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書評者、そして読者の皆様の御批評に深く感謝いたします。

東京新聞(9月29日「こちら特報部」の新政権下での死刑制度についての特集)のなかで求められた、新政権と死刑制度の行方についてぼくがだしたコメントは以下です。

刑罰体系、方向性示せ

映画監督の森達也さんとの死刑存廃についての対談本「死刑のある国ニッポン」を出版したノンフィクションライターの藤井誠二さんは、

「フランスなどでの死刑廃止は世論の競り上がりによってではなく、政権が決めた。だが、日本で今回の政権交代で死刑存廃論議が含まれるという認識は有権者には薄い。民主党のマニフェストにも明記されなかった」

と指摘する。

今後の動向はどうなるか。

「千葉法相は執行命令書に署名しないだろうから、事実上、死刑執行はモラトリアム(一時停止)期間に入ったといえる。別の人が法相に就任しても同じことが続く可能性は十分あるだろう」

と推測する。

「その間に問題になるのは法相の説明責任。法治国家なのだから、死刑一時停止の議案を通すとか、死刑判決だけを確定させて執行しない理由を被害者遺族や関係者にきちんと示すなど、方策をとるべきだ」

藤井さんは「死刑をなくせば応報感情を実減する一つの要素が減ってしまう。現段階ではその代替案が示されていない。と条件付きで死刑存置を支持している。

ただ、情報公開の欠如や被害者対策の不備など、現行制度の不備など、現行制度の問題点も指摘する。

「最も重い罪は死刑なのか、終身刑か、無期懲役刑なのか。死刑についての情報公開とともに、どんな刑罰体系をとっていくのか、新政権は方向性を示す必要がある」

各紙やアマゾンに掲載された書評を紹介させていただきます。

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「信濃毎日新聞」 2009年9月6日

気鋭のジャーナリストと映像作家が、死刑制度の存廃をめぐり、互いの持論をぶつけ合った。凶悪事件の遺族と加害者の双方を綿密に取材し、それぞれの考えに至っただけに、議論は最後まで平行線をたどる。

許すべきか、報いを与えるべきかといった単純な対比だけでなく、裁判制度、報道の在り方、人の生死とは何かまで突き詰めていく。相手の意見を真正面から受け止める真摯な態度が、長い対談を読み応えあるものにしている。


■真の対話の糸口開く  森岡正博氏(大阪府立大学教授) 2009年10月4日 共同通信配信(高知、中国、秋田魁、徳島、岩手、南日本新聞他に掲載)

死刑についてまったく正反対の立場の二人が、あらゆる角度から語り合った本である。藤井誠二は、以前は死刑廃止論であったが、被害者家族の声を聴くうちに、死刑存置に考えを変えた。森達也は、生命についての哲学を考察する次元から、死刑に反対しようとする。

森は、死刑には犯罪抑止力がないことを指摘する。実際に死刑制度を撤廃した国を調査してみると、それによって犯罪が増加したというデータは見られないからである。また、死刑判決後に冤罪が発覚した例が後を絶たないという事実もある。これらを根拠として森は藤井に死刑存置の理由を問い詰めていく。

日本では死刑存置こそが国民のマジョリティーの声である。80%が死刑制度に賛成をしている。森は明らかにマイノリティーの側に立っている。しかしながら、この対談においては、森が一方的に藤井を土俵際に追い詰める結果になっている。森の攻勢の前に、藤井はたじろぎ、耐え、逡巡する。藤井自身も「負け」を認める。この不思議な倒錯現象こそが、本書の読みどころであろう。

森は自分の心の中にも復讐心や応報感情はあると述べる。それでもなお,生きた人間を国家が殺すことは許されないと主張する。そして藤井に、なぜ死刑が許されるのか教えてほしいと懇願する。藤井は苦渋ののちに、殺人者の命を国家が保証するということを倫理的に受け入れることができないし、殺人者の命と殺された命を同等と思うことができないからだと答える。

公平性のために明らかにしておきたいが、評者は死刑反対の意見を持っている。であるがゆえに、本書における藤井の感情吐露と逡巡から目が離せなかった。ここには双方の真の対話の糸口が開いているのではないか。対立だけをあおるジャーナリズムとは別種の可能性があると感じさせてくれる好著であった。

■廃止か存置か、立場の対立を超え  田中優子氏 「毎日新聞」2009年9月6日

映画と文筆のドキュメンタリー作家である森達也と、ノンフィクションライターの藤井誠二の、死刑をめぐる対談本である。藤井死刑制度の存置を、森は死刑制度の廃止を主張している。死刑について本当は何が問題なのか、どういうことに焦点を当てるべきなのか、個々人がそれを考えるには最適な本だ。

まず対談は次のような現状をふまえておこなわれている。二〇〇七年の殺人事件の認知件数は一一九九件で、戦後最低の数になっている。件数と人口増加の関係を計算すると、一九五四年の約四分の一までに減った。治安は悪くなっているのではなく、良くなっているのである。にもかかわららずマスコミ報道によって、人々の体感治安は悪化している。この実態の無い体感治安の悪化で、それを根拠に警察官が増員され、警察官の天下り先の防犯関係の協会や警備会社の業績が高まっている、という。

本書でこれらの現状を読むと、犯罪はまるで商品のように利用されていることに気づく。私たちは何気なく、まるで治安が悪化しているかのような印象をもってしまうが、その詐術に意識的にある必要がある。

もうひとつふまえておくべき現状は、先進国では次々と死刑廃止がおこなわれており、死刑が残存しているのは米国と日本だげであるという事実だ。日本では、八割強の人が死刑存置派である。されは突出している。いったいなぜなのか。この対談を俯瞰すると、この数字の理由は死刑の実態が見えないことであり、議論の俎上に上がっていなかったからだ、と分かってくる。メディアに煽られて思考停止になるのは、充分な情報がないからであろう。本書でも取り上げられ批判されているが、過去の法務大臣が口にした「死刑は日本の文化」のようなことは全くのでらためで、政治的な言動に誤った日本文化が利用される典型例である。こういう蓄積が日本の突出した数字を生み出しているのだろう。

対談者の森と藤井はそれぞれ、文献やメディアからではなく、犯罪被害者や加害者や関係者から直接話を聞き、その過程で自らの主張を持つに至っている。藤井は一〇〇を超える凶悪事件の犯罪被害者たちと会い、これまでの認識と議論が、加害者に偏っていた、と感じるようになる。被害者遺族に寄り添ってその本音を知るうちに、死刑は遺族にはとって最終的な目的ではなく長い被害後を生きる上での途中経過であり、その途中経過として、被害者遺族の八〜九割が死刑を望んでいる、という。被害者遺族の立場を、という考える場所を提供したことは重要だ。

しかしそれに対する森の批評は厳しい。簡略して言えば、被害者が死刑を臨むことと、その気持ちを本当は理解できない他人が死刑存置を主張するのは別の問題だ、ということだ。廃止論者の森は、単に廃止を人権論から言っているのではない。死刑に犯罪抑止力が無いことが次第にわかってきている。その中で「僕は本当にわからない」と打ち明ける。「死ぬことを恐れていないのに死刑の意味はあるのか」 「死刑は誰のためにあるのか」 「何のためにあるのか」と。この疑問こそ、私たちが常に立ち返るべき拠点だろう。

本書は対立を超えて、重要な視点をいくつも提供している。メディアのありよう、被害後を生きる人々の気持ち、そして無くならないえん罪である。裁判員制度も、もう一度考え直したくなる。「裁判員制度の導入の前に、まず裁判官を増やすべき」だという二人の主張も、注目に値する。」

『死刑のある国ニッポン』の購入はこちらから。
http://www.amazon.co.jp/dp/4906605575/

次は『死刑のある国ニッポン』のアマゾンでのレビューです。まことに勝手ながら貼り付けさせていただきます。

書いてくださった方々へ深く、深く、感謝いたします。

また、あちこちのブログでも触れていただいています。ありがとうございます。たとえば、松原拓郎弁護士のブログ。

http://lawyer-m.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-8cbc.html

現在、体調を回復させるために蟄居に近い生活をしており、散歩と読書と資料読み等を重ねる日々です。近所の定食屋で飯を食べ、おばさんと世間話をして、コーヒーショップで濃いコーヒーを飲みながら、本を読む。病院に行ったり、整体や鍼治療に出かけることもしています。

■人間という存在にたかをくくることのない誠実な対話。 2009/10/1

By フランクル - レビューをすべて見る

1章 犯罪被害者遺族の「発見」
2章 死刑をめぐる論理と情緒
3章 オウム後の10年と「風」の吹きつく先
4章 罪と罰のバランス
5章 加害者を「赦す」ということ
6章 死刑とメディア
7章 裁判員制度と死刑判決
8章 「死刑を望む感情」は悪か

以上のような構成になっています。註もついているので、適宜参照しながら読むことが出来ます。

今までそれなりには社会的事件に関心を持っていたけれど、裁判員制度が始まって、あるべき司法の姿をもっと深く考えてみたい、という人にもおすすめします。

お二人とも、人間という存在にたかをくくることなく、某番組のように相手を貶めることなく、真摯に議論を重ねていらっしゃいます。話し合うなかで、藤井氏が悩んだり揺らいだり、そんな姿に共感を覚えました。私はおそらく日本人の平均的な考え方(死刑制度は必要である、もし廃止するなら終身刑を導入せよ)をしていたけれど、ではなぜそう思うのか、その根拠は何なのかを自分自身に問いかけてみると、まだまだ考える余地があることに気づきました。

長年犯罪被害者遺族の取材をなさっている藤井氏の言葉は重いです。

死刑こそ被害者遺族を慰撫できる唯一の手段だ、と考える方にこそ読んでほしいと思います。

■ 罪の重さ, 2009/9/28

By さくら (東京都)

読む前は、冤罪の可能性とか、国家に人を殺す権利はないぐらいしか死刑存廃をめぐる論点は知りませんでした。

でも、2人の議論は被害者のこと、事件を扱うメディアのこと、裁判官や検察官のことなど、

どこまでも広がって、死刑存廃の議論がこれほど深い問題とつながっていることに圧倒されました。

何より怖いと思ったのは、検察官たちの話です。

「死刑をとった」と手柄のように言い合う人々がいることに衝撃を受けました。

議論としては、死刑廃止派の森さんのほうが一段上で、

死刑存置派の藤井さんの主張はほとんど論破されているのですが、

不思議なことに、それを読みつつも、自分自身は死刑廃止に傾かないのです。

「でも…」と思っている自分がどこかにいます。

その本質が何なのかは今もってわかりません。

この本によって「罪の重さ」について考えさせられるようになりました。

■全力でぶつかり合って、だけども下品な否定のし合いにはならず、合意には全然至らないが、しかし意義を感じられる熱い対談本, 2009/9/27

藤井氏の事は昔の管理教育批判や子供の人権といったものに熱心だった頃からとても頼もしくリベラルな人だと思い馴染んでいた。彼は昔もっと分かりやすい左派系の人で死刑にも当然のように廃止派だったが大勢の被害者などにジャーナリストとして触れている内、死刑は必要だと感じるようになり熱心な厳罰主義者となった。これを藤井氏の転向だとか右傾化だとか見る向きもあり藤井氏自身、「左翼的言説には愛想をつかした」とか言ってしまっているのだが、私は彼が転向したとか昔とそんなに変わったとは思っていない。彼を本当に単純な、単に感情的だったり見るからに野蛮だったりな厳罰主義者と同類と見る人もいるみたいだが私は藤井氏がそんな単純で浅はかな種類の人だとは思っていない。それは単なるイメージや信仰ではなくて、実際に彼の言葉や本に触れてもそうだと思える。

藤井氏は悩んでいる。悩んで悩んで悩んでそれでも苦渋の決断として死刑は必要だと考えている。これが欺瞞的な言葉とは私は思わない。私も存置派だし、私も表面上そういう事は言える。「私はその辺の浅はかで野蛮な存置派と違うぞー」、そう言う事は容易い。だけども藤井氏を前にするとそういう事を言えるという気持ちも失せてしまう。真剣さも誠実さも、総体的な重みも藤井氏の死刑への取り組みに比べては足下にも及ばないと思う。

もしそうでないなら、こんなに分厚い対談本、それも決して馴れ合いではない、どちらも礼儀正しく誠実で良心的であるものの、しかし意見としては熾烈に真っ向から対立していると断じていい、そんな相手との対談をこんなにも重ねてやる事が出来るだろうか。藤井氏は他にも死刑や厳罰をめぐる対談本があるが、その多くが立場としては対立する人を積極的に相手にしている。これだけでも私は藤井氏を尊敬できる。

そんな藤井氏に森氏も立場は違えど、その意見を誠実に受け止めていき熱意を込めて反論する。ネットなどでは廃止派と存置派が罵倒しあうような光景も多い中、この二人は何度何時間真っ向からの包み隠さない容赦の無い議論を繰り返してもそういう事にはならない。表紙を見てもそういう二人の真面目さは感じられる。真剣にこの問題を心から真面目に考えているからこそ互いに正しいものを信じてるからこその表情が表紙にはある。それをぶつけ合ってみようという強い意志が見える。本文中では二人が「僕らは悪人面」と笑い合う微笑ましい場面もあるが裏表紙を見てみれば、「どこが悪人面か」と個人的には思う。森氏は渋い(笑)し、藤井氏は見るからにいい人そうだ。だけど厳罰化を支持している。死刑はいると言っている。そこが重要だと私は思う。そんな人が、それでも死刑を支持している。ここには重みがある。

…私は、ここまでの持ち上げっぷりでも分かると思うが、立場としてはかなり藤井氏寄り、もっと積極的に語ろうとすると残念ながら徹底的な森氏批判みたいになってしまう。とは言え本の評価が高い事からも分かるようにこの対談自体も凄く意義深いものだと思っているし、意見の内容以外の面では森氏を蔑視するような気には全然なれない。時に芝居がかってる、というか「これは映画かアニメのワンシーンか?」「主人公がラスボスに向けて演説してるシーンか?」と思うほどの只ならぬ熱意に満ちた演説を森氏がかましたりする。同意できなくても、やっぱりちょっと来るものはある。本書を読んで得た森氏のイメージは主張の是非や青臭さ、容姿の問題は置いといて、「ヒーロー」(笑)。本当に漫画かゲームの主人公みたいな事ばかり言っている。

加えて二人は決して全面的に一方通行なわけではない。例えば死刑や取調べの情報公開、冤罪への対策、犯罪は増えているかといった問題について二人は見解がかなり重なっており森氏が思わず82頁で「廃止論者と話してる気がしてきた。転向してないよね?」などと驚くほど。でも私からすればこれは別に驚く事でも不思議な事でもなかった。あくまで誠実に事実を尊重すれば犯罪が増加してて治安が悪化しててヤバイから厳罰化なんて嘘は吐けない。だから藤井氏は厳罰を支持する本でも一貫して統計的な間違いは指摘してきた。それに藤井氏はあくまでリベラルな観点から厳罰主義を支持しているのだから、不当な秘密主義や取調べの密室性に目を瞑る理由もない。そういう良心的な思考回路を持った人が「でも死刑存置派」なのだ。「犯罪増加、治安悪化という神話を否定してれば自動的に厳罰反対」というような芹沢氏的固定イメージは捨てるべきだと思う。

だが、いくら森氏の事も人格的精神的には高く買うとは言え、やっぱりあんなに好き放題(ごめんなさい、あえて少しきつい言い方をします)言っているのを全く批判しないわけにはいかない。藤井氏も礼儀などは踏まえていてもやはりしばしば互いに辛辣に批判していた。批判はタブーではない。賛同できなかった森氏の言動を少し挙げたい。

「死刑を考える時、存置と廃止の間で揺れ動く(中略)右往左往や混乱に重要な意味がある」(63)「論理だけなら存置の理由はほぼ論破される」(67)「人は人をコロす本能は持っていない。なぜなら人は群れる動物だから。同族をコロす本能はない。」(69)「人は人をコロしたくない生きものであると断言します」(71)「まず論理があって、感情があって、情緒があって、揺れ動いて、なんだ、ここに本能ああるじゃんって帰結」(73)「飢餓に苦しんでいる人、砲撃にさらされて死んでいく人、冬の寒さに震える子供を助けたいのと同じレベルで死刑囚を救いたい」(75)「人は(みんな)優しい」(76)

勿論賛否両論。だけど私も藤井氏もこういった発言には少しも同意できないと言っていい。

長々と反論していきたいが字数的問題があるので、かなり我慢しながら手短に。一つ目は私もこういう精神的な態度を褒めちぎったので一番よく分かる。だがこれは美的な話ではないか。それを死刑問題で重要とまで言われると違和感。何か個人の誠実さや善良さを証明するための(俺はこんだけ真面目に考えてる優しい人なんだぞ!というような)道具として死刑が利用されているという気もする。二つ目は後で詳しく反論したいが物凄い暴論だと思う。三つ目、彼は論理と情緒と本能とを区別し本能を重視するが本能などというのは最も抑制されて然るべきものであるはずだ。仮にそうでないとしても何で本能重視を押し付けられるのはOKなのか謎。一方藤井氏の反論も強力。様々な物事が自明でなくなり善悪や科学的事実すら相対化されかねない現代にあって「人間は人を殺さない本能を皆備えている」と断言する脳天気さ、時代遅れ、貴方が本能と思っているものは所詮社会で学習されたもの、刷り込みの価値観では?と藤井さんは疑念を表す。なんにせよ普通の人が死刑問題では殆ど使わない「本能」なんて言葉を口癖のように繰り返し、人間は本能的に人を殺さないから死刑は駄目と強弁する様はうーん・・・と思うものがある。六つ目は端的に言って最初の三人と死刑囚は全く次元が違うと思う。理由は色々思いつくが一番思うのは、最初の三人は別に悪い事もしてないし悪意も罪もない単なる可哀想な人達で最後の死刑囚だけどう考えても違うだろと思う。七つ目は性善説ここに極まりとしか言いようがない。ここまで断言されると逆に気持ちいい気もするが、日々様々な人間の悪意を見聞していてはやはり納得は難しい。

最後にもう一つだけ。森氏は繰り返し「存置論は論理的にもはや成り立たないと断言します」と言う。あまりに繰り返し強調するので傲慢にも見えたし、何故ここまで言えるんだろうか、一体どんな凄い論拠が…とある意味で多大な期待を寄せたのだが、何故森氏がそう考えるかというと、それは死刑が抑止、社会防衛に役立っていないからという典型的な目的刑論によるもの。言ってしまえばそれだけである。こんな一般論で死刑が論理的には成立しえないとまで自信満々で断じられたのでは死刑問題もえらく簡単だというものだ。反論をしておく。まず「目的刑論が絶対的に正しいとは言えない。抑止効果はなかろうが悪いものは裁かなければいけない」あるいは「死刑の方法が生ぬるいから抑止効果がないのであって徹底すれば抑止効果は出る。にしてもそう言って廃止を説く人は如何なる残虐極まりない方法であれ犯罪が減りさえすればそれを支持するんだろうか?」前者が感情論と誤解を受けかねないので少し補足しておく。目的刑論は抑止効果を過剰に重視し、それだけが刑罰の存在意義だと考える。ではそれが正しいなら、どれだけ殺人犯を裁いても何故か殺人件数が一件も減らずむしろ増えるという状況が発生した場合、我々は殺人犯を裁いたり、殺人はいけないと言う事をやめるべきだろうか。悪いものは悪いから裁く。これは感情論ではなく道理だと私は思っている。(ちなみにこの点は私と藤井氏は見解が違っている。藤井氏はあくまで応報刑の根拠を感情と見なして、感情論で何が悪いと開き直る立場。感情は人間にとって大事なものだが、存廃問題を両方が自分達の感情を根拠に論じていては熱心に話し合っても平行線なのは無理もないと思う。藤井氏に問題があるとすればこの意識的な感情重視ではないだろうか)

…やっぱり私は藤井氏ほど善良そうに死刑を擁護できない。いくらか下品になってしまう。だがこの対談本には死刑を擁護するにせよ廃止派を批判するにせよ、下品になりすぎないように出来るだけ努力したいな、とは思わせられた。

■死刑制度を通して見える日本という社会, 2009/9/22
By ジョン・ラッセル "身のほど知らずの理想主義者" (神奈川県相模原市)

 読みながら、こんな人たちに読んでもらいたいと思いました(最後以外は本書で批判されます)。

○「大切な家族の命を奪われた被害者遺族の究極の目的は加害者の死刑である」

○「増加する凶悪犯罪から社会を守るためにも死刑は是非とも必要である(必要悪である)」

○「冤罪の可能性があるから死刑は廃止すべきである」

○「国連も死刑廃止を日本に勧告しているし、また、死刑廃止が国際社会の趨勢なのだから死刑は廃止すべきだ」

○「出版社があの『週間金曜日』だから、きっと『サヨク』的な本に違いない」

 (「中立」ではなく)第三者の視点から制度として、たとえ「凶悪犯」の命であっても、今この世にある「この命」を救いたいと死刑廃止を主張する森達也氏。他方、100人以上被害者遺族を取材した経験から、被害者遺族の想いをできるだけストレートに伝えることが自分の使命だとする藤井誠二氏。

 死刑制度については、(不遜にも)自分もある程度は勉強してきたつもりでしたが、お二人とも存置と廃止双方の論拠を本当に深く勉強されているなと感じました。仮に、存置論者の藤井さんが廃止論者の立場で議論をしたとしても、いい加減な死刑存置論者など簡単に論破されてしまうでしょう。

 「人は憎しみを克服して赦すことができる」とか、「遺された家族の気持ちを考えろ!」などという善意からだとしても安易な言葉が、いかに遺族の気持ちを傷付けているかを知りました。都合良く、かつ、分かりやすく編集されまくったワイドショーを見たくらいで理解できるほど、被害者遺族の苦しみは生易しいものではない。

 色んな論点で意見が食い違うお二人ですが、共通点もあります。「可哀想な被害者」vs.「許しがたい被告人・悪人を守る弁護団」という、分かりやすい構図を作り上げ、イメージに合わない映像や発言は報道しないマス・メディアと(第6章)、冤罪を反省しようとしない警察・検察・裁判官の責任(第7章)については、どちらが語っているのか分からなくなってしまうほど意見が一致します(本文でも触れられているけれど、医療ミスで業務上過失致死罪で起訴された医師と、都合の悪い証拠に目をつぶり冤罪をでっち上げ、無実の人間を刑務所に入れた警察・検察官の過失の度合いを比べてみれば、どちらが起訴されるに値するかは一目瞭然だと思う)。

 たとえ本書を読む前と読んだ後とで死刑制度に対する読者の結論が変わらなかったとしても、読んで損はない。「サヨク」「ウヨク」とかレッテルを貼って思考停止せず、また、死刑存置論と廃止論、全否定や全肯定に陥ることなく、それぞれのどこが正しくて、どこが間違っているのか、それらを考えることがより大事なのだから。

■賛成も反対も、死刑を語るなら読まねばならない, 2009/9/20

By カッタルコフスキー (東京都東久留米市)

冒頭に藤井が書くように、議論としては森のほうが説得力があるだろう。そもそも僕は森のファンで彼の語る死刑廃止論には、単なる論理以上の迫力を感じているから、なおさらそう感じるのかもしれない。ただ、藤井が被害者遺族の立場に身を置き、いわば彼らの代弁者として、彼らが直接的には言いにくい復讐心を語るのも、簡単に否定できない重さがある。

ふたりの対談はそれぞれ説得力があったり、個別的であまり説得力がなかったりする。かみ合ってないなと思うところもある。それぞれに飛躍があるところもある。例えば、藤井で言えば、被害者遺族の気持ちがこれまでないがしろにされてきたと言うのはいい。彼らの気持ちを考えれば、これまでの司法が下してきた判断は軽すぎると言うのもいい。ただ、そこから死刑制度存続につながるのかどうか。死刑は罰の中であまりに突出しているのである。一方、森の人間の本能として人は人を助けたいと思うものだ、というのも、説得力という点では少し弱いかもしれないとも感じる。

ところで、法務大臣に死刑廃止議連の千葉氏がついた。これに対するネットの反応はおそらく90%が否定的なものだ。しかし、その反対している人々のどれだけが、この二人のような迷いや煩悶をしているだろう?被害者遺族の気持ちという錦の御旗をかかげて、ほとんどなにも考えない感情論だけで死刑を語る人々に向けて、森と藤井はそれぞれ違う方向から語りかけている。

■自分の考えを再確認するのに最適な一冊, 2009/8/27

By kat2009 (東京都)

死刑存置派のつもりでいたが、少し自信がなくなった。読めばおそらく廃止派の人も戸惑うと思う。片方の考えにまったく矛盾がないとは言えず、もう片方の意見にうなずける点がないわけでもないことが、はっきり分かってしまうからだ。

今もどちらかといえば存置派。しかし、その結論に至るまでのプロセスが全く変わった。考慮の対象が広がったとでも言うべきか。この点は、テーマとして取り上げられている裁判員制度や犯罪被害者報道についても同じ。自分の考えを再確認するのに最適な一冊だ。

藤井さんは本の中で「どんな問題にも必ず裏表があって、こっちを立てたらこっちが立たない、こういった領域では一方の「正しさ」を主張したら同時に問題点も浮き彫りになってくるという当たり前のことを知ってほしいだけなんです」と言っている。これがまさに、死刑は是か非かを越えた、この本の持つメッセージ。自分と異なる意見の持ち主とじっくりと率直に対話すること、盲信的にものごとを決めつけないことの大切さを伝えている。

■大事な問題を取り扱う作法, 2009/8/27

By テポどん

 死刑制度の存廃というのは、二大政党制のように、こっちにやらせてみたけどダメだったので今度はこっちに、といった問題ではないのは、自明である。数え切れないほどの人間の、命がかかっているのだから。だから、世論調査の動向が参考にならないことも自明だろう(そもそもこの手の「調査」は、質問項目の表現やサンプリングの違いで、全く違った結果が出ることさえある)。そこで、「対話」だ。TVの視聴率目当ての節操なき討論番組ではなく、ルールに則った紳士的な対話だ。「地味」で、良く話の筋を追っていかないと、行きつ戻りつして、一体何の話をしているのかわからなくなる。結論がなかなか見えてこない。しかしそれこそが、「死刑」という問題にまつわる難しさを物語っているのだ。「大事な問題」を取り扱う作法は、本来こうあるべきなのだ。「大事な問題」を口当たり良く「ワンフレーズ」で言い切ってもらっては困るのだ。

 で、結論、私は死刑存続:廃止=49:51で廃止に軍配。「死刑」だけではなく、今の日本の社会のあり方(=私たちのあり方)を考える上で、好書である。森さんの、自分自身を俎上にあげつつ(自我関与)問題に向き合う姿勢は好感度大。

■論理的議論を経た後に読む、哲学的に死刑を模索する本。, 2009/10/18

By ぽるじはど - レビュー

 死刑を考える上で本書を1冊目に選んだ読者は、本書を読む前にせめて森の『死刑』だけでも読み、先ず論理面から死刑について考えた後本書にかかるべきだ。

 論理的な面からの是非について紙幅は取られていない本書からでは、代用監獄・取調べの可視化・世論に左右され罪刑法定主義をないがしろにする司法とヒラメ判事・被害者支援等二人の共通点についても理解し難いだろうから。

 果たして死刑を論ずる時に、被害者の気持ちと同調することで生きていく中で感じるストレスを代替してはいまいか? 「暴力を合法的に独占する」国家に乗せられてはいまいか?  そのような国家の恣意性を形作る集合無意識なものの一員となってはいまいか?

 このような問いに読者はどう答えるのかとの煩悶を本書は投げかける。

 論理だけではないからこそ(何度か繰り返される面があるにせよ)量があり、深みもある。

 森は死刑を廃止できない理由を、多数派につくという国民性、メディアによって煽られるフェイクな危機管理意識、多くの人が死刑を概念的にしか知らない事と言うが、これらに沿った議論が積み重ねられているにしても、これを終盤でなく始めに提示すれば、違った角度からの議論になったろう。

 またこの森の言を受けての藤井の発言がなく、別段落に移行している事にも不満は残った。

 いずれにせよ、殺す刑を論議するのに多くの人は簡単に答えを出しすぎではないのか?

 本書では言及されていないが、今後EUのようにASEANが発展し加盟に死刑廃止を謳われたり、米が死刑廃止国となり年次改革要望書に死刑廃止を突きつけてきた場合でも、死刑存置は大きなムーブメントとなりうるのか?

 メディアがこぞって死刑のネガティブキャンペーンを張っても、存置派は立ち向かい続けるのか?

 藤井は戦うであろうが、多くの人は否であろう。

 ポピュリズムに乗らない一人となるためにも、読者は本書で大いに惑い悩んで欲しい。

『死刑のある国 ニッポン』(金曜日)

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購入はこちらから。
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『大学生からの取材学』(講談社)

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以下はアマゾンのレビュー。

[人生の意味は外部にある、ということ。]

将来ライターになりたい、マスコミ業界に興味がある、そんな方にだけでなく、現代社会に生きる若者にとって、大変有益な本だと思います。

人に会い、話を聴くという行為は、多くの人が普段何気なく行っていることですが、そこにどんな意味があるのかを考えさせられました。

フランクルは、人生の意味は外部にある、と言いましたが、

社会的出来事に当事者意識を持つことは、「自分病」から抜け出す上でも、とても大切です。

最後の方にある、リストカットに救いを求める女性の話を読んで、あらためてそう思いました。

平易な文章ですから高校生にも読んでもらいたいと思います。

他人に横着な大人って多いですけど、そんなふうにはなりたくないと思うなら、なおさらです。

社会学や心理学を学び始めたばかりの学生さんにありがちな傲慢さ(申し訳ないけどそういう人もいます)を直してくれる本でもあります。見る姿は見られているということを忘れずにね。

0時間目〜13時間目+課外授業という構成になっています。

例えば、

3時間目 自分の身の回りを掘り下げよう

6時間目 パターン認識で相手との共通項をさがす

11時間目 共同体や文化背景からくる「言葉」を読む

といった具合です。

[本当のコミュニケーション法を知りたい人へ]

ノンフィクションライターの信念、が読める。

その軸、「取材」の仕方が分かる。

「大学生からの〜」というタイトル通り、講義を受けているような、

分かりやすい言葉で綴られている。

…が、書かれていることは決して甘くない。

本当の意味で、人の話を聞くことは難しいのだと教えてくれる。

だからこそ、「もっと色んな人に会って話したい」意欲が湧く。

印象的な取材や出会いが集約され、ここ数年の世に衝撃を与えた事件も多数。

そこからは取材する側とされる側の両方が見えてくる。

彼が影響を受けたライターの取材法や著書も織り込まれて、ノンフィクションの初めの一冊としてもいいかもしれない。

ライターになりたい人、人とちゃんとコミュニケーションをとりたい人、必読!

私にとってはノウハウ本では無く、カンフル剤となった。

何度も何度も読み返すことになりそう。

ノンフィクションの面白さに気づかせてくれた藤井氏に感謝。


[コミュニケーションに必要なもの]

本書は、著者である藤井誠二さんが、長年培ってきた豊富な取材体験を

惜しげもなく披露することで、

「取材」や「コミュニケーション」の本質にせまる本です。

有名無名関わらず、多くの印象的な事件・人物に具体的に触れ、

その渦中に巻き込まれる自身の悩みや葛藤が赤裸々に語られています。

どのページをめくっても伝わるのは、常に現場に足を運び、

きちんと取材対象に向き合うという、誠実に仕事を続けてきた藤井さんの内面です。

そういった意味でこの本は、藤井さん自身のセルフノンフィクションとしても

楽しむことが出来ます。

「取材学」と言っても書かれているのは専門的なことではなく、ごく単純なことです。

自分の足を使う、きちんと話を聞く、自分の行動に責任を持つ、相手の気持ちを考える、

などなど、すべて「あたりまえ」のこと。

そして改めて気づかされるのは、藤井さんの(見かけとは違う?)

優しさ、あたたかさです。テクニックではできない、気づかいやサービス精神。

きっとその人柄ゆえに、多くの良質な仕事を残すことができ、

いまだ第一線で活躍できているのだろうと思います。

そう思えば、人と関わることなんて、そんなに難しいことではないのかも知れません。

もちろんその「あたりまえ」が出来ないから大変なんですけどね・・・。

「取材」や「マスコミ」、「コミュニケーション」なんていうバタ臭い単語に

興味がない人にこそ読んで欲しい、なんてまとめるとちょっとありがちだけれど、

幅広い人に自信を持っておすすめできる珍しい本だと思います。

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『罪と罰』
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『重罰化は悪いことなのか』(双風舎)
http://www.amazon.co.jp/dp/4902465140/

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『殺された側の論理』(講談社)
http://www.amazon.co.jp/dp/4062138611/

『「悪いこと」したらどうなるの?』(理論社)
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『少年犯罪被害者遺族』(中公新書ラクレ)
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『暴力の学校 倒錯の街』
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『教師失格』
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『少年をいかに罰するか』
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『人を殺してみたかった』(双葉社・文庫版)
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『少年に奪われた人生』(朝日新聞社)
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『学校は死に場所じない』
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