ってくれる。

 名探偵は一人ではなく、相棒がいて、チームの仲間がいるのである。

 個性的な技能や背景をもつ異分野の研究者たちが、世界中から著者の研究室に引き寄せられ、独創的な仕事をこつこつと成し遂げていく姿は、桃太郎のようなおとぎ話や壮大な「サーガ」を彷彿させる。

 変異の複雑な組み合わせのなかに新機軸はある、という「自然のイノベーション」の秘密とも共通しており、イノベーションをめぐる二重のストーリー仕立てになっているかのようだ。
<彼らは、アメリカ、ヨーロッパ、アジア、オーストラリアの十数カ国からやってきており、生物学、化学、物理学、数学を含む多様な学問分野の出身者である。これは偶然の一致ではない。なぜなら、私たちが取り組む問題は、新しい技能の組み合わせを必要とし、私としては自分たちの仕事を、進化の所業と比較したいほどのものである。新機軸の研究は、それを創造するのと同じように、新しい組み合わせ――酵素的なものではなく知的なスキルの――から絶大な恩恵をこうむるのである。>

「自然がおのずから創造する力」

 さて、ダーウィンの自然淘汰説をもとにした現代の正統派進化論では、「一つの種(集団)の個体のうちで、より適応的な変異をもつ個体がより多くの子孫を残すことによって、時間とともに集団の遺伝子プールの組成が変わり、種は適応的な進化をとげる」と考える。

 しかし、ゲノム解読が進んで以降、遺伝子型と表現型は単純な一対一の関係ではないとわかってきた。適応した変異個体を発端とする進化という図式では、説明しきれなくなったのである。

 その最大の疑問が、本書のテーマ「自然淘汰は最適者を保存することができるのか。その最適者はどこからやってくるのか?」である。

 その答えはもちろん本書を読んでいただきたいが、ばれないよう、訳者の言葉を借りて簡単に言うなら、「自然のなかには『遺伝子ネットワーク』という形で、新機軸、すなわちイノベーションをつくりだす無限の可能性が埋もれている」というものである。

 この「イノベーションを生む頑強なネットワーク」という概念は、先ほどの研究者集団をはじめとする人間の組織やコンピュータ言語の電子回路、さらには人間がおこなう技術革新にもあい通ずるもののようだ。それを証明する第七章「自然と人間の技術革新」は、多くの示唆に富む。

 隠された遺伝子のネットワークが新種を生む原理は、コンピュータで数学的にシミュレートして初めてわかったものであるが、著者は、この原理が重力による銀河の形成にもあてはまると考える。

 本書を読み終えたいま、「自然がおのずから創造する力」にただただ圧倒され、息を呑むばかりである。

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