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「民族混在」公団住宅政策で老後の不安がなくなったシンガポール

今年独立50周年を迎えるシンガポールでは、現在、国立博物館で「シンガポール700年」記念展示を行っています。先週末、日本から友人が訪問してくれたのを好機に見に行ってきました。

■独立までの道程

14世紀までのシンガポールはマレー半島の先端、ジョホールに隣接する「テマセック」というひなびた漁村で、マレー系の小さな部族の王たちが統治してきました。いっぽうで地理的要因からさまざまな国の船が寄港する土地だったようです。

ラッフルズ卿が上陸してイギリスの植民地支配が始まるのが1819年。「シンガポール」となり人口が急増。東南アジア地域におけるイギリス植民地経営の要所となります。コロニアル風の建造物が次々と建設され、近隣諸国のみならず中国からも多くの移民が押し寄せ、貿易港として大きく発展していきました。

しかし、太平洋戦争が始まり、1942年に日本軍により陥落。「昭南島」と改名され、日本による植民地経営が始まります。イギリス植民地時代と違い日本統治時代には貧困、飢餓、衛生環境の悪化、失業などに苦しめられ、いまだにシンガポール人にとってこの時代は「暗黒時代」と認識されています。

1945年に日本が降伏すると再びイギリス植民地となりましたが、東南アジア全体に独立気運が高まります。1959年にイギリスから独立。1963年にマレーシア連邦の一員となりますが、シンガポール住民の多数派である華人系の自治を求めるPAP(Peoples Action Party)リーダーで、シンガポール初代首相であるリー・クアン・ユーの政治方針がマレーシア政府の逆鱗に触れ、1965年にマレーシア連邦から追放され、やむなく独立に至ったという、一風変わった建国の経緯をもつのです。

■「住」を基礎にしたシンガポール独立後の発展

印象的だったのは、それぞれの時代、一般の人々がどんな家に住んで何を食べていたのか、という展示が非常に多かったこと。例えば、「カンポン・ハウス」と呼ばれる昔ながらの農村の家が大きな写真で紹介されていたり、独立当時の人々の食事が具体的にいくらしたかがメニュー入りで紹介されています(野菜とご飯、野菜と肉とご飯、野菜と卵とご飯の順に高くなっていくので、卵が当時いかに高級品だったかわかりました)。シンガポール人がどれだけ住と食にこだわっているかの表れだと思います。

人間の生活に欠かせない条件として「衣食住」が挙げられますが、熱帯気候のシンガポールにおいて「衣」はほとんど問題になりません。逆に、「住」の問題は非常に深刻でした。1949年のイギリスの報告によるとシンガポールは「世界最悪のスラムの一つ」と指摘され、1947年の統計では1軒の家に住む人数は平均18.2人だったそうです。太平洋戦争末期の日本軍の植民地経営ではインフラ整備の余裕はとてもなく、住宅の確保はもとより衛生的な環境を保つための上下水道の整備も喫緊の課題でした。

そこでシンガポール政府が設立したのがHDB(Housing and Development Board)です。日本の公団住宅供給公社によく似ていますが、違うのはその規模。政府主導で低コストの高層団地を作り、全ての国民に近代的で快適な住宅を提供するというプロジェクトが大々的に始まったのです。このプログラムの強力な推進により住宅問題はほぼ解消され、一時は90%以上の国民がHDB住宅に住むようになりました(最近では富裕層が普通のマンションに住むケースも増加し比率が下がっています)。

■全国民が所有するHDB住宅

シンガポールはアジアでは香港に次いで不動産価格が高騰していることで知られています。日本人駐在人家庭が多く住んでいるオーチャード付近のマンションなら通常、数億円はしますし、少し離れた郊外でも億ションは珍しくありません。

しかし、HDB住宅となると価格は半分以下。さらに若年層や低所得者のための政府補助が非常に厚いため、シンガポール国民であればほぼ全員がHDB住宅を買うことができます。また、CPF(Central Provident Fund)という強制加入の個人年金制度があり、HDB住宅購入時にはここから頭金が使えるためローン期間が短くて済み、比較的余裕をもって返済できます。ですので、シンガポール国民はごく一部の例外を除き、全世帯がHDB住宅を所有しています。何ともうらやましい限りですが、実際、私もシンガポール人から住に対する悩みを聞いたことがありません。彼らにとって若いうちにマイホームを持つことは当たり前で、プロポーズが「HDBを申込みに行こう」という言葉だったという話も聞くほど、「結婚したら夫婦でHDB住宅を買って住む」ことはシンガポール人にとって常識なのです。

■HDB団地に伴って整備された「食」と「行」

HDB団地は日本の団地と同じく、複数の棟が集まってブロックを作っていますが、その中に必ず「ウェットマーケット」と呼ばれる市場があり、「ホーカーセンター」と呼ばれる公営フードコートが併設されてます。家賃が低く抑えられているため、生鮮食品や乾物が安価に求められ、ホーカーセンターでも低価格の料理を楽しめますので、3食ここで済ませる家庭も珍しくありません。また、主食である米は、政府が販売価格を統制していて低く抑えられており、国際的に米価が上がっても高騰することはありません。

「衣食住」に加え、華人がもう一つ重要とするのが「行」=交通手段です。

シンガポールでは地下鉄路線が徐々に増えてきていますが、これもHDB政策に密接に関係しています。主要なHDB団地を作るときには必ずHDBハブと呼ばれるセンターを中心に配置され、ここに地下鉄の駅を作るのです。HDBハブにはショッピングセンターや図書館、公民館などの公的施設が併設されていることが多く、通勤帰りに買い物や用事をすませてから帰宅するというライフスタイルも定着しています。自分の住む棟にはさらにここからバスに乗らなくてはいけないことも多いのですが、バスは頻繁に来ますし、バス停が多いので雨が降っても傘をささずに家まで帰れる人がほとんどです。比較的小規模のHDB団地には地下鉄駅がないケースもありますが、この場合でも必ずバスルートは確保されています。さらにバスや地下鉄などの交通公共機関は政府がコントロールしており、片道50円から100円程度でどこにでも行くことができます。

■HDB政策により民族対立と無縁になったシンガポール

もう一つ、シンガポールが進めてきたHDB政策で見逃してはならないのが、HDB入居者の民族混合政策です。HDB住宅に入居しようとするカップルは、複数の希望を書いて申し込みます。この中には建設中の物件や、中古で空きとなっているものも含まれます。基本的には抽選で選ばれるのですが、その際、民族別の割り当てがあるのです。

もちろん民族によって住みたい場所の好みも違うので、すべてのHDB団地で人口比率と同じ民族別入居者数が守られているとはいえないのですが、華人系、マレー系、インド系などの住民が必ずミックスされて住んでいます。住人がこうですから、前述のホーカーセンターでも必ず中華系、マレー系、インド系のテナントが入っており、HDB団地で生まれた子供たちは子供の頃からいろいろな民族が混じった環境で育ち、他民族の料理も食べながら成長するのです。チャイナタウンやリトルインディアなどの観光名所はいまだに残っていても、現在もそこに暮らしている人々はごく少数で、大多数の人々はHDBで民族が入り混じったコミュニティーに暮らしています。

このため、隣国のマレーシアやインドネシアで時折発生する民族同士の対立がまったくなく、この方面に余計なエネルギーを使わずに経済発展のために邁進できてきたといえると思います。

■老後に不安がないシンガポール人

最近の調査では、シンガポール高齢者の90%が自分の老後に不安がないと答えています。アジア社会独特の親を子供が扶助する慣習が残っていることや、高齢者へのベーシックインカム政策が今年度から採用される予定であることも影響しているとは思いますが、日本をしのぐ少子高齢化社会のシンガポールでこのような結果が出た最大の要因は「住むところに不安がない」ということに尽きるのではないでしょうか。私の義父母も1970年代に建設されたHDB住宅に今も住んでおり、本人たちは「この場所で一生を終える」覚悟で暮らしているようにみえます。また、よしんば老朽化で取り壊しが決まったとしても、住民には新しいHDB住宅への無償住み替えが保証されています。メンテナンスはすべてHDBがしてくれますので、補修の心配もありません。後は月々5~6万円程度の光熱費や食費さえ確保できれば、老後を憂う必要はないのです(医療費も政府の補助が大きく、内容も非常に充実しています)。

■格差社会でも不満は聞かない。

よく知られている通りシンガポールはアジアのタックスヘイブンの1つで、貧富の格差は先進国としては非常に高く、ジニ係数は0.4を超えて香港よりも高く、アメリカに近い数字となっています。シンガポール人である夫の親戚をみていても、田園調布のような高級住宅街に豪邸を2軒も所有するアッパー富裕層に属する世帯から、築40年のHDB住宅に住み、30年以上子供たちの仕送りだけを頼りにつつましやかに暮らしている義父母のような世帯までさまざまです。

しかし、日常生活をみる限り、富裕層も一般庶民も購買行動はほとんど変わりませんし、日本であれば「貧困層」に分類されるであろう義父母から将来の不安や生活の不満を聞いたことがありません。これはやはり「住」が政策によってしっかりと保証されており、贅沢をしなければ「食・行」を憂う必要のない社会制度に守られているからだと思います。

■コンパクトシティは公団住宅を核に。

高齢化社会に突入した日本社会ではコンパクトシティ構想が注目を集めていますが、高齢者にとってワンストップで日常生活が送れる駅を中心にしたコンパクトシティはたいへん便利で暮らしやすい環境であると思います。しかし、地元の駅隣接マンションなどをみると非常に高価格で、いわゆる「富裕層」や「アッパーミドル」以外は手が届く価格でないことが現状です。

日本でも高度経済成長期の住宅事情改善のため、公団住宅供給公社などがこれまでに開発してきた公営住宅や準公営住宅という資産が全国に散在しています。急速に増加する高齢者世帯の住宅ニーズに応え、若い世代の老後に対する不安を多少なりとも軽減するためには、シンガポールに見習い、これらの過去の資産を見直し再開発を行っていくなど、国としての住宅政策を検討し直すことが求められるのではないでしょうか。

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